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2023.5.27 60年間隠され続けた真珠湾の真実

今回の記事では、米公文書館で公開可能となった一次史料の内容を基に、60年間完全に封印されていた『真珠湾攻撃』の真実を解き明かし、更に真珠湾以降、アメリカが関与した戦争を分析することで見えてきた、彼らの“常套手段”を暴いていこうと思います。

如何にアメリカが戦争を裏で操ってきたのか…。
なぜ、いつも日本は外国に対して弱腰姿勢なのか…。
その原点を知ることができるでしょう。


真珠湾攻撃は失敗だった?

<ニイタカヤマノボレ一二〇八…>
1941年12月7日 午前8時頃。
まだ日も昇りきらない寒空の下。

1機の航空機がハワイの上空を駆け抜けると共に、爆弾を投下…。
真珠湾攻撃の火蓋が切られました。

航空機を皮切りに、次々と流れ込んでくる爆撃機。

完全にアメリカの不意を突いた日本は、大量の軍用機や戦艦を破壊、2400名にも上る兵力を削ぐことに成功。
日本の攻撃は素晴らしい成功にも見えました…。

「やった!やったぞ!これで我らの勝利だ!」

そう歓喜の声を上げていたのは、日本軍ではなく…、綺麗なスーツを身に纏う“ある男”でした。

男の名前は、アメリカ元大統領のフランクリン・ルーズベルト。
真珠湾は大打撃を受け、多くのアメリカ人たちが犠牲となったにもかかわらず、なぜ彼は喜んだのでしょうか?

実は、公開された一次史料の極秘文書から、その理由が明らかになってきました…。

謎① 宣戦布告文は、既に把握されていた?

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