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「不思議な薬箱を開く時・薬種・薬剤編」

いらっしゃいませ。
歴史の片隅に息づく神秘の伝統薬をご紹介致します。

「不思議な薬箱を開く時・薬種・薬剤編」へ、ようこそ。
今回は、どの様なお薬が登場致しますか。
ささ、薬店内へ、どうぞ、お入りくださいませ。

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「人面瘡治療薬法」について・5


さて、いよいよ、日本編に入らせていただきます。

「山城国小椋に、ある農夫が体調を崩しし末、半年後に左足に腫物がにきたり
この腫物は人の顔のごとく目と口があり、いみじき痛みを伴ひき
試しにその口に酒を入るれば酔ひしやうに赤くなり、
なほ餅や飯を入ると、物を食ふやうに口動かして飲み込みき
食ひ物を与ふと痛みのひきしものの、食ひ物を与へずとわりなき痛みに襲はれき
そのうちに農夫は骨と皮ばかりに痩せこけ、あちこちの医者を頼れどたえてしるしはなく、
死を待つばかりとなりき
そこへ諸国を旅せる行ひ者訪れ、腫物を治すよしを知れば言へば、
農夫は田畑をさながら売却して金に換へ、れうを支払ひき
行ひ者はその金にさまざまなる薬買ひ集め、一つずつ腫れ物の口に入れしところ、
腫れ物はそれをことごとく飲み込めど、貝母といふ物ばかり嫌がりて口にせむとせざりき
さて貝母を粉末にし、腫れ物の口に無理やり入れしところ、
17日後に腫物は治癒せりといふ」

ーー浅井了意著『伽婢子』九巻「人面瘡」よりーー

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「親の因果が子に報い」
仏教思想では、親の罪科の結果が、子孫に現れるとされています。

この「人面瘡」も、因果が原因である、と、されることも多いようです。
『伽婢子』に記されている物ですから、作り話であり、想像上の奇病である、とされていますが、
各地の地方史や紀行文などに、わずかながら残されており、
奇跡が味方しない限り、死に至る病であるとされています。
何しろ昔のことですから、真偽のほどは不明でありますが、
日本各地、世界各地に残されている記録や処方を鑑みますと、
果たして、架空の病とは言い難いものがございます。
風土病であるとされたり、伝染する病とされたりしてますが、
その真偽の程は、定かではありません。

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さて、
『伽婢子』に登場する”貝母”は、中国から渡来しました。

「人面瘡」対策の薬種としては、この”貝母”しか、記されておりません。
では、少々、貝母についてのご説明をさせていただきます。

貝母は、ユリ科のアミガサユリのりん茎を乾燥させたものです。
漢方的には、清熱、止咳、化痰、散結の効能があり、
肺の化膿性疾患や咳、痰、咽頭痛に用いられます。
生薬として日本薬局方に収載されており、粉末が去痰・鎮咳・催乳・鎮痛・止血などに用いられます。
貝母は、清肺湯、滋陰至宝湯などの漢方処方に使用されます。
鱗茎をはじめ全草にフリチリン・フリチラリン・ベルチシンなどのアルカロイドを含んでいます。
心筋を侵す作用があるので副作用として血圧低下、呼吸麻痺、中枢神経麻痺を引き起こす事もあります。
また、呼吸数や心拍数が低下する事もあるため、使用時は量に注意しないと死に至ることもあります。

洋の東西を問わず、「人面瘡」の対処投薬には、
強毒性を持つ薬種が多いようです。

イメージ的に、「人面瘡」を殺す為の効果を利用しているようですね。

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「道奥諸時誌方」という記録書に残されている「人面瘡」らしき奇病の記録は、山城国の症例とは、相違点がいくつかあります。

元和一年、道奥にある豪農に伊佐という一人娘があった
ある時、突然の高熱に倒れ、三日の間苦しんだが、
その後、熱は下がり健康に戻った。
熱は下がったのだが、肩口に固い痼りが出来、
その痼りは、やがて赤みを帯びた腫れ物となる。
はじめは痛みもなく、ただ、煩わしいだけであったのだが、
やがて腫れ物は、熱をもち膿み始めたように見えた。
しかし、それは膿んでいるのではなく、
日に日に醜怪な人の顔に似てきた。
皆、驚き恐れ、伊佐に寄り難く思い始めた。
使用人たちは、怪異と祟りを恐れ館を離れて行った。
尼寺の尼僧二人が伊佐の看病をしていたが、
伊佐が深く眠っている時、
何者かが笑ったり、ぶつぶつと話している声が聞こえるなど、
怪しい事が起こりはじめた。
尼僧たちは、毎日のように御仏に念仏をあげ、
怪異から伊佐と自分たちを護り賜るよう乞い祈った。
大枚を支払い、高名な医者を招きもしたが、
病因は知れず、腫れ物はますます醜怪と化し、
悪辣な人の顔の様相を呈した。
挙句、手当てをしようとした尼僧の指に噛みつき
肉を引き千切った。
人肉の味を知った腫れ物は、
手当てをしようとする者に、仕切に食らいつこうとする。
腫れ物は、餓えると伊佐に激しい痛みを与えた。
医者は、伊佐の乳母、尼僧たちの血を碗にとり、
腫れ物に飲ませる事で、人肉を求めて伊佐を痛めつけることを和らげた。
やがて、腫れ物は堂々と悪態を吐き始め、
腹が減った、人の肉を食わせよ、と、喚いた。
年嵩の尼僧は、悪鬼邪霊の調伏を得意とする高僧に助けを求めた。
多宝円坊という高僧は、中国伝来の処方で妙薬を調剤し、
腫れ物の口をこじ開けて流し込むと、すぐ様顔を歪め、
三日三晩、吐血をつづけて、遂には乾いた瘡蓋となり、剥げた。

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この地誌の記録では、人面瘡は枯れさせましたが、
伊佐は、精も根も尽き果て、寝ついたままなくなってしまったようです。

この中国伝来の調剤薬種は、
この地方で、また、恐ろしい腫れ物が出ないとは限らぬと、
処方を書き残して行ったそうです。
明確な薬種ばかりではありませんが、
ご紹介させていただきます。

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「腫物」の処方薬

毒蜀花根・・・・・・五本
夜盗虫草・・・・・・五本
古今珪石・・・・・・親指大二個
附子種・・・・・・・一握
蝮油糖片(黒糖)・・・二欠
薬師如来閼伽水・・・尺二杯

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注訳

毒蜀花根、夜盗虫草、古今珪石、附子種は、
全て陰干にして、粉砕します。
蝮油糖片の使用する糖は、純粋な黒糖を使用し、
この全てを薬師如来閼伽水でよく溶かします。

諸注意

高僧、多宝円坊は、処方の際、
両手に、毒気による酷い火傷様の痛手を負ったそうです。
処方には、肌の出ない完全防備を心掛けましょう。

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