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ある二人の人が教えてくれたこと。

2004年の7月、仕事をしていると、珍しい人から電話がかかってきた。
叔父の娘、いとこの里香ちゃんからだった。

「牧ちゃんのお父さんが交通事故にあって、今亡くなった」
具体的な言葉はあまり覚えていないが、
突然のことすぎて、頭が真っ白になり、急に力がなくなって、床に倒れ込んだことだけは覚えている。
俗にいう、腰から力が抜けるということはこういうことかと、初めての感覚だった。

すぐに帰る準備をし、電車に飛び乗った。
ふらふらになっていたので、会社の同僚が、ついてきてくれた。
電車の中で、人目も気にせず、号泣していた。

それから、自宅に帰り、旦那さんと一緒に車で移動した。
事故があったのは、自宅から20分ほどの場所だったが、病院は自宅から40分ほどと遠かった。

40分もの移動の間のことはほとんど、覚えていない。
暗くなった病院に行き、父の遺体に対面した。
父の身体を触った。もう冷たかった。

あーやっぱり、本当だったのか。
電話ではっきりと結果を突きつけられながらも、信じられていない自分がいたが、
父を目の前にして、あらためて事実として認識した。

父の父、つまり私の祖父は、繊維会社の社長だった。
3人兄弟の一番末っ子で、長男が2代目の社長になり、父は常務として兄弟で会社を経営していた。

その会社が、倒産したのは、1998年のことだった。
繊維業は下火になりはじめ、事業転換を図れなかった父たちの会社は負債をかかえ、破産した。
家は借金の担保になっており、父と母はアパート暮らしを余儀なくされた。

それから、父は再就職をし、警備会社に勤務したのち、ある企業の社長の運転手をしていた。
私の結婚を機に、2世帯住宅を建て、アパート暮らしをしている父母たちと一緒に住むことになった。
日曜大工とパソコンが趣味だった父は、パソコンデスクを自分で作り、自分の部屋をもらって嬉しそうだった。

事故に遭った日は、新居に住み始めてから1ヶ月後、職場から車で帰宅をしている時のことだった。

人生はまだまだこれからだったのに。
新しい家、新しい自分の部屋をもっと満喫してほしかったのに。
孫の顔もみて欲しかったのに。
当時は、気づくとそんなことばかりを考えていて、父の死の意味や私のこれからの人生についてまで、深く考える余裕はなかった。

いわゆる死生観について、考えるチャンスがあったわけだが、その後子供が生まれ、転職をし、日々の忙しさに流され、深く考えることなく日々が過ぎていた。

ところが、先日こんな出来事があった。
前職でお世話になっていたSさんが、50代で、くも膜下出血で亡くなられたという悲しい知らせが届いた。大らかなリーダーシップで人を引っ張る、情熱的なとても素敵な方だった。
SNSで近況も拝見しており、元気そうだったので、かなりショックだった。その方が、あらためて、自分の人生について、考える機会を与えてくださったのだと思う。

20年経った今、父の死を振り返って思うのは、もっと色々と話しておけばよかったということだ。
倒産のことを、父から聞いたことは一度もなかった。
小さい頃は割と裕福だったようだ。乳母に育てられたという話を聞いたこともある。
経営者の責任とはいえ、まだ働き盛りの54歳で会社が倒産し、そこから仕事を探さなければならない状況や、経験のない仕事に就かなければならない状況、一切の財産を失ってしまった時はどんな気持ちだっただろうか。
きっと、屈辱感もあったことだろう。
でも、自暴自棄になることなく、マイペースで好きなことを続けながら、日々を過ごしていた。

倒産のこと、経営のこと。変に気を遣ってしまって、遠慮して聞けなかった。
勝手に聞いてはいけないことと決めつけていた。
その他のことも、腹を割って話す、そんなことは一度もできなかった。

父とSさんの死から、もう一度、自分に伝えたい。
人は突然亡くなることもある。自分も明日死ぬかもしれない。
そう思った時、どうしたいか。何をしたいか。を考え、行動しなさい。と。

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」

Appleの創始者、スティーブジョブズが、スタンフォード大学の卒業祝賀スピーチで述べた有名な言葉だ。

この言葉を初めて聞いた時、心に刻みたい言葉だと思う一方で、
「いやいや、そうは言ってもやらないといけないことがあるし……生活もあるし……そんなやりたいことばっかりやれないし……」
と思うときも正直あった。
やりたくないことは、やらなくてもいい。やりたいことをやりなさい。とも受け取れるが、いつかやりたいと思っていることを、いつやるか決めて、とっととやりなさい。という意味でもあるだろう。

いつか〇〇ができるようになりたい。いつか●●に行きたい。
いつか、会おうね! なんて言っているとそのいつかはきっと来ない。
本当にやりたいのであれば、いつそれをやるのか、自分でその機会を作らなければ、いつかで終わってしまうだろう。

身近な人と、しっかりと話をすることも重要だ。
いつでも話せるから、いつか話そう。と思っていると、結局話せずに終わってしまうかもしれない。

父とSさん、二人の人物が教えてくれたこと。
いつかをいつかのままにしないで、いつやるかを決める。
そんなことから、初めてみたいと、そう思った。

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