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これだけは忘れられないんですよ


ありがたいことに、明日からお休みです。うふふ
この間有給とったばっかですが、それはそれでってことで。

ちょうどお盆時期なので、お墓参りするなんて話もちらほら聞きますし
地元のテレビ局では「○○墓地ではお盆のお墓参り」という超ローカルなニュースが流れます。(今はテレビなし生活のため見れませんが)

そういえばお墓参りお盆にしたのはいつだろうか。
ご先祖の皆さんにとっては、無礼千万な子孫です。あきらめていただくか。

というのも、鬼籍に入ってしまった父は先祖の皆さんが入っているお墓とは別。生前嬉しそうに「ココにきめたから」パンフレットを見せてくれました。いまどきの樹木葬。ちょっと先取りしたい、という父らしい選択だなぁと思いました。

ご先祖さまが眠るお墓には祖父も一緒にいまして。(父のパパ)
数年前のちょうど今時期に亡くなりました。

穏やかそうに見えるのですが、結構気性が荒いというか、短気というか。
すぐ怒っちゃうような人です。孫の我々には要素少なめですが怒らせて帰りそうになったことはあります。おおこわ

基本は優しいので私が大学受験の時に、もともと東京が地元だった祖父は土地勘があり迷路のような地下鉄をスイスイ案内してくれたり、受験場所まで一緒に行ってくれました。
新宿でおいしい天ぷら屋さんでお昼食べたり、受験だったけど楽しかった。

社会人になってもなかなか出来の悪い方の孫、と思っていましたので
マネーよりマンパワーというわけで折に触れ、当時はお墓参りだったり
ちょっと足が悪くなった祖父を支えながら歩いたりしていました。

時は過ぎちょっとずつ認知、の症状が出始めてきたころ
その時もお墓参りについていった時だったと思います。
何度も同じことを言ったり、忘れちゃったり
それが「自分でも受け入れられず」いらいらする、モノを投げる…

同じ話何度も聞いて、忘れたことをっ待ってみたり、投げるのは危ないよぉ
なんて言いながらなだめたりしながら過ごしていました。

私のことをいよいよ忘れちゃうかなぁと近い未来を想像しちょっぴり寂しい気持ちに。
祖父を家に送り届ける前に、国道沿いのロイヤルホストでご飯をとり
もりもり食べた後、運転する私に助手席で祖父がぽつりと

「いやぁ、今日は楽しかった。また行こうなぁ」


私にニコニコしながら言ってくれたことを今でも覚えています。
その後父が「あのとき親父うれしそうだったなあ」と話していました。
あれから結構年数経ってますけど鮮明に記憶されています。

私は「車運転して、へらへらしゃべってただけなのにこんなに喜んでもらえるなんて!」と嬉しかったんです。今も。

その後、祖父は施設に入所したので「また」は叶わず
私のことも忘れてしまいました。最後に話したのは
「午前中は学校で仕事をして疲れた」(祖父は学校の先生でした)ということ。

夏になると「また…」のくだりを鮮明に思い出してしまうことがあります。
生きている時に「また」ができるのが大事。
だから先送りしないで「じゃぁ次いつにしよっか」とすぐ計画することにしています。

…あれ?じゃぁ鬼籍に入っちゃったから、「また」はできないからお墓参りいかないのかって?そうじゃないんですよ…ええ‥‥
お墓がある場所、観光地で相当混むのです涙

落ち着いた秋に、久しぶりに祖父に挨拶してこようかな。
祖父が好きだった「サバラン」を持って。


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