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『ハムレット』第三幕第一場

父の復讐を誓ったハムレットは、周囲の目をあざむくために偽りの狂気をよそおって、機会をうかがいます。服を汚してみたり、意味不明なことをしゃべってみたり。しかし、そうやすやすとだまされるクローディアスではありません。
そこへ登場するのが大臣ポローニアス。ハムレット王子のご乱心は、自分の娘オフィーリアと彼を無理やり別れさせたせいだと、ひとり早合点します。ハムレットをオフィーリアと二人きりにさせ、物陰から様子を見てみましょう、というポローニアスの提案に、国王クローディアスも乗ることにします。

有名な「to be or not to be」の独白と、「尼寺へ行け!」がセットになった、一粒で二度おいしい(?)場面ですね。ヨーロッパに尼寺はないので(笑)、21世紀だしそろそろ尼寺やめてもいいんじゃないかと。
ハムレットはオフィーリアと話すうちに、盗み聞きされていることに気づきます。オフィーリアはお父さんをかばって嘘をつきます。どこの箇所かわかりますか?
ふたりの、このヒリヒリ感が痛ましい……。

文中の[…]は原文を省略した箇所です。
太字はとくに有名または/そしてサラのおすすめ台詞です。

国王 ガートルード、そなたも席をはずしてくれ。
 じつはひそかにハムレットを呼んである、
 来れば偶然、ここでオフィーリアに出会う、
 という手はずだ。
 これの父親とわたしは正義の密偵、
 ものかげにひそみ、見られずに見まもる、
 ふたりの様子を、くもりなきまなこで。
 そうして、あれのふるまいから、
 このところの苦しみようがはたして恋ゆえのものか
 見さだめたいと思うのだ。
王妃          仰せのとおりに。
 オフィーリア、頼みますよ、どうぞおまえの美しさが
 ハムレットの乱心のもとであってくれるよう
 願っています。そうであれば、おまえの優しさで
 あの子もきっともとに戻って、
 何もかもまるくおさまるはず。
オフィーリア        わたくしもそう願っております。
 (王妃退場。)
ポローニアス オフィーリア、ここらを歩いていなさい。陛下、さ、
 隠れましょう。(オフィーリアに)この祈祷書を読んでいなさい、
 お祈りのふりをしておれば、一人でおっても
 怪しまれぬだろう。ま、しらじらしいと言われるだろうが、
 よくあることだ、信心深そうな顔や
 けなげなふるまいで、いわば砂糖をまぶす、
 たとえ中味が悪魔でもな。
国王      (傍白)まさにそのとおりだ。
 いまのことばの鞭、おれの良心をしたたか打つ。
 娼婦の顔なら多少まずくとも、
 紅白粉べにおしろいで隠せぬこともない、
 だが、こうしてうわべをとりつくろっているおれの、しでかしたことの醜さはどうだ。
 ああ、この重荷!
ポローニアス 足音がしますな。陛下、ささ、こちらへ。
 (国王とポローニアス、物陰に隠れる。ハムレット登場。)
ハムレット このまま生きるか否か、それが問題だ。
 どちらがましだ、非道な運命があびせる矢弾やだま
 心のうちに耐えしのぶか、
 それとも苦難の荒波にまっこうから立ち向かい、
 決着をつけるか。死ぬ、眠る、
 それだけだ。眠れば終わりにできる、
 心の痛みも、体にまつわる
 あまたの苦しみもいっさい消滅、
 望むところだ。死ぬ、眠る――
 眠る、おそらくは夢を見る。そこだ、つまずくのは。
 死んで眠って、どんな夢を見るのか、
 この世のしがらみから逃れたあとに。
 だからためらう。それが気にかかるから
 苦しい人生をわざわざ長びかせる。
 でなければだれが耐える、世間のそしりや嘲り、
 上に立つ者の不正、おごるやからの無礼、
 鼻先であしらわれる恋の苦痛、法の裁きの遅れ、
 役人どもの横柄、くだらぬやつらが
 まともな相手をいいように踏みにじる場面、
 なにもかも終わりにすればいいではないか、
 短剣の一突きで。だれが耐えるというのだ、
 人生の重荷を、あぶら汗たらして。
 つまりは死のあとに来るものが恐ろしいだけだ、
 死は未知の国、国境を越えた旅人は
 二度と戻らない、だから人間は
 まだ見ぬ苦労に飛びこむ決心がつかず、
 いまある面倒をずるずると引きずっていく。
 こうして、考えるほど人間は臆病になる、
 やろうと決心したときの、あの血の熱さも、
 こうして考えるほど冷えていく、
 一世いっせ一代いちだいの大仕事も
 そのせいで横道にそれてしまい、
 はたせずじまいだ。――待て、
 オフィーリアか? かわいい女神さま、どうか
 罪深いおれのために祈ってくれ。
オフィーリア         殿下、
 おひさしぶりでございます。いかがお過ごしでしょうか?
ハムレット これはどうも、ごていねいな挨拶、いたみいる。元気だとも。
オフィーリア いままでにいただいた贈り物でございます、
 お返ししなければとずっと思っておりました。
 どうぞお受けとりください。
ハムレット いや、何も贈ったおぼえはない。
オフィーリア そんな、贈ってくださいましたでしょう、
 優しいおことばをそえて、その分まで
 ありがたい品々でした。その香りが失せたのですから、
 お返しいたします。遊ばれたと知ってなお
 いただいた物をありがたがるほど、落ちぶれてはおりません。
 さあ、どうぞ。
ハムレット はは。お嬢さん、お行儀がよろしい。
オフィーリア え?
ハムレット お顔もお美しい。
オフィーリア 何のことでしょうか?
ハムレット お行儀よろしくお美しいなら、そのお行儀とお顔とは、せいぜい引き離しておきたまえ。
オフィーリア よいお行儀に、よいお顔は、ふさわしい組み合わせでは?
ハムレット 最悪だ。美貌は操をみごとに売りとばしてくれるからな、操が美貌をおとなしくさせようとしてもむだだが。以前はそれが不思議でならなかったが、いまはわかる。おれも一度は、きみを愛しましたよ。
オフィーリア そう信じさせてくださいました。
ハムレット 信じるべきではなかったな。善い枝をつぎ木しようと、悪の根は残るものだ。きみを愛してはいなかった。
オフィーリア それなら、お心変わりより、なおさらみじめです。
ハムレット 修道院へ行け。罪人を生んでどうする。おれだっていちおうまともな人間だ、それでもひどいところだらけで、生んだ母を恨みたくなる。おれは傲慢だ、執念深い、野心も強い、ほかにもまだ語りつくせぬ、考えつくせぬ、やりつくせぬ罪がごまんとある。こんな人間が天と地のあいだをはいずりまわってどうなる。おれたちは悪党だ、一人残らず。だれも信じるな。修道院へ行くのだ。――お父上はどこかな?
オフィーリア 家に、おります。
ハムレット 閉じこめておけ、馬鹿はおのれのうちの中でやらせろ。さらばだ。
オフィーリア ああ神さま、このかたを助けて![…]
ハムレット きさまらは化粧をする、そうだろう。神から顔をもらっておきながら、自分であらたにこねあげる。とび歩く、尻を振る、かわいこぶってくちゅくちゅしゃべって物にくだらないあだ名をつける、やってしまってから「いけないことだなんて知らなかったんですもの」などとほざく、ふざけるな! だからおれは狂った。もう誰も結婚するな。結婚してしまったやつらはしかたない、一人をのぞいて生かしておいてやる。他のやつらは一生、独身ひとりみでいろ。行け、修道院へ、さあ早く。(退場)
オフィーリア ああ、気高いお心が、こうも無惨に!
 貴人の武人の文人の、まなざし、ことば、剣さばき、
 お国の花、希望の星、
 おこないのかがみ、ふるまいの手本、
 みなの憧れだったのに、こんな、こんなことに。
 そしてわたしは女のなかでいちばんみじめだわ、
 あのかたの誓いの甘い蜜の響きを味わっておいて、
 こうしていま、ひときわ聡明だったあのかたの、
 割れ鐘のようにわめくのを聞かされる、
 たぐいまれなお姿も吹きすさぶ狂気の嵐に
 散ってしまった。ああ、つらすぎる、
 以前のあのかたを見たこの目で、いまのあのかたを見るのは。
 (国王とポローニアス、物陰より登場。)
国王 恋だと? やつの関心は恋などにはない、
 言うことも、いささか脈絡を欠いてはいるが、
 狂ってはいなかった。胸に何かあるな、
 憂鬱な気性がそれを抱えこみ、はぐくんでいる、
 からを破り、ひなにかえったとなると
 危険かもしれぬ。それを防ぐには
 いそぎ手を打たねばならぬ――
 こうしよう、ハムレットをただちにイングランドにつかわす、
 とどこおっているみつぎ物のとり立て役としてだ。
 海を渡り、異国に遊び、
 目にする景色も変われば、あるいは
 あれの胸のわだかまりも消えるやもしれぬ、
 あのように思いつめてばかりおるから
 おかしくもなるのだ。どうだろう?
ポローニアス 御意にござります。ですがわたくしはやはり、
 王子殿下のお悩みのもとをたどれば
 かなわぬ恋かと。おお、オフィーリア、
 言わんでいい、ハムレット様のおことば、
 しかと聞いておったぞ。陛下、どうぞ仰せのままに。
 しかしですな、こういうのはいかがでしょう、芝居のあとで、
 お母上がお一人で王子殿下にお会いになり、
 うちとけてお話しなさって、お悩みを聞かれるというのは。
 不肖このわたくし、お部屋にひそみまして、
 一部始終をうかがいましょう。それでもわからぬときは、
 イングランドにおつかわしになるなり、しかるべきところに
 幽閉なさるなり。
国王      そうしよう。
 上に立つ者の狂気、捨ておくわけにはいかぬ。(一同退場。)

(訳:実村文)




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