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コザクラインコとの出会い〜心理学まで〜 part1

わたしが10歳の秋のことでした。

学校から帰ると母がインコのひなを抱えていたのです。


私:「このインコなんて言うの?」

母:「コザクラインコ」

母はオカメインコを飼うと言っていたはずなのに

コザクラインコに決めた理由は見てすぐに分かりました。

ちょっとずんぐりむっくりしててユーモラスな雰囲気だから…(笑)


これが、わたしとコザクラインコの初めての出会いでした。



◆1代目コザクラインコ

10歳のときに我が家に来たコザクラインコは女の子でした。

名前はみどり、見てのままですね(笑)

女の子だってわかったのは発情して卵を産んだからなのですが💦

その当時は今みたいに温度や餌の管理の情報もなく

発情コントロールの知識もありませんでしたから

みどりちゃんは生涯に何個も無精卵を産みました。

そして

度重なる発情から毛引きをするようになりました。

今にして思えば、それが影響したのだと思います。

発情は体力を消耗します

そして、

羽が生えるためにもかなりのエネルギーを使うのです。

みどりちゃんはコザクラさんにしては短命でした。

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その当時、わたしは大学に進学して親元を離れていました。

携帯電話はもちろん個人の電話も持っていない時代でしたから

わたしはアパートの大屋さんの自宅電話に呼び出されて

みどりちゃんの死を知ったのです。


ポロポロと涙が溢れて、大屋さんから

「どうしたの?大丈夫?」

と声をかけてもらったのを覚えています。


◆2代目コザクラインコ 

大学1年から2年になる春休み、親元に戻っていたとき

小鳥屋さんから春仔が入荷しましたと連絡があり

コザクラインコのひなをお迎えしました。


今なら動物はペットショップで買うのが主流ですが

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その当時は個人経営の小鳥屋さんに予約しておくか

小鳥屋さんの店頭にいる小鳥を買う方法が一般的だったのです。


2代目も母がみどりちゃんにしようと言い

家族の誰も反対もせずすんなり決まりました。

2代目みどりちゃんは

さし餌(人が餌を親鳥の代わりに与える)が終わったころ

わたしは大学に戻り、母の入院が重なったため

父と弟が自由奔放に育ててしまいました(笑) 


新鮮な餌と水はキッチンのテーブルの上にセッティングされ

鳥かごに入るのは寝る時のみ。

性格的に明るく逞しかったこともあり

1代目のみどりちゃんのような毛引きなどもなく

元気にスクスクと育ちました。


環境が変わってもすぐに順応する長所を持ち合わせていたので

わたしが就職して、そして結婚して…

その度に住まいが変わってもいつも一緒にいました。


◆インコと共に過ごす

コザクラインコはとても愛情深いインコです。

少し強気で自己主張もするけどベタベタ甘えてくる…

あっ…

インコ臭も強めです(笑)


実は今月の初め

わたしは飼っていたセキセイインコとお別れしました。

セキセイインコは2代飼ったのですが

1代目は迷い鳥だったので年齢すらわからずじまい。

今月虹の橋を渡った子はわずか2歳11ヶ月しか生きることができませんでした。

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出来る限りのことはしたつもりですが

セキセイインコについて病気になる前から

もっと知識を入れておくべきだったという思いから

今はセキセイちゃんを飼っている友人に

わたしの知っている限りのことはお話しています。


3代目のコザクラインコとのお話は

またの機会に書いていこうと思います!

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下鶴真理(Mari Shimozuru)
 行動心理士・セラピスト

インコとの暮らしの中で
コミュニケーションや心理学も学べるのだと痛感している
そんな、インコ好きのセラピストです。

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