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古書に溺れる愉しみ【古書-#1】

下鴨納涼古本まつりに今年も行ってきた。

永遠に続くかと思われる砂利道の左右にずらりとテントが立ち並び、縁日にでも来たのかと錯覚する。めくるめく古書の世界が視界いっぱいに広がるこの景色は毎年新鮮な感動を与えてくれる。

どうしようもなく本が好きだと思う。読むのが得意だとか苦手だとか、早いとか遅いとかそんなことはどうでもよく、なんなら読んでいるか読んでいないかすらどうでもいい、とまで思う。
本が部屋にあるということや、まだ読んだことのない本たちが本棚にあるということがまだ死ねない理由になってくれる。
そういう意味では、面白そうな本もつまらなさそうな本も等しく雑多に積まれた古本市からは、不思議な圧力めいたものを覚える。しかし、その圧力が癖になる。

この催しを知ったのは今から5年以上前、きっかけは『夜は短し歩けよ乙女』(著:森見登美彦)だった。森見登美彦はデフォルメされた京都を描かせては右に出る者がいない作家である。
作中、「私」は想いを寄せる後輩「黒髪の乙女」に迂遠な方法でお近づきになろうと奮闘する。下鴨納涼古本市では、「黒髪の乙女」が求める絵本『ラ・タ・タ・タム』を手に入れるべく、語り手である「私」が古本の神様に絡まれながら冒険する。そう、下鴨納涼古本まつりには古本の神様がいるらしい。こどもの恰好をした小憎たらしい神様なのに、態度はどこか大人びている。
そんな神様が、棚に刺された本たちが織りなすネットワークを華麗に浮かび上がらせるシーンが妙に印象に残っている。少し長いがそのまま引用したい。

「最初にあんたはシャーロック・ホームズ全集を見つけた。著者のコナン・ドイルはSFと言うべき『失われた世界』を書いたが、それはフランスの作家ジュール・ヴェルヌの影響を受けたからだ。そのヴェルヌが『アドリア海の復讐』を書いたのはアレクサンドル・デュマを尊敬していたからだ。そしてデュマの『モンテ・クリスト伯』を日本で翻案したのが「萬朝報」を主催した黒岩涙香。彼は「明治バベルの塔」という小説に作中人物として登場する。その小説の作者山田風太郎が『戦中派闇市日記』の中で、ただ一言「愚作」と述べて切って捨てた小説が「鬼火」という小説で、それを書いたのが横溝正史。彼は若き日「新青年」という雑誌の編集長だったが、彼と腕を組んで「新青年」の編集にたずさわった編集者が、『アンドロギュヌスの裔』の渡辺温。彼は仕事で訪れた先で、乗っていた自動車が列車と衝突して死を遂げる。その死を「春寒」という文章を書いて追悼したのが、渡辺から原稿を依頼されていた谷崎潤一郎。その谷崎を雑誌上で批判して、文学上の論争を展開したのが芥川龍之介だが、芥川は論争の数ヶ月後に自殺を遂げる。その自殺前後の様子を踏まえて書かれたのが、内田百閒の『山高帽子』で、そういった百閒の文章を賞賛したのが三島由紀夫。三島が二十二歳の時に出会って、『僕はあなたが嫌いだ』と面と向かって言ってのけた相手が太宰治。太宰は自殺する一年前、一人の男のために追悼文を書き、『君はよくやった』と述べた。太宰にそう言われた男は結核で死んだ織田作之助だ。そら、彼の全集の端本をあそこで読んでいる人がある」

『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦【角川文庫】p.110より

こんな景色が見えたらどんなに素敵だろう。そこから、古びた紙の束からドラマを読み取ることに強烈な憧れを抱くようになり、古本まつりに通うようになった。
ことに下鴨は特別なのだ。僕の目の前に立ち現れる下鴨納涼古本まつりは現実と『夜は短し』のそれの二重映しである。

今回は古本の神様には絡まれなかったが、代わりに素敵な本にたくさん巡り合えた。終了時刻になってもただで立ち去るのが名残惜しくて、そのまま丸善地下2階で開催している古書コーナーにも足を運んだ。何かにとり憑かれでもしたのかもしれない。
次回は古本まつりを堪能した一日で買った35冊を紹介する。


【紹介した本】

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