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2019.9.2 マッカーサー v.s. 昭和天皇 ~敗戦から始まった知られざる戦い~

1945年9月2日

日米大戦が終わった正にその日、日本の新たな戦いが始まりました。

雲が低く垂れこめた鉛色の空の下、東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号の甲板で、日本はポツダム宣言の降伏文書に調印。

5年にわたって国力の全てをつぎ込み、日本だけでも200万人以上もの死者を出した日米大戦はこの日、幕を下ろしました。

その調印からわずか数分後、マッカーサーは日本の占領を目前にこう演説しました。

「精神の再復興と人類の性格改善が行われなければならない」

「まず精神から始めなければならないのだ」

日米大戦の幕が下りた正にその日、日本の「精神」を巡る戦いの火蓋が切られたのでした。

マッカーサーが描いた計画は、日本の『古くて野蛮な』伝統文化を消し去り、『先進的で民主的な』キリスト教で上塗りすること…。

後に、「後世の歴史家に『連合国の軍人』としてではなく、『キリスト教を日本にもたらした人物』と書かれたい」と語るほど、日本のキリスト教化に情熱を注ぎました。

手始めに、『古くて野蛮な』日本文化を消し去るため、日の丸の掲揚を禁じ、修身・地理・日本史の授業を廃止、武士道や歌舞伎など、日本の伝統文化を描いた映画すらも禁止しました。

愛国心・誇り・道徳・歴史・文化…、長い年月をかけて育まれ、脈々と受け継がれてきた日本の「心」を次々と奪い取ると、ぽっかりと空いた精神の空白にキリスト教を流し込み始めます。

布教に欠かせない聖書は、日本が降伏する2年も前からポケット聖書連盟に用意させていました。

当時の人口7200万人に対し、1000万冊。10人に1冊以上もの聖書を惜しげも無くばらまきました。

さらに、海外からの渡航が厳しく制限される中、自身の権力を使い、宣教師を呼び寄せました。

日本のキリスト教化に必要とされた宣教師の人数は1000人。

しかし、実際に来日した宣教師はその3倍、3000人を超えました。

そして、キリスト教は次第に権力の座を獲得していきます…。

キリスト教のための教育の場として国際基督教大学が作られ、キリスト教徒の首相が誕生し、キリスト教徒が゛昭和天皇の側近”となり、皇室で聖書を学ぶ「バイブルクラス」が開かれるまでになりました。

「白人が45歳だとすると、日本人は12歳の子供のようなものだ」

「勉強中は誰でもそうだが、新しい手本、新しい理念を身に着けやすい」

「我々がどうにでも好きなように教育できるのだ」

占領軍の最高司令官の任を解かれ、アメリカへ帰国したマッカーサーはそう演説したといいます…。

脈々と絶えることなく、世界で最も長く流れ続けた日本国の歴史。

そして、その年月の中で成長し、洗練され深められてきた日本の文化。

マッカーサーはそれらを軽視し、奪い取るばかりか、その空白に付け込み「キリスト教」という外来の価値観を押し付けようとしていました…。

しかし、皆さんもご存知の通り、日本にキリスト教が定着することはなく、現在、日本のキリスト教の信者は200万人未満。日本人全体の1.6%程度に過ぎません。

「日本のキリスト教化」はマッカーサーが行なった占領政策で唯一失敗したものと言っても過言ではないでしょう。

マッカーサーによってわずか1週間で作られ、日本の軍事力を奪った日本国憲法。

書籍や新聞を検閲し、日本のメディアを親米・反日に歪めたプレスコード。

「日本は戦争を起こした悪い国だ」と教え込み、愛国心を奪った教育改革など、数ある占領政策はほとんど成功したにも関わらず、なぜキリスト教化だけは失敗してしまったのでしょうか?

そこには、当時日本で最高の権力を握っていたマッカーサーに対し、大きなリスクを背負いながら、駆け引きを繰り広げた昭和天皇の孤独な戦いがありました。

皇室の存続をかけたマッカーサーとの駆け引きの最中、皇室内においてもキリスト教の側近に囲まれ、国外からは「処刑」を求める批難の声に晒されていた昭和天皇。

そんな苦悩の日々の中で、世界に誇る伝統を、偉大な文化を、なにより「日本が日本であること」を守り続けました…。

もしも当時、日本がキリスト教化していたとしたら、2600年以上も日本の中心としてあり続けてきた皇室の伝統は失われ、食事のたびに口にしている「いただきます」や「ごちそうさま」、お正月や節分、ひな祭りといった行事、出産祝いや七五三、成人式、結婚式といった人生の大きな節目など、今も当たり前のように残っている神道に根差した習慣も、失われていたかもしれません…。

銃弾が飛び交い、血が流れ、多くの命が失われた日米大戦。

その存在を知らない人は、この日本にほとんどいないことでしょう…。

しかしその後、日本を待ち受けていたこの精神の戦いについては、ほとんど知られていません。

昭和天皇はどのようにして改宗への圧力をかわされたのでしょうか?

どれほどの御覚悟で、日本の伝統を守ろうとされたのでしょうか…?

そして、この戦いを経て日本は何を失い、そして何を守り切ったのか…?

今の日本を生きる1人の日本人として、ぜひ知って頂ければ幸甚です。

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