封じ込め力
何気なく3ヶ月ぶりにつけたNetflix。
それは、東日本大震災をベースにしたドラマ『そして、生きる』だった。
いつも自己啓発とか英語のスキルアップとか、そんなものばかり見ていて学び疲れたせいか、ストーリー性のあるドラマや物語が無性に見たくなって何気なくつけたものだった。
ボランティアさんが被災者の自宅を掃除しているシーン。ニュースではリアルなものを、ドラマでも映画でも何度も何度も目にして来たシーンなのに、なぜだか涙がじわじわととめどなく溢れて来た。
その涙を止めることもせず、ただただそんな自分を観察してみた。
メタ認知。
遠くから自分を観察する力。
私が長い間かけて少しずつ手にしてきた道具のひとつ。
人は悲しいとか苦しいとか感じる前に自分の身体を硬くして感情を封じ込めて生きているんだろうなと思った。
もはや、感情は麻痺しているから、自分が何かを封じ込めていることにさえ気付かない。そして、それはいつしか過度の緊張やストレスを産み、人によっては、病気や精神疾患など身体の物理的な症状として現れたりもする。
私が今、長い長い年月を超え、今更ながら、いや、今になってやっとやっとそういった自分が無意識的に封じ込めて来たものを感じられるようになったのは、とことん自分と向き合ってきたからだと今あらためて思う。
何をやっても変わらない、何をやっても進まない。そんな風に思いながらも、自分を諦めきれなかった。今、そんな自分に自ずと深く感謝が湧いてくる。
と、同時に自分の身体と心が今まで感じられなかったことを感じることが出来るまで緩んで来たことを感じる。私のここ最近の怖い怖いという感情、身体の強張りは、きっとここら辺と繋がっているんだと思う。自分の本音が、本性がどんどん表に出て来ようとする。それに対する最後の悪あがきだったのかもしれない。
自分が自ら切り捨て、どこかに置き去りにして来た自分のカケラと繋がっていく。これを統合というのかな。
自分が自分を受けとめられる安心感。
私は今ここにいる。
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