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私が推理小説を好きなワケ

小学生の頃、
「小学◯年生」っていう月刊紙の付録についていたシャーロック・ホームズやアガサ・クリスティーの推理小説を読んでから、推理小説にハマり読み漁っていた時期がある

小説の中に出てくる探偵、
シャーロック・ホームズやポアロは、
事件を一般的な考え・常識・思い込みという視点から観ることなく、現実に起こった事実を丁寧に調べ、その事実を事実のまんま見て、犯人をあぶりだしていく

そして、事件を検証するときに、
起こった事実をそのまんま見る、にプラスして
様々な知識と組み合わせて事件を見ている

「この植物は、この地域にこの時期に生息する」
とか、
「この人の話し方や訛りは〇〇地方出身だね」
とか、
「この靴についている粘土質な泥はこの辺りの地域には無い土だよ」
とかとか…

ジャンル関係なく幅広い知識や見識があり、
人間の行動原理を把握し、様々な事実を組み合わせて、確固たる事実を導いていく過程が、
私にはない知識量と観察力や洞察力、思い込みのない視点からの推理を読むたびに、ものすごくワクワクドキドキしていた

そして、それまで調べていたことの点と点が繋がりだしてくると、実はそれまでにも読者でも気づくようなヒントが至る所に書いてあることに気付く

だけど、読んでいる最中はそのヒントに気付きもしないし、違和感も感じていない。
なんなら、さらーっとよんでいる

でも、シャーロック・ホームズは、ポアロは、
こんな些細なところにも気付いていたし、違和感を感じていたの?!
探偵って、すごい!!

と、尊敬のような羨ましさのような、自分は気付きもしないガッカリさも抱きながら、でも犯人がわかり最後はスッキリする

そんなところが推理小説の好きなところだなぁ…と思い返していたら、

そう言えば、大人になった私は
"観察力や洞察力、事実を事実として見る目"
というところを身につけたい!
と願っていることを思い出した

それは自己探究や占いに活かしたいから、
というのが今の私なんだけど、

"何かに活かしたい"
とかそんなこと関係なく、小さい頃から既に興味はあったんだ…ということに自分自身が気付いて、今はそれにビックリしている

《本質(魂)》が《人格(仮面)》のために用意した様々な経験を「学び」と言います。
しかし、実際は何か新しいことを学ぶのではありません、すでに知っていることを想起するのです。

魂のチャート 3章魂の年代

こういうことか…?

最初から動機や目的がはっきりしていなくても、自分の中にある本質というのは何度も思い出せばいいし、消え去ることは無いんだな

そして、
「これが出来るようになると〇〇さんに認められる」
とか、
「これを知っていたら人から賢く思われる」
みたいな理由で推理小説が好きになったわけではなく、純粋に推理していく過程に興味があり、面白さやワクワクを感じるから好き

条件のない、純粋な"好き"は私にとっては、
自分の欲求を叶えるためのエネルギーになる

今までは、そんな純粋な"好き"なんて、
何に繋がるのか私自身がサッパリわからなかったから、大切にしてこなかった

だけど、年齢を重ね、今の私だからわかる

何に繋がるかなんてわからなくても、
自分の中にある純粋な"好き"を条件をつけることなく大切にすることが、自分を活かしていくことに繋がり、経験となっていく

条件をつけずに
私の好き、私が心動くこと、興味関心があることをどんどん思い出し、今の私に繋げて活かしていってみよー