見出し画像

おせっかい。

持って生まれたこの性分を、ひとことで「おせっかい」と片づけていいものやらどうなのやら。しごと過多でキャパオーバーになりそうな人、既にキャパを超えている人がそばにいたら、黙ってみていられない。

なぜなら自分がキャパオーバーになった当時、どれほど辛かったか、その感覚がいまも火傷の跡のように残っているから。

キャパオーバー、とカタカナ語で書くと何だか軽く使えるが、過重負担になって出口が見えなくなった時期に経た経験は、ひとことで言って地獄の苦しみだった。そしてその頃にちょっとでも声をかけてくれた人、一つでも荷物を代わりに持ってくれた人のありがたさが、いまでも忘れられない。

とはいえ、この人やあの人は私とは違うし、どれだけ大変かを私が勝手に推し量って、手を出すべきではない。というのはわかっている。そう思って我慢する。その我慢が5分と持たない。
結局、わざわざ自分からスライディングレシーブして、こぼれ落ちそうなしごとをもらって帰ってくる。何やってんだオレは。
それでも、まあ自分は大丈夫だ。もうあんなふうにぎりぎりまで追い込むことはしない。越えたらあぶない線、その線を太く、とても太く引いておく。

がんばっている人に、がんばりすぎるなと声をかけるのは果たして効果があるのだろうか。気持ちとしては、もうみんながんばりすぎるのやめようよ、と言いたいけれど。

がんばっている人に、かけられる言葉は何もない。ただ目一杯の思いをこめて言える呪文は「大丈夫だよ」。抱えきれない荷物にまみれている人に近づいて、だまって荷物を一つ持ってあげられるよう、自分の片手をつねに空けておきたい。