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2020.3.25 バブルを崩壊させたアメリカの逆襲

今回は日本企業が騙されたロックフェラー買収の罠について書いています。

皆さんは昭和の日本を覚えているでしょうか?

1960年、池田首相の所得倍増計画。

1964年、東京オリンピック。

1970年、大阪万博。

焼け野原が嘘だったように奇跡的に蘇った日本は、働けば働くほど給料が上がり欲しいものが手に入る。

トヨタ、ホンダ、ソニー…、世界が羨むような技術力が注目を浴びる。

急速な復興を遂げて世界を驚かせるばかりか、世界中の憧れの的になっていきました。
そして、世界のお手本にすらなった日本が目を向けたのは、世界を代表する金融とビジネスの街、ニューヨーク。
その一等地にあるマンハッタンの高層ビルを一つ、また一つと買収し始めました。

さらに、誰もが憧れるリゾート、ハワイのワイキキにある有名ホテルの4分の3をも買い占め、まるで敗戦の汚名を晴らすかのように世界を席巻…。

そして、1989年10月…。

ついにアメリカの富の象徴ともいえるロックフェラーセンターの買収に動きます。
高層ビルが立ち並ぶこの場所は、ニューヨークを語るには欠かせないほど象徴的な存在で、アメリカの魂ともいわれていました。

買収したのは、三井や住友と肩を並べる日本の大手不動産会社の三菱地所でした。

当初の発表では、1200億円とされていたロックフェラーセンターの買収。
しかし、まるで日本の覚悟を試すかのように、アメリカは交渉の過程でどんどん金額を釣り上げていきました。
最終的にアメリカ側が提示した金額は2200億円。
予定の約2倍…、1000億円も上乗せされていました。

しかし、それでも決して折れることなく三菱は契約書にサインし、買収が成立。

日本はとうとうアメリカの象徴すら手に入れたのでした…。

しかし、この話には続きがあります。

三菱のロックフェラーセンター買収は、アメリカが企てた作戦の始まりに過ぎなかった。

当時、ロックフェラーセンターがあるニューヨークは落ち目でした。
「マンハッタンなど捨て去れ」
「ウォールストリートは狭すぎる」
といった意見が飛び交い、経済の中心はニューヨークがある北東部から、シリコンバレーのある南西部へと移り始めていました。
経済が移ると、政治も連動して動きだします。
当時のブッシュ・シニア政権の長官クラスは、南西部の出身者が中心となっていました。

そして、三菱による買収劇の翌年…

ついに、ニューヨークの不動産価格が暴落を見せ、ロックフェラーセンターは突如として利益が出ない劣悪な物件に成り下がってしまいました。

そして追い打ちをかけるように、もう1つの問題が表面化してきます。

もともと戦争の被害も自身の被害もないニューヨークのマンハッタンでは、建物の入れ替わりが遅い。
“伝統ある”といえば聞こえはいいが、建設から60年ほど経ったビルは老朽化が激しく改装の費用が嵩んだ。

経営が苦しくなった三菱。

とうとうロックフェラーセンターを維持できなくなります。
ビルを売りに出すものの買い手はつかない。

窮地に陥った三菱…。

価格を下げ、ようやくビルを手放せた頃には、買収した時の3分の1の価格になってしまっていました。
わずか6年で1500億円もの大損でした。
この一連の買収劇は、ニューヨークの地下暴落を予期したアメリカの
「高く売り、安く買い戻す」
そんな作戦に踊らされていただけだったのかもしれません。
そして、この買収劇を利用して、アメリカはさらなる攻撃を日本に向けます。

ニューヨーク・タイムズは三菱地所の買収直後、一面に
「日本人がニューヨークの記念碑を買収」
と大きく報道。

「アメリカ経済の神殿、経済の富の象徴に日本が手を出した」
「ジャパンマネーによる資産の買い漁りだ」
などとアメリカのメディアは次々と掻き立て、アメリカ国民の感情を逆撫でするように掻き立てた。

この買収劇が起きる直前、当時のアメリカでは日本の経済発展を基に貿易摩擦が激化していました。

良質な日本車の輸入で、アメリカの自動車産業は打撃を受け失業者が増加。
アメリカ企業が日本市場に参入したくても規制で入れず、産業界の不満が募ります。

アメリカ議会でもジャパン・バッシングが流行。
国際社会に「日本の極端な円安せいだ」と是正を訴えるほど。
アメリカの対日貿易赤字への不満は今にもはちきれそうでした。

そんな中、流れた“アメリカの象徴”買収報道。
不満が爆発するのは当然でした。

一層、強さを増すジャパン・バッシングの嵐。

中には零戦が登場する映画のワンシーンまで流し、まるで日本がアメリカを侵略しようとしているというイメージを掻き立てる番組もありました。

「絶対、日本に復讐してやる…」こうしてアメリカの雰囲気がガラリと変わっていきます。1500億円を搾り取られるばかりか、ジャパン・バッシングのネタにもされたロックフェラーセンターの買収劇。

しかし、日本がアメリカの掌の上で踊らされていたのはそれだけではありません。

「バブル崩壊」すらもアメリカのシナリオ通りだったのではないか?

というのも、バブル崩壊の2年前、アメリカ国務省の元高官の発言によると、

「次の総理大臣は宮澤さんなんかどうですか?」
「彼、英語もできるし」
その言葉通り次に選出される総理大臣の名をぴしゃりと言い当てていました。
いや、名指ししていたという方が正しいかも知れません。

そして驚くべきはその理由。
アメリカ国務省の高官も務めた人間が日本の総理に求めたのは、政治の手腕ではなく単に英語ができること。

日本は自分で考える必要などなく、アメリカが言うことを理解して言いなりになっていればいい、そう言われているようなものです。

実際に総理大臣となった宮澤喜一。
彼の任期の間にバブルは崩壊。

日本経済は転落の一途をたどることになりましたが、「バブル崩壊もアメリカの圧力があった」のではないでしょうか。

アメリカが我が物顔で日本を操るというのは、バブルの時だけではありませんでした。

ちょうどバブル崩壊の頃に起きた湾岸戦争では
「同盟国が戦争しているのに、日本は何もしていない」
「日本はなにもしていないから、せめて戦費は出せ」
と非難を浴びせ、カネを要求。

当初10億ドルだった要求は、もっと出せ、もっと出せとエスカレートして行き、最終的にはその13倍、日本円にして1兆5500億円まで一気に膨れ上がりました。
国民一人当たり1万円以上…、それほどの大金を携えて当時の海部首相は直接アメリカへ赴いたにもかかわらず、大統領はホワイトハウスで出迎えるどころか、ゴルフの合間に空港でお金だけを受け取り、日本へとんぼ返りさせたのです。

多額の血税を投じてまで、同盟国として日本とアメリカの協力関係を示したかった海部首相。
しかし、ブッシュ大統領のあまりに冷淡な対応に、日本はコケにされました。

こうして日本は、アメリカにとって操り人形のように扱われてきました。
そして今でも日本は、カネを出せと言われれば出し、謝れと言われれば謝るなど、アメリカの望み通りに動かされています。

日本人が想像を絶するほどお金持ちだった1960年代のアメリカ。
日本の戦前と戦後を分けるのは1945年ではなくて1960年ともいえます。
1960年が節目となり、そこから日本が激変していきます。
国民として、国としてだんだんお金持ちになっていく、その過程で日本人は何を犠牲にしたのか。

アメリカがタダで市場を開放するわけはありません。
日本人がアメリカのドルを稼ぐために差し出したのは、日本人の誇り。
日本人ができるだけアメリカに近くなるような精神的、心理的な変化。
アメリカは日本を二度と強くしたくないので、できるだけお金で釣って弱い日本を作っていく。
この片棒を継いだのは日本の政治家たちと日本の大手企業、それに気づかなかった日本人です。

そして、日本がアメリカに操られているのはそれだけではありません。

毎年、米軍基地にかかる巨額の資金を負担するも一向に終わりの見えない基地問題。

アメリの手によって作られた日本国憲法。

カネか命かを問われ、アメリカの顔色を窺ってばかりの自衛隊の海外派遣。

今もなお、アメリカによる日本の支配は終わっていません。

学校やマスコミでも、こうした真実に触れられることはありませんでした。

それはアメリカの策略通り、目に見えない形で続いていくのです。
でも、日本国民のほとんどはアメリカという黒幕に気づけないでしょう。

日本が急速に経済発展を遂げた1960年からの世界。

アメリカはその時、日本をどう見ていたのか。
そして、今も世界をどう見ているのか。

歴史を知らなければ、私たちは永久にアメリカの基地のままかもしれません。

日本で暮らしていて、これを知らずして生きて良いのでしょうか?

もし、日本から一歩離れたアメリカの視点から戦後日本を巻き込んだ歴史の動きを紐解いていけば、皆さんが生きてきた時代さえも、新しい視点から見つめ直すことができると思いますし、見える世界も変わってくるでしょう。

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