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木更津在住の50代。ヨガや身体の動かし方についてが趣味になっているw https:/…

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木更津在住の50代。ヨガや身体の動かし方についてが趣味になっているw https://ameblo.jp/sallayoga/

最近の記事

源氏物語 現代語訳読み比べ~須磨には、いとど心づくしの秋風に~

結構、源氏物語の現代語訳の紹介記事は好き。 比較しようかな、と思ったら冒頭の「いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかに…」の部分の訳の比較をしている記事を見つけた。 なので、紫式部が石山寺に籠って、ここから書き始めたという伝説がある次の文章で比較してみることにした。 昔から名文と言われていた須磨の秋 なんか授業で暗唱させられたなぁ… これを各現代語訳ではどのような文章にしているのでしょうか? 与謝野晶子 まずは言文一致運動後、初めての源氏物語の現代語訳

    • 源氏物語は1巻から順番に読まなくていいのでは

      本屋に行くと、最近は大河ドラマの影響で源氏物語関係の本が多く並んでいて、現代語訳も平積みになっているけれど、1巻だけが減っていて巻が進むにつれて山が高くなっていたり、図書館でも1巻だけが貸し出し中だったりというのを見る。 順番通りに読んでも面白くない 正直、源氏物語の序盤は面白くないw 最初の「桐壺」はやたら昔めいた御伽噺っぽいし、2巻目の「帚木」の冒頭の有名な「雨夜の品定め」は、男っていい気なものだよな…という女性談義が、ただエピソードを並べられるだけで(一つは今後の話

      • 藤壺は自分の子供が疎ましかったのか?~なほ疎まれぬ大和撫子

        いまのところ最新の現代語訳と思われる、角田光代訳の源氏物語が文庫化されたので読んでいるのだけれど、「紅葉賀」の帖で、気になったところがあった。 源氏が、幼い頃に亡くなった自分の母親とそっくりと言われている、帝(源氏の父)の妃「藤壺の宮」と密通をして子供ができてしまい、帝から(本当は自分の子である)若宮を見せてもらったあと心が乱れ、源氏が藤壺の宮に文を送る場面。 「よそへつつ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花 (撫子の花を若宮と思って眺めてみましたが、心はなぐさめ

        • 源氏物語をちゃんと読みたい

          大和和紀の「あさきゆめみし」や、田辺聖子の「新源氏物語」などを読んで、源氏物語って面白いなぁ…と思うと、本好きを自認している人なら、原文、もしくは現代語訳でいいから読みたいな、と考えるのではないかと思う。 そこで、現代語訳。 与謝野晶子 kindle unlimited にもなっているし、青空文庫でも出ているし、安く手に入って角川書店も綺麗な装丁で出しているし…の与謝野晶子の現代語訳。 明治時代に言文一致運動がおこった後「初めての現代語訳」として出されたもの。 文語を読

        源氏物語 現代語訳読み比べ~須磨には、いとど心づくしの秋風に~

          源氏物語を楽しく読みたい

          本好きなら一度は、日本が誇る世界最古の長編小説とも言われる「源氏物語」をちゃんと読みたいと思うのではないだろうか。 また今、大河ドラマで「光る君へ」をやっていて、興味が出た人もいるかもしれない。 で、ネットを見ると、与謝野晶子の源氏物語が青空文庫でタダで読めるし、kindle unlimited でもあるじゃん!読んでみようかな。と思うかもしれない。 …まず、ほとんど挫折すると思うw 源氏を読み始めたはいいが、読み切れなくて、須磨の巻あたりで読むのを諦める「須磨がえり」

          源氏物語を楽しく読みたい

          一級建築士「試験」について語る①

          合格率低すぎ問題 一級建築士という資格は独占資格だから、建築の仕事を続けるうえで必須なことが多い。 必須なくせに合格率が低く、一次の学科試験が10%後半、二次の製図試験が30%前後、総合で10%弱という合格率のため、ほとんどの受験生が、日建学院か総合資格学院かの資格学校に通うことになるけど、受講料がとっても高い。総合資格なんか学科製図のセット講習だと100万円超えるんじゃないのかな。 そして学科試験に受かると製図試験は3回まで受験できるけど、試験は年に1回しかなく、製図試

          一級建築士「試験」について語る①

          やっさいもっさいについて語る(平成~令和)

          ↑前半はこちら 小学生のうちはやっさいもっさいに参加したりしていても、中学以降は踊りを見るでもなく、友達と一緒に、お祭りの雰囲気を味わいに屋台回りがメインで行く程度のやっさいもっさい。 知らない間に主催が、木更津青年会議所から港まつり実行委員会(市役所、観光協会、商工会とか)に移管され、マンネリ化もし、なんなら一度中止にもなっていたらしい。 たぶん、また盛り上がる?のは、きっとあのTBSドラマ、木更津キャッツアイでやっさいもっさいが取り上げられたからだと思う。 2002年

          やっさいもっさいについて語る(平成~令和)

          「やっさいもっさい」について語る(昭和の頃)

          やっさいもっさいは昭和49年に、木更津青年会議所(今のかずさ青年会議所。以下JC)が「みんなおとなりどうしです」を合言葉に始めたイベント。 当時、新日本製鐵君津製鐵所ができて、急に増えてきた「新住民」と地元民との交流の場を作ろう、ということで始めたそうな。 私の父がやっさいもっさいの立ち上げの時にJCにいたので、子供の頃から やっさいもっさい については色々と聞かされていた。 毎年お盆にやる「木更津港まつり」の中のイベントの一つとして「やっさいもっさい踊り大会」をやりたい、

          「やっさいもっさい」について語る(昭和の頃)