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「何かをしている時」の「何に自分の心が震えているのか」を知る大切さ

料理って自分にとって何なんだろうと向き合った去年、たまたま読んだある人の記事を読んで、はっ!!としたこと。

それは、自分は「料理ができるまでの感覚、閃めく瞬間」が好きなのだという点でした。

同じような感覚を持っていて、そういう時間が好きで料理をしている人がいると知れて嬉しかったのをよく覚えています。

人に料理を食べてもらうという場面では

・相手が美味しいと感じるのか
・相手に喜んでもらえるのか

相手に何を求められているのかもすごく大切になる。
それはきっとお店だろうと家だろうと変わらない。

もちろんそれも大切なことだし、
私も誰かに食べてもらって喜んでもらえることもすごく嬉しいけど、

料理をする前やその最中、つまり料理ができるまでの過程が楽しいと思えていなければ、きっと誰かにすごく褒められても私はきっと心から満たされることはないのだろうなと、この時知ってしまった・・。

・気になった食材や変わった食材を手に取って、何が作れるのだろう〜と楽しみに思う感覚
・作っている最中に、夢中になったり閃いたりする感覚
・良さそうなものを好き勝手に選んで、組み合わせて満足する感覚

何かを作るために材料を揃えるのではなく、あるもので何かを生み出す創造的な時間が私はたまらなく好きなんです。
だから目新しい食材や、こだわった食材を見つけると嬉しくなります。

だからきっと、レシピ通りに作ることばかりやっていたり、「正しい料理とは何なのか」を追求したりしていたら、私は多分料理が好きではなくなってしまう。

きちっとレシピ通りに作っていても、なんだかつまらなくなってしまう。

そしてもちろん、失敗もする。

だからきっと、いわゆるプロ料理人には一生なれない。笑 もちろんそこを目指しているわけじゃないし、それ以前にも当然のことですが..

でも、「何かをしている時」の「何に自分の心が震えているのか」に気づけたのは、とても大きなことでした。

料理とは関係なく、別の色々な場面でこれまで、求められることも役立ちそうなことも色々やってみたからこそ、こうして自分と向き合えるようになったし、色々手放せるようになった。

特に何かを依頼された時は、
価値提供が大事だし相手の喜びがあって当たり前。

そう思っていたし、そこを1番に考えてきたけど、
ある時から「それって本当かな?」と自問自答しながら進む中

自分の心から震えることで相手に何かを提供できたとき、それが本当の喜びを生むと私はどこかで信じているし、少なからずそういう実感を色んな場面で得られるようにもなりました。

同時に、「相手に喜んでもらえたらそれでいい」と自分に言い聞かせてやったことが、結果として自分にも相手にも「消化不良?」となってしまっ経験も味わいました。

色々脱線しましたが、これは、何も仕事だけでなく全部につながっていて、誰しもが少なからずぶつかることなのかもしれません。

自分と他者との関係の中で、生きていればこういうことは沢山ある。

気づきを沢山くれた記事のその人とたまたまやりとりさせてもらう機会があり、

「きっちり、ちゃんと、相手に満足してもらえるように」
を頑張った結果、料理が好きなのかわからなくなり、食べることにもワクワクしなくまってしまって悩んでいる、

ということを知って色々と考えさせられました。

一見、順風満帆にいっているように見える人も、
実は自分の心の本音と外の声との間で葛藤しているんだな。

そんなことを思って色々巡らせたことを書き殴りました。

あしからず、、、笑

自分を生きることを真剣にやるのってほんとうに面白い。


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