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"好き"を公開することを恐れて

都内を歩いていると、ロリータの服を着ている人、アニメの缶バッジをたくさんつけたカバンを持ち歩いている人、とか、自分が好きなものを隠さずにしている人がいる。

一昔前だったら「オタク」と揶揄されてたのかもしれないけど、今や「推し」がいるのは普通なことで、「推し活」という言葉があるくらいだ。企業も推し活を利益に繋げるための活動もしている。

私はそういう人を見て、羨ましいなと思う。そこまで熱量を持って推せる対象があることもそうだけど、何より自分の「好きなものを公開する」ことができることが羨ましい。

今も昔も、私はあまり自分の好きなものを周りに公開してこなかった。

中学生の時には「Missing」という、割とグロめのホラー小説にハマっていた。
(ラノベ系文庫で、表紙もラノベ系なので、ホラー苦手なのに騙されて読んだ人もいるかもしれない)

今思えば「公立中学校の図書室に置く本か…?」と思うが、二次創作っぽい小説を書くくらいハマって、今もホラー好きの原点になっている気がするので、置いてくれた人には感謝の気持ちがある。

高校生の時には、韓流アイドルの東方神起(当時は5人)ハマっていて、一人で東京の方までライブに行ったり、グッズやCDを集める、歌を練習するなど、相当ハマっていた。

大学生の時には、ドラムをやりたくて軽音サークルに入ったが、サークル部員の空気やノリが合わず、2年足らずで行かなくなってしまった。

ドラムをやりたかったことが忘れられず、今は音楽教室に通いドラムを習っているが、マンツーマンでしっかり教えてもらえる形式なので、楽しく通えている。

ドラム教室に通っていることも、昔から付き合いのある友達に軽く言う程度なので、ドラムやってる人の印象はあまりないと思う。

最近はライブに行く良さを実感して、月一くらいのペースで好きなアーティストの出ているライブに行っているが、それも最近は一人で参戦することも多い。

好きなものをあえて言わない理由として、昔は「何か恥ずかしい」という気持ちがあった。アイドルやアニメを推すことが今ほどメジャーではなかったこともあり、どうしても言わないといけないことがない限りはあまり言わなかった。

ただ、もう一つ言わない理由があった。それは、私がその好きなものを好きと言うことで、「"好き"が傷つけられるのではないか」という恐れがあった。

「〇〇ってアーティストが好きなんです!」って言った時に、相手が「あー知ってる!いいよね!」とか返してくれる、とは限らない。

仮に相手が知っているアーティストだったとしても、「好きなレベル」が合わないのも難しい。こちらのレベル感より、熱量が高くても低くても微妙か空気になりうるからだ。

自分が好きであることを公表することによって、自分の中の「大切にしているモノ」が、何か崩れ去ってしまう気がして、公表を控えてしまう。

世の中の多くの人は、好きなものを公表して、同じものが好きな人同士で仲良くなっている。そんな姿を横目で見ていて、「確かに公表しないと繋がれないよな…」と思いながら、自分の中の大切なモノを壊さないことを優先してしまう。だから、好きなモノで繋がれたなという体験をしたことがあまりない。

「好き」を維持することは自分の中では簡単なことではないと感じている。周りに好きを否定する人がいたらテンション下がるし、一人だけで好きで居続けるのもなかなか続かないところがある。

今、推している、好きなものがある人は、好きなだけ推して欲しいし、好きなことで繋がれる人がいるなら、その繋がりも大事にして欲しいと思う。

選択肢の多すぎる世界で、唯一の判断軸は「自分が好きかどうか」だけだと思うし、「好き」になれるものは本人しか知り得ない。他人がどう言おうと「それが好き」といえるものがあるのであれば、その感情は絶対的な真実だと思う。

私自身、こんな感じで好きを隠してきたので、もう少し恐れずに好きを公表していけたら、楽しいこともあるかも?と思う。自分の「好き」を大切にしつつ、公表する勇気を持ちたい。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

salar

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