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オアシス+ローゼズ、それって最高?

Liam Gallagher & John Squire

 さて、今回ここに記すものはリアム・ギャラガーとジョン・スクワイアが一緒に制作したアルバム。そう、オアシスとストーン・ローゼズの元メンバー2人によるアルバム。これに興奮する者は確実に90年代の英国が生みだしたロックに魂を奪われているんじゃないか?  で、 “レジェンド2人が一緒に!” なんて思う人はきっと今の時代に生きる若者のはず。

 えっ、誰が見てもレジェンドじゃん!

 いやいや。40代以上の英国産ロック好きにはレジェンドなんて思う間もなく今に至っていて。

 2人って”生きる伝説”なんじゃないの?

 いや、違うの。ずっと追い続けているんだもの。だから、2人がレジェンドになっていることに気づいていない、そもそも、そう思うに至っていない(可能性大)っていう。

 そんな人たちを世の中はどう呼ぶかって? それを考えるのは止めにしよう。切なさ、悲しさなどの感情がヤケを起こさせる危険があるし。今年のフェスのヘッドライナーは弱いとか言っちゃうような “90‘s not dead” な人?  フジロックにパルプとかレイジとか期待しちゃってたくせにクラフトワークやノエルはだめだ!みたいな(ノエルはダメなのにこの2人組は欲しちゃったりする人って可愛いよね)。
 あと、サマソニのヘッドライナーみたいに新世代に時代が切り替わってることに気づけない人たち(いや、世代交代を認められない人たち?もしくはマネスキンもBMTHはダメだけどデュア・リパとかビリー・アイリッシュならオッケーみたいな。あっ、これはまあ新世代を受け入れてるか!)。
 そう、アップデートはしてるけど、ヴァージョンアップしてないみたいな。これ以上はもうだめだ、首を絞めてしまう。自分の首もいっしょにきつくきつく。
 そんな人たち(どんな人たちだ!)にとって、この2人のコラボレーションは救いであり、欠けていたピースをしっかり埋めてくれるアルバムに思ってたんじゃないのかな? なんて思ったり。

 さてさて、このアルバム。発売直後はSNSとかあらゆる場所で “先行シングルを超える曲はない” だの言ってる人も結構いたりして。そりゃ「Just Another Rainbow」がイントロからして「WATERFALL」なギターと「RAIN」のようなベースラインとリアムのあの声だもの。求める物全部乗せみたいなものだったし、ギネスビールとバスペールエールを両手に掲げて乾杯しちゃうみたいというか。これよ、これ”!って気持ちになった人はきっと多いはず。

 でも、このアルバムに不満を口にするその人たちって結局、オアシス+ストーン・ローゼズを追い求めてるだけなんじゃないの?なんて思ったりもしちゃうのですよ。66年頃のビートルズの香りを漂わせたような。もしくは90年代までで止まってる思考を持ったその人にとっての ”イケてる” サウンドなんかを欲してる人たち。イエス、マンチェスター!!!みたいな。そういう人たちにはきっと退屈なものなんじゃないか。だって、これ、そうじゃないんですもの。

 まあ、2人とも懐古趣味だけで音楽やってるわけじゃないんだし、2024年に鳴らすべき音楽がここにはあるのに。って、今の時代に清々しくギターと歌でロックしているアルバムってあるか(無茶苦茶あるか)? 小手先にとらわれず、ギミックなしのロックで勝負するアルバムって最高じゃない!

 とどのつまり、不満を口にする者はそう。懐古趣味の世界に足をしっかり踏み入れてるわけっすよ。古参ファン、一歩間違えたら老害ってやつ。気を付けて~っ!

 で、で、何が言いたいかって? これ、2024年に生まれた最高のロックンロール。ロックンロールは生き様、思想、そんなやつ(カッコわるっ!この表現!)。これがロックンロールだと言えば、それはロックンロールだみたいな。”俺たちが作れば、それがロックだ”っていう。リアムの声にジョン・スクワイアのギターがある。それ以上でも以下でもない。てか、それ以上の何を求めるんだ!そんな感じ?
 ここまでの文章だと、お前、盲目的に崇拝してるだけじゃないか?なんて思うんじゃない?否定は全くできないが、肯定もできない。100点満点!ってわけじゃないから、やっぱり。

 メロディはやっぱりローゼズ譲りのメロなんだけど、それをリアムが歌ってもちょっと凡庸に聴こえてしまう感じもあって(僕はね)。リアム特有のあの歌いまわしが活きないっていうか。今の絶好調なあの声だから“最高だぜ!”ってなるんだけど、物足りなさはあるのですよ、やっぱり(うん、僕はね)。イアン・ブラウンが歌うことで活きていたメロディなんじゃないかって思ったりもして(そう、僕はね)。でも、リアムの歌は今回も最高ですの! それとあのギター。くどいくらいに弾き倒しているし(それを欲してもいるからオッケー!ではあるんだけど)。
 だから、結局、声とギター、それだけに留まっている感が否めないのですよ。それ以上にならない。化学反応を起こしていないっていうか、2つがそこにあるだけというか(でも、これがこのアルバムの良さなんだと思うの、僕は!)。

 あと、リアムの歌声って湿り気のあるねちっこいギターがやっぱり合うと思うのですよ。ドライな感じするじゃない、ジョン・スクワイアのギターって(音そのものじゃなくて、質感とかニュアンス)。つまり、化学反応を求めると見事に外れを引いたように感じてしまうんじゃないのかしら?
 つまり、ユニット名(でいいのか?)のリアムギャラガー&ジョンスクワイア。その名前にすべてがあるんじゃない。単発だとしてもバンド名つけたらそれはバンドとしてのものを求められる。でも、それぞれの名前を掲げれば、あくまで、その二人の個性だけを求める。つまり、これは名は体を表すアルバムってことなんじゃ。

 あと、グレッグ・カースティンがプロデュースしているから(ベースも弾いてるけど)、リアムのソロの延長線にあるものとして捉えることもできると思うとこもあるけれど。だから、ここで鳴らされるロックンロールはポップ・ソングとしての強度が目茶苦茶強い。だから、ヒットチャートを追い続ける若い世代にだって十分響くはず。そう、これはローゼズファン、オアシスファン、UKロックファンの手元にあるだけの音楽ではない! それが首をかしげてしまったファンの”なんか違う、良くなかった”という気持ちへと繋がっていくんじゃないか?と。つまり、“ 俺たちのオアシス、ローゼズ。俺たちのリアム、ジョン・スクワイア” っていう気持ちが余計な思考を生み出してるんじゃないか?って思ったり。そう、これは全世代のロックンロール!

 ロックンロールっていうものはカウンターでもあったりするわけで、ギターと歌でロックンロールをこの時代に鳴らすことで、しっかりとカウンターをキメている証なんじゃないのかな。なんて思ったりもしたのでした。

 しっかし、リアムの声。いまがキャリア史上最高なんでは。


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