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なりきってみたら気が付いたこと

職場の方の、資格実技対策も今日のお昼で終了しました。
なんやかんや私は楽しかった。
試験を受ける予定の方も、もう一人の仲間も
この3月で退職されるので感慨深いものはありますが。

そんな最終試験対策のお昼休み
私が実技のお相手役でした。
相談者、ということでいつもは「過去の私のとある場面」を切り取っていたのですが、今日は違う人でやってみようと思い立ったのです。


なんとなく、思い立ち「あの人がもし相談に来たら」と
興味本位でやってみることに。

数年前、私に何時間もその話をしていたことがあり
うんうん話を聴いていたその時の話をしてみたのです。

話していく中で、「あの人」は何を感じていたのか
ちょっとだけ当時私は聴く側で全く感じていなかった
感情が沸き上がってきたことに少々戸惑いました。

もちろん、私は「あの人」ではありませんから
この感情は全くの的外れという可能性は高い。

当時はま、しょうがないよねとか
”自分は傷ついてないし、これしき受け止められる”というスタンスだったのですが
今日その話をしながら「湧き上がる劣等感」で覆いつくされる感覚があったのです。

そのスタンスの下に隠れていたのか。


その劣等感を「違うものに転嫁して」いたことにもなんか数年たって
ちらっと見えたような気が‥‥。


だからと言って
ああ、あの時もっとこうしていれば!という感情は全くありません。


ただ、相手の靴を履く。ということってもしかしたら
こんな感じなのかな、とフワフワした不思議な体験でした。

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