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File4:株式会社井筒屋商栄 山下 太郎さん

柔軟なアイデアで時流に合わせて業種業態を変化


S'allier 第4回目のお客様は、京都で写真業と婚礼衣裳製造・卸業を営まれている株式会社井筒屋商栄代表取締役の山下太郎さんです。

山下太郎さん

株式会社井筒屋商栄は姫路の呉服店の次男だった山下さんのお父様が京都に来て呉服店として創業。その後、顧客から婚礼用の打掛が欲しいと要望されたことをきっかけに婚礼衣装製造と卸を始めたそうです。そして、婚礼衣装の主流が打掛からウェディングドレスに変化し需要が減ったことから、写真業に進出。現在は、式場やロケでのブライダル写真の撮影のほか、写真スタジオ「クレアーレ」を運営されています。
今では当たり前になった婚礼衣装を着て名所旧跡等で写真を撮るロケーション写真ですが、実は最初に始めたのは山下さんだそうです。
他にも前例にとらわれない自由な発想で時流を捕えて来た山下さんの秘密に迫ります。

 
柔軟さは家系
―呉服屋さんからスタートして婚礼衣装、写真業と時代の流れに合わせて業種業態を大きく変化されていますが、その柔軟性の源は何ですか?
姫路の呉服店を営んでいた祖父には父を含めて男4人女2人の子供がいたのですが、全員実業家で所謂やり手でした。上に兄と姉を一人ずつ持つ3番目次男の父は子供の頃、手の付けられない悪童で、持て余した祖父母が一時期寺に預けたほどだったと言います。母と結婚して京都に来て商売を始めたのですが、そこでも波乱万丈だったそうです。呉服店から婚礼衣装の製造卸に転換したのは父で、それが大当たりしたことで40代で自社ビルを建てるに至りました。私が生まれた頃には商売も軌道に乗って、お陰で何不自由なく育ちました。写真業に進出したのは私ですが、そういう決断をしたのは祖父や父の商売人としての気質を受け継いでいるからかもしれませんね。
祖父もかつて和装が激減する時代の変化を受け、呉服店から冠婚葬祭業への業種転換しましたし、父も私も変化には抵抗がない環境に生まれ育ったと言えるでしょう。ちなみに、祖父の始めた冠婚葬祭の互助会「117グループ」は他の互助会の吸収合併なども経て、現在約30万人の会員を持つ大きな組織に育っており、従弟が跡を継いでいます。
 

父の時代のパンフレットの写真


―若い頃からお父様の跡を継ぐと決められていたのですか?
子供の頃から「跡継ぎだ」と言われて育ったので当然だと思っていました。大学卒業後、群馬などの同業者で修行したのち、28歳で戻って来て東京の取引先を担当しました。しかし、30歳過ぎぐらいの頃、婚礼衣装の洋装化などの兆しが出て来てこのままでは危ないという予感がありました。そして、その後すぐにチャペルウェディングが流行り、雑誌ゼクシィが創刊され…。和装婚礼の需要が大きく低下しどん底に突き落とされました。
結果、大幅なリストラを敢行し、子供頃よく遊んでくれたベテランの従業員も退職して行くなど激動の時代となりました。
 
 

成人式や七五三写真の「前撮り」を知ったことが大きなきっかけ


―そんな中で光明となったのが写真ですね。現在は売上の6割が写真業と伺いましたが、写真業に参入したのはどういうきっかけだったのでしょうか?
きっかけは展示会に写真館の人が来て振袖を大量に購入してもらったことでした。聞けば、毎年2000組ほどの成人式写真を撮影するのだと言います。成人式の写真はその日に撮るものだと思っていたので、どうやってそれだけの人数を捌くのか聞いてみると、年間を通じて自分の都合の良い時に撮影する人がいるのだそうです。そこで「前撮り」というシステムを初めて知りました。
その後、写真館をすればいいのにと勧められたのですが、もともと父が建てた自社ビル内に着物の展示場を持っていたのですが、その一角を写真スタジオにしていたので、それを活用することにしました。
写真には技術が必要ですが、多趣味だった父の趣味の一つが写真だったこともあり、手探りからスタートしました。
 
―今のスタジオはその頃に建てられたんですね。
そうです。父にとっては自分で建てたビルを壊してまた建てるということになりました。スタジオを持ち、娘をモデルに七五三写真のチラシを撒いたところ大きな反響がありました。いわゆる子供写真館の走りのような感じで、年間約600組の撮影をしました。しかし、いくら撮影日は「当日」に限らないとはいえ、撮影は8~10月に限ります。また、私もカメラマンとしての勉強を重ねたものの、最初のうちは技術も十分ではなく、薄利多売で行くしかありませんでした。
それでは埒が明かないと思案した結果、前述した親戚の冠婚葬祭企業に営業に行き、ブライダル写真の受注をもらうことができました。
 

スタジオの外観。奥が自社ビル


写真業界の常識にとらわれない発想が成功の源に


―今でも忙しくされている結婚式のスナップ撮影ですね。
結婚式の写真というと集合写真やかしこまった固い写真が中心だった中、新郎新婦や親族、参列者の自然な表情を撮るスナップ撮影を請け負いました。今までなかったスタイルだけに式場からも高い評価を頂きました。写真業界にどっぷりやって来たわけではないので業界の常識に縛られず斬新なことにチャレンジできた面があります。
私だけではカバーしきれないので式場のある地域で活動する人などカメラマン20人の協力を得て仕事を回しています。当時、協力カメラマンも若手が多かったのですが、フィルムカメラの時代にフィルム5本、180カットで良い写真を撮り切るという条件で仕事をした結果、私を含めてカメラマンとしての技術がメキメキと向上しました。
結婚式場からは他の写真館とは全く違うという高評価を頂き、もともと入っていた業者から契約を切り替えてもらうこともできました。
ただ、私自身の写真はその場のライブ感を大事に感性で撮影している部分が多く、こういうシーンを狙えば良いとかこういう角度で、こういう明るさで…などと言葉で説明することが難しいのがウイークポイントかもしれません。
 
―後進の方々には習うより慣れろですね。すごく職人ぽくて、個人的には好きです
ところで、婚礼衣装を着て名所旧跡で撮影するロケーション写真を最初に始めたのも山下さんですね。
そうなんです。当時は斬新なアイデアで好評を得ました。しかし、参入障壁が低いので競争が激化し、少なくなってしまいました。現在はスタジオでの撮影がメインになっています。
 

新たなアイデアでさらなる広がりを目指す


―また最近になって新しい事業も始められたんですね。
ブライダルカメラマン向け婚礼衣装レンタル事業です。婚礼写真を手掛けるフリーのカメラマンに撮影用として明治記念館にも愛顧して頂いている当社の衣装を安価で貸し出すというもので、衣装レンタルに留まらず着付け師やヘアメイクスタイリストの紹介も行っているほか、衣装についてののアドバイスや相談にも応じる体制を整えています。
婚礼業界で活躍するフリーカメラマンの多くは決まった結婚式場や写真館と契約し、下請の形で仕事を受注しているケースが主流で自分自身に営業力のない人が多いのが実情です。今後は美容師さんなどとも協業することで衣装を借りてくれるカメラマンの受注窓口の提供などにもつなげて行きたいと思っています。

 ―常に新たなアイデアが無限に湧いてくるという感じですね。
新しいことをするのが好きなんです。ただ、60歳を超えたぐらいからエネルギーが下がってしまっていました。現在、63歳なのですが、最近、それではいけないと気持ちを新たにチャレンジをして行きたいとまた気持ちが前向きになって来ました。
アイデアを出すのは得意ですが、それを事業計画に落とし込むは苦手です。なので、いろいろな人の力を借りて実現させていきたいと思っています。
 
―アイデアを文章にするのなら任せてください。今日はありがとうございました。
 


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