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『ハムレット』第五幕第一場

さて、イングランドへ送られたハムレット。オフィーリアの狂死も、それが自分のせいにされていることも知りません。お付きの二人組、ローゼンクランツとギルデンスターンを出し抜くことにみごと成功し、デンマークに舞い戻ってきました。「ハムレットを死刑にせよ」というクローディアスの密書をロゼギルから盗み取り、「ローゼンクランツとギルデンスターンを死刑にせよ」と書き換えて、知らん顔で本人たちに持たせてやったのです。さすがハムレットさま。

シェイクスピアは、雑魚キャラにキラキラネームをあげるくせがあります。このロゼギルもそうですね。逆に、重要キャラのネーミングはわりと雑で、またアントーニオか?みたいな(『ヴェニスの商人』『十二夜』『テンペスト』)。役がしょぼい分を役名のキラキラでねぎらったんじゃないかというのが私の推測です。台本作家としては気を遣うんですよね、わかるなあ(笑)。

再会を喜びあうハムレットとホレーシオ。散策の途中、墓地で新しい墓を掘っている男に出会いました。ハムレットと言えば骸骨を持ってたたずんでるイメージ。出所はここです。そこへ葬列が……誰の? 自殺者に対する教会の冷たさには驚かされます。
ホレーシオの台詞はほとんどありませんが、事情を知っている彼は無言でパニクってるはず。こういうところを埋めるのも役者さんの仕事になります。

ところで、なぜ突然ヘラクレスが出てくるのでしょうか。ちくま訳も角川訳も、なんだかごにょごにょとごまかしていますが、ヘラクレスは《剛力》というだけでなく、女神ヘラの呪いで正気を失って妻子を惨殺するエピソードがあるんですね。《狂えるヘラクレス Hercules Furens》という有名な逸話です。ハムレットは、手の付けられないレアティーズの(あるいは/そして自分の)取り乱しようを、ヘラクレスの狂乱にたとえているので、力自慢の話じゃないんです。この悲嘆のきわみでも「ヘラクレスかよ!」ってノリツッコミやっちゃうところが、すごくハムレットらしいんだな。しかも「猫はニャンニャン」って何(原文ママです)。ほとんど太宰ですよね(笑)。

文中の[…]は原文を省略した箇所です。
太字はとくに有名または/そしてサラのおすすめ台詞です。

ハムレット 誰の墓を掘っている。男か?
墓掘り 野郎じゃねえ。
ハムレット 女か。
墓掘り 女でもねえ。
ハムレット 何者だ、入るのは。
墓掘り かつて女だったところのものってやつでね、これが気の毒に、おだぶつだ。
ハムレット (ホレーシオに)やるな、こいつ![…](墓掘りに)墓を掘って何年になる?
墓掘り 忘れもしねえ、先の王さまのハムレットさまが、ノルウェーのフォーティンブラスのおやじをやっつけた日からだよ。
ハムレット それから何年かな?
墓掘り 知らねえのかね、阿呆でも知ってるってのに。いまの王子さまのハムレットさまがお生まれになった日だよ、あの、気が違ってイングランドへやられたお人がさ。
ハムレット なるほど。どうしてイングランドに送られたのかな?
墓掘り そりゃ気が違ったからでさ、あっちでなら治るだろうってんでね。ま、治らなくたってかまやしねえってね。
ハムレット どうして。
墓掘り めだたねえって寸法よ。イングランドの連中はみいんなおつむがやられちまってるからね。[…](髑髏を掘り出す)ほい来た。こいつあ、二十と三年埋まってたしゃれこうべだ。
ハムレット 誰の。
墓掘り ふざけた野郎だったよ、まったく。誰だと思いなさる?
ハムレット 誰かな。
墓掘り しようもねえ野郎だよ。ぶどう酒をひと瓶おいらにぶっかけやがって。こいつあね、だんな、いいかね、だんな、ヨリックのしゃれこうべですぜ、王さまお抱えの道化の。
ハムレット これが?
墓掘り そうよ。
ハムレット 見せてくれ。ああヨリック! よく知ってたんだ、ホレーシオ。冗談の種の尽きない男でね、面白いのなんのって。よくおぶってもらったものだ。それが、ぞっとするな、この姿は。吐きそうだ。何度もキスしてやった唇がこのへんについていたわけか。もう皮肉は飛ばさないのか? 悪ふざけや歌や、満座を沸かせた頓智とんちのひらめきはいまいずこ? おまえのにやにや笑いをまねするやつもいないのか、がっかりだな、あごが落ちてしまって。母上の部屋へ行って教えてやってくれ、おしろいを1インチの厚さに塗ってもそのうちこうなりますよと、笑わせてやってくれ。なあホレーシオ、訊いていいか。
ホレーシオ 何でしょう?
ハムレット アレクサンダー大王も土の中ではこんな感じか?
ホレーシオ ですね。
ハムレット 臭いもか? は![…]
 (国王夫妻、レアティーズ、司祭と供の者たち、柩に従って登場。)
 だが待て、静かに。王が来る、
 王妃も、宮中の者どももだ。誰の葬列だ?
 こうも略式のとむらい、どうやら
 運ばれていくのは、早まってみずからを
 あやめた者だな。身分のある者のようだ。
 隠れて見ていようか。(ハムレットとホレーシオ、身を隠す。)
レアティーズ 式はこれだけか?
ハムレット (ホレーシオに傍白)レアティーズだ、たいした男だ、あれは。何と言っている?
レアティーズ 式はこれだけか?
司祭 こちらでできうるかぎりのお弔いでございます。
 亡くなられた経緯に不審の点がございましたゆえ、
 本来ならば、お清めもなく、最後の審判の日まで
 土中に留め置かれるべきところ。みめぐみの祈りどころか
 がれきを投げつけられるべきところ。
 しかしながら、そこを曲げてとの陛下のたってのご命令で、
 こうして処女おとめにふさわしい花輪を捧げ、
 花も撒き、鐘を鳴らして
 弔うておるのです。[…]
レアティーズ   ひつぎを下ろせ。
 この子のきよらかな体から、
 スミレよ、咲き出でよ。
無礼な神父め、
 いつか地獄で吠えづらをかくがいい、そのころ妹は
 救いの天使になっていよう。
ハムレット 何、オフィーリアが!
王妃 花のおとめに、花を。さようなら。
 うちのハムレットの花嫁になってほしかった。
 お花は新床にいどこに飾ってあげるつもりだったのよ、
 お墓にとは思わなかった。
レアティーズ      ああ、恨んでも恨みきれぬ、
 かよわいおまえの正気を奪ったあの男、
 三の三に十をかけてもまだ呪い足りぬ、
 きゃつのしわざ! 土をかけるな、
 もう一度この腕に妹を抱かせてくれ。
 おれも生きたままいっしょに埋めてくれ、

 この地面からうず高く土を盛りあげて、
 ペリオンだろうがオリンポスだろうが越えるまで
 積んでしまってくれ。
ハムレット     なんだ、その大げさな嘆きようは。
 誰だ、そんな泣き言を並べたてるのは、
 天を進む星々もあぜんとして歩みを
 止めるではないか? 見ろ、おれだ、
 デンマーク王家嫡男ハムレットだ。
レアティーズ          こやつ、悪魔に喰われろ!
 (両人つかみあう。)
ハムレット 馬鹿を言うな。
 おい、のどから指をはなせ、
 おれはせっかちでもかんしゃく持ちでもないが、
 こう見えて手のつけられないところがある、
 わかったらやめておけ。手をはなせと言うのに。
国王 二人を分けろ。
王妃 ハムレット、ハムレット![…]
ホレーシオ 殿下、お気をしずめて![…]
ハムレット オフィーリアを愛していたんだ。四万人の兄がいて
 そいつらの愛情をすべて合わせたとしても
 おれにかなうものか。
何をしてやるだと?
国王 これは頭がおかしいのだ、レアティーズ。
王妃 お願い、こらえてあげてちょうだい。
ハムレット 何をする? 見せてみろ、
 泣くか、暴れるか、断食か、おのれの身を裂くか、
 酢でも飲み干すか、ワニでも食うか?
 やってやろうじゃないか。めそめそ泣きに来たのか、
 おれへのつらあてに墓に飛びこんだりして、
 いっしょに生き埋めだと、上等だ、おれもそうしてもらおう。
 山がどうした、かけてもらおうじゃないか、
 土をたっぷりと、塚が盛りあがって
 オッサの山もいぼと化すか。口ほどにもないやつ、
 おれだって吠えるのは得意だぞ。
王妃             正気ではないのよ、
 発作のあいだはこうなってしまうの。[…]
ハムレット […]レアティーズ、
 おれに対するこの仕打ちは何なんだ?
 おれはきみがずっと好きだったのに。まあいい。
 狂乱のヘラクレスは暴れさせておくさ、
 猫はニャンニャン、犬はワンだ。(退場。)
国王 すまぬ、ホレーシオ、あれを頼む。(ホレーシオ退場。)
 (レアティーズに)ここは耐えろ。昨夜の手はずを忘れるな。
 早急さっきゅうに事を進めよう。――
 ガートルード、あの子に見張りをつけてくれ。――
 この墓は記念碑として末永く大切にしよう。
 われらにもいずれ安らぎの時が訪れよう、
 それまでは忍耐のうちに歩みゆくとしよう。(一同退場。)

(訳:実村文)




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