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2023.1.3 日本人としての芯を強く

兎年の幕開け。
皆さん、どのようにお過ごしでしょうか?
初詣には、もう行かれましたか? 

行かれた方は、そこでどんな“願い事”をなさったでしょうか?

ちなみに、『祈る』『祈念』とは、『願う』のではなく、仏様や神様の前で『誓う』ことです。

だから、その祈りが叶えば仏様や神様に感謝し、叶わなかったらお詫びをしなければなりません。

また祈りとは、“自分”のために祈るのではなく、“他者”もしくは“公”のために祈るべきと、これまで思ってこられた方もいることでしょう。

「〇〇してください」
ではなく、
「〇〇します」
と誓う場なのです。

もう少し深く説明すると、『祈る』とは、
「意をる」
という意味があります。

仏様や神様の前で、自分の“意”思を“宣”言する。
つまり、誓うということでもあるのです。

仏様や神様に対し、自分の意思を宣明したからには受け身ではいられません。

目的に向かって自ら主体的に努力を重ねなければ、約束を反故にしてしまうことになります。

少し話が脱線するかもしれませんが、日本海軍には『五省』というのがありました。

元々、旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校(現・海上自衛隊幹部候補生学校)で用いられた五つの訓戒ですが、現在でも海上自衛隊の隊員やOBは、この五省をよく口にします。

<五省>
一、至誠にもとるなかりしか(真心に反する点はなかったか)

一、言行に恥づるなかりしか(言動に恥ずかしい点はなかったか)

一、氣力にくるなかりしか(精神力は十分であったか)

一、努力にうらみなかりしか(十分に努力したか)

一、不精にわたるなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)

“意”を“宣”ってしまうと、正にこれらの言葉に見合うような生き様をしなければ、仏様や神様には顔向けができません。

しかし現代では、日本の主君たる御本仏、仏に誓願を立てた諸天や善神、そして仏法の守護者として我が国に君臨する天皇家や皇統への畏怖・畏敬の念が無くなった、あるいは少なくなりつつあります。

確かに、自分のために神社や仏閣で、
「儲かりますように」
などと祈るとしたら、なんと他力本願で自己本位で仏様や神様に対して失礼に値するでしょう。

それは、祈りというよりは、ただの甘えだと思います。

台風や地震、津波、噴火など大自然が時として猛威を振るうのは、仏様が諸天に働きかけ、時として荒ぶらせ、衆生を正しき方向へ向かわせる導きをされていると言います。

だから甘えてばかりいれば、それ相応の仏罰・神罰が与えられることを忘れてはいけません。

最後に、私が朝夕、手を合わせてご祈念している一つをご紹介したいと思います。

「日本人一人ひとりが大和魂を取り戻して、八紘為宇はっこういうの世界を実現します」

『八紘為宇』というのは、神武天皇が日本建国の際に出された『橿原奠都てんとの詔』にある、
八紘あめのしたを掩ひていえと為む」
をまとめた言葉です。

つまり、
「天の下にひとつの家のような社会を築いていく」
ということです。

実は、最近までの祈りは、
「日本人が大和魂を取り戻して、八紘為宇の世界を実現“できますように”」
でした。

しかし、ある時をきっかけに、“できますように”から“します”へ祈りを変えてしまったがために、これまでと同じような生き方はできません(笑)

ですが、せっかく人として生まれ頂いた命。
しっかり使い切るためにも神仏に感謝しつつ、天命を果たす半生にしていこうと願うばかりです。

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