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2019.8.21 小石が祀られた栗林中将の祭壇

「日本は負けた国だからといって遺骨収集すらしないんですね。」

アメリカ兵がこう言うと、
「お気の毒だから、私たちが石をあげましょう」
と、アメリカ兵は遺骨の帰りを待つ日本人遺族に小さな石ころを渡した。

それ以来、硫黄島の戦いで亡くなった栗林中将の祭壇には、遺骨ではなく硫黄島の石ころが祀られるようになった。

その傍らには、栗林中将が戦死した最後の総攻撃の様子を詳細に記した1通の手紙が添えられている。

それは、栗林中将とともに総攻撃に参加し、生還を果たした1人の陸軍下士官が、栗林中将の妻に送ったものであった…。


現代では語られることがほとんどなくなった硫黄島の戦い。

火炎放射器や最新兵器を使用していた米軍に対して、限られた銃しか持たず、命尽きる最後の最後まで果敢に戦った約2万人の日本兵たちは、9割以上が農民、商店主、サラリーマン、教師といったごくごく普通の一般人でした。


彼らが粘り強く戦ったおかげで、米国による日本本土空襲まで時間を稼ぐことができ、多数の日本国民が田舎に疎開。
一つでも多く、少しでも深く防空壕を掘ることができたのです...。

しかし…

あろうことか、それらの日本兵約11,000柱を超える遺骨は、今もなお滑走路のコンクリートの下に埋もれ続けています...。

日本のために命を懸けて戦った我々の先祖は、誰にも弔われること無く見捨てられ、忘れ去られてしまっているのです…。

遺骨収集をしないことは、世界的に見て非常識なこと。

しかも先進国の日本がそれをしないのは、非常に恥ずかしいことなのです…。

終戦の時期だからこそ、一人でも多くの人にこういった事実について知って頂きたいと思います。

そして、戦争で亡くなった先人の思いを忘れないように考える機会にしてほしいです。

硫黄島の戦いについての記事は2019.8.15 忘れ去られた日本の英雄をご覧頂けると幸甚です。


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