劣等感の遺伝

正月。祖母の妹を尋ねたら、「痩せt…スリムになった?」と聞かれた。彼女のなかでどういう線引きがされているのかよくわからないけれど、彼女なりの工夫が伝わって嬉しかった。

しかしそのあと祖母宅に着いたら、挨拶もそこそこに「痩せたって聞いたけど、どう、顔見せてごらん?」と言われた(ほんとにこう言われた)。妹から電話で聞いていたらしい。

不機嫌を押さえられず、顔を向けなかった。

祖母は、こういう外見評論をあっけらかんとやらかす。悪いことだなんて微塵も思っていない。自分にも厳しく若ていころはかなり細く、今は年相応の体型だけれどそれは全く受け入れていない。メイクは濃くて、髪は赤くて、なんかもうディズニー映画の魔女みたいだ。

なぜ祖母は、こんなにも外見にこだわるのだろう。

そういえば、祖母が嫁いだこの家は芸妓や舞妓の事務所である置屋だったと聞いた。はす向かいの家は舞妓の教育係、検番さん。家の裏の商店街はいわゆる花街というわけだ。祖父が小さいころはたいそう華やかな世界で、祖父は戦前生まれながら朝ごはんにパンを食べ、クリスマスにプレゼントをもらっていたと聞くからびっくりする。

そんなところに嫁入りした商家の祖母は、きっと劣等感があっただろう。祖母が今でもさつま芋を嫌うのは、これしか無くてツルまで食べた記憶が戻ってくるからだと聞いたことがある。なかなかの差だ。

そういう経験が外見コンプレックスを生んだのだろうか。そして勢い余って孫の容姿まで気になっちゃうんだろうか。何十年と歳を重ねたって、昔おぼえた劣等感はその人のなかにドロっと沈殿しつづけるのかもしれない。いろんなものが足されて薄まったとしても。

こちらからしたら、いい迷惑だ。
でも、こうして祖母の胸のうちを想像すると、少しだけ受け入れられた。

勝手に考えてるだけだから、本当は違うのかもしれない。祖母からしたらそれこそ“いい迷惑”だ。でもこんな話、本人と顔突き合わせてできるほど深い関係じゃない。

だから勝手に想像して納得して良いことにする。許して、ばあちゃん。

冒頭の場面でどんな表情をすれば良かったのかは、結局わからない。きっとこれからもたくさん表情に迷うし、たくさんギクシャクする。でも顔を向けないままの関係はいやだな、と思うくらいにはばあちゃんのこと嫌いじゃないから面倒なんだ。誰か糸口があったら教えてください。

ちなみにそんな祖父母はお見合いの多い時代に職場で恋愛結婚。今でも東京に来ると、銀座の歩行者天国を手をつないで歩く。ちなみに私はちょっと恥ずかしいから5メートルくらい離れて歩く。幸せそうで、何よりだ。

新年早々ネガティブな入りのnoteだけど、こうしてネガティブを理解することでハッピーな1年にしたい。それが今年の抱負。

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