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『鎌倉殿の13人』一家団欒はホラーじゃないのか

SNSでは昨夜(10月2日)放送の『鎌倉殿の13人』第38回、「時を継ぐ者」に大絶賛の嵐だそうだけど、
私は義時が泣き始めた段階で、いたたまれなくてテレビの前を離れた。

「父上が亡くなる時、手を握ってさしあげることができません」
いや——
しらじらしくないの、これ?
その父を「泳がせ」「追いこんで」きたの誰だっけ。鼻かんだチリ紙みたいに稲毛重成を殺させて。
「すべては平賀朝雅のせい!」
じゃ最初に平賀朝雅殺しとけ。

史実だから変えられない、と無理やり自分を納得させようとしている人がいたら、その人に言いたい。
史実は変えられないが、誰を主人公にするかは選べる。
誰に強要されたわけでもない。選んだのは三谷幸喜であり、NHKだ。
彼らの自由と責任と好みにおいて、彼らが選んだのだ。

これほどのえげつない連続殺人犯を主人公に選ぶからには、よほど練りに練り上げたプロットがあるのだろう、たとえば義時はただの一度も手を下しておらず、
《ぜんぶ善児が勝手にやった》
とかそういう斬新なストーリーになるのかも、とスタート時、期待していた私がバカだった。

何のひねりもなかった。普通に、一家そろってえげつない連続殺人ファミリーの話だった。

ついでに書くと先週(9月25日)放送の第37回、「オンブレブンビンバ」も、私はいたたまれなくて席を立った。
一家団欒とかおぞましすぎる。

頼家くんと一幡ちゃん殺してるよね?

この家族が、家族愛を語るなんてホラーじゃないのか。

普通じゃない人たちなんだから、普通じゃなく描けばいいじゃないか。
2DKレベルのファミリードラマにされると、かえって寒気がする。

こういうことを書くと、またあの泰時くんにビンタくらわした嫁に
「そんなに家族が嫌いですか?」
とか嘲笑されるのだろう。

違う。
私はべつに家族が嫌いなわけじゃない。

愛してもいないのに、家族愛を語る人間、
信じてもいないのに、信頼関係を語る人間に、ぞっとするだけだ。



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