藤壺は自分の子供が疎ましかったのか?~なほ疎まれぬ大和撫子
いまのところ最新の現代語訳と思われる、角田光代訳の源氏物語が文庫化されたので読んでいるのだけれど、「紅葉賀」の帖で、気になったところがあった。
源氏が、幼い頃に亡くなった自分の母親とそっくりと言われている、帝(源氏の父)の妃「藤壺の宮」と密通をして子供ができてしまい、帝から(本当は自分の子である)若宮を見せてもらったあと心が乱れ、源氏が藤壺の宮に文を送る場面。
「よそへつつ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花
(撫子の花を若宮と思って眺めてみましたが、心はなぐさめられることなく、かえっていっそう涙があふれるばかりです)
若宮の誕生を、花の咲くのを待つように心待ちにしておりましたが、そうなっても私たちの仲がどうなるわけでもありませんでした」(角田光代訳)
そしてこの文を取次の女房が藤壺に見せ、なんとか返事をせがんだところ、藤壺が、途中で書きやめたかのように紙に書きつけてあった歌がこれ。
「袖を濡らすつらい契りのゆかりと思っても、やはりこの子をうとむ気持ちにはなれません」(角田光代訳)
あれ?藤壺って、夫である帝ではなく源氏との子だから、自分の子にも関わらず、疎ましい、愛せないって思っていたんじゃなかったっけ?と思って、家にある現代語訳、関連本を集めてみると
瀬戸内寂聴の訳は和歌を5行詩にするのが特徴ですね。
窯変は和歌については、元の和歌を微妙に変えて、今の人に意味が通りやすくなるようにしている。今回だと「濡るる→濡れる」かな。
窯変のインパクトが強かったんだなぁ。そうだよね、やっぱり自分の子にも関わらず、藤壺の宮にとっては、源氏の子だから疎ましいんだよね。
記憶は正しかったな…と思いつつ、他のも(いくつ買ったんだ、昔の私w)見てみた。
正統派は「疎むことができない」で解釈しているのかな。
しかしこの「露」も「源氏の袖を涙に濡らす」のか「わたし(藤壺)の袖が涙で濡れる」のか、そっちの解釈も分かれる。和歌って難しい。
この「うとまれぬ」の「ぬ」は文法的には、連体形で打ち消し、終止形で完了、両方とも取れるので、訳者によって解釈が変わるのである。
ちなみにこの和歌を読んだあとの源氏は「いつものことで、返事なんかこないだろう」としょんぼりして伏せていたのに返事がきたので、胸がときめき、とても嬉しくて涙も落ちると書かれている。
「いみじくうれしきにも」ってことだから、源氏は「藤壺は、やっぱり私たちの子供を愛しているんだ!」と受け取ったのかな、と思う。
窯変では「返事が来たことだけで喜んでしまって、宮がわが子を疎んでいる、ということに気が付かなかった」としているけれど…
さて。
藤壺の宮としては、本当は、どっちだったんだろう?
「やはり疎ましい」のか「やはり疎むことはできない」のか。
それとも「疎ましくもあり、疎むこともできない」と相反する想いであったのか。
こうやって、色々と解釈できるのが源氏物語の面白いところなんだろうけれど、紫式部が書いた原本があるでもなく、今あるのは写本に次ぐ写本の繋ぎ合わせだし、ある程度、自分の読みたいように読んでいいのだとは思う。
どうでもいいけど、不義の子を帝に見せつけられて
「自分の顔色が変わる気がして、おそろしくも、かたじけなくも、うれしくも、胸を締め付けられるようにも、さまざまな感情があふれ出て落涙しそうになった」(角田光代訳)
まぁ、ここまではいい。
「(若宮が)おそろしいほどかわいらしいので、もし自分がこの若宮に似ているのならこの身をよほどたいせつにいたわらなければならない、などと光君は考える。それもずいぶんと身勝手な話だけれど……」(角田光代訳)
草紙地にまで突っ込みを食らう光る源氏。さすがだw
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