見出し画像

「誰かのハンデを埋めたい」そんな私の想いの原点を作った昔話。

私が実現したいと考えているビジョンの原点になっていそうな昔話を、ふと、思い出したので書いてみたいと思う。

小さい頃から私はあまり自分のことを他人に話さず、クラスメイトに自分から話しかけることはあまりしないタイプだった。

そんな人付き合いがあまり得意でない小1の子どもにできた、初めての「友だち」といってもいい存在は、学校を休みがちだったAちゃんだった。

Aちゃんは身体が強くなく学校を休みがちだったけど、学校に来たときは自分に明るく話しかけてくれる子だった。学校には大体来ているけどあまり友達のいない自分に、色々なことを教えてくれた。

シール交換や交換ノートのやり取り、一緒にプリクラを撮りに行ったり、当時の小学生〜中学生がする遊びは一通り一緒にやっていた。

私は母が働いていることもあり、母が働きに出て不在の時は、車で5分ほどのおばあちゃんの家に預けられていた。そのおばあちゃんの家とAちゃんの家も近く、よく遊びに行っていた。

こんな自分とも仲良くしてくれるAちゃんは自分にとっても大事な存在だった。小学生の頃までは比較的平和だった学校も、中学生になると様相が変わってきてしまった。

進学することになった公立中学校は、地元でも不良が多い学校だった。学校を休みがちなAちゃんは不良にイジられる対象として、すぐにターゲットになり、学校に来たとしても教室に来ることは難しく、保健室登校となってしまった。

不良グループは「異質」と認定した存在をとにかく排除しようとする。時々学校行事にはなんとかAちゃんも来ていたが、中3になる頃にはAちゃんはほとんど学校来なくなってしまっていた。

Aちゃんだけでなく、あまり喋らず、友達のいない私も不良グループの排除の対象となった。流石に学校内では先生の目もあるので、物理的な手段は基本的に講じてこなかったが、一度だけ、物理的な手段に及んだことがあった。

確か校外学習か何かでみんなで外を移動している時、横断歩道の赤信号を待っているときに、道路に飛び出すようなかたちで突然背中を押されたのだ。押したのは不良グループのリーダー格をしている男子だった。

私はムッとしたが言い返すこともできず、その場は何もできず終わった。その場にいたのは友人であるAちゃん。

現場で私に声をかけてくれたのはもちろんだが、その校外学習が終わった後、なんと、学校の先生にその出来事を伝えてくれていたのだ。

先生から背中を押した男子に注意をしてくれたそうで、何よりも、わざわざ先生に伝えてくれたAちゃんの行動が嬉しかった。

それから私は、学校に何となく馴染めていない転校生や休みがちな同級生に私は自ら声をかけて、友だちになれないかな?と思うようになった。

学校に休まず通うという"一般的な価値観では「普通」"とされていることができてないハンデがある子にこそ、「強く優しい心」がある。そう感じ、あえてそういう子に自ら声をかけていった。

いろんな事情でハンデを背負った人の味方でありたいーー

気がついたら、そんな風に思うようになった。

自分の仕事で、直接の業務というわけではないのだが、入社したての人や、新たにその分野に挑戦する人向けのマニュアルを自ら進んで作成している。

初めての人や慣れていない人が困らないようにと思ってそうしている。自分自身も初めての頃は困った経験があるから、同じことで困らないようにしたいと思ったからだ。

初めてのことは「ハンデ」とは意味合いが違うかもしれないが、近い性質があると思っている。初めてで不慣れなことをするストレスは結構大きい。それを軽減して、少しでもその人の本来の力を発揮できるフェーズに持っていきたいというのが、私の想いだ。

少しでも自分が誰かのハンデの部分を埋めることができれば、救われる人がいるかもしれない。そう思って、行動している。

もし、Aちゃんに身体が弱いというハンデがなく、中学校に不良グループがいなくて学校に通えてたら、もっと違う未来になっていたのではないか…と考えてしまう。

背中を押されて危ない目に遭わされ、本当は悔しかった自分を救ってくれたAちゃん。

Aちゃんにとって身体が弱いことはハンデと言えるかもしれない。けど、健康であった自分も、言い返すことができないというハンデを抱えていたと言えるのかもしれない。

一人として同じ人はいない。だからこそ、それぞれの個性や得意なことを活かし、「ハンデ」とも言えるできないことや苦手なことを、互いに補い合い、支え合うのが理想的な社会だ。

でも実際は、得意でないことをやらなければいけなかったり、本来の力を活かせないまま生きていることも多いだろう。

私の理想は、誰もが持っている個性や能力を活かせるようにすることだ。そのために何をすれば良いのか、と模索している段階ではあるのだけれど、Aちゃんとの思い出が、今の私の想いを作る源泉になっていたのではないか、とふと思い出してこのnoteを書くに至った。

Aちゃんは中3頃にはほとんど学校に来ておらず、その後私が高校進学を機に疎遠になってしまったので、今はどうしているか分からない。でも、またどこかで、たわいもない思い出話でもできたら嬉しいなと思う。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

salar

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?