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推敲という名の減量(眠りながら考えた(3))

ちょうど必要なだけの数の音符でございます、陛下。

この台詞、ご存知の方も多いかもしれないが、モーツァルトが言ったという言葉だ。映画『アマデウス』でも使われている。皇帝ヨーゼフ二世が彼のオペラに対して、「美しいが、音符が多すぎる」と感想をもらしたことに対する返答だ。
カッコいい。カッコいいぞ、モーツァルト。

戯曲を書きはじめたばかりの頃、書いたものを、尊敬する俳優さんに読んでいただいたことがある。かりにMさんとさせていただく。かつて一世を風靡した劇団の看板役者だった方だ。もちろん、いまも現役で活躍中だ。
感想をつづったていねいな手紙が送られてきた。未熟な原稿に、少しでも良いところがないか辛抱強く探し、言葉を選んではげましてくださっていた。
末尾に――「少し言葉が多すぎるような気がします」、とあった。

天才モーツァルトとオタンチン皇帝の場合とは逆で、それまで芝居など書いたこともなかった青二才と大ベテランである。Mさんのほうが正しいに決まっている。
正しいとわかっているからこそ、しょげた。
しょげたとはいえ、この指摘は、その後現在にいたるまで、私のいちばん大事な指針となることになった。
言葉が多すぎる。どういう意味なんだろう。

もっと「スキ」(「好き」じゃない「隙」)があったほうが、役者としてはやりがいがあります、というのが、Mさんのアドバイスだった。
俳優の経験もなく、無手勝流で書きはじめた戯曲だ。「役者のやりがい」のことなんて、思い浮かびさえしなかった。
台本の「スキ」(くどいが「隙」)って、何だろう。
そこから私の、長い長い書き直しが始まった。

同じ指摘は、別の女優さんからももらった。彼女(Aさんとしておく)は具体的に、気になる個所をあげてくれた。たいてい、ト書きだった。
登場人物たちが動いたり話したりする様子を、なるべくくわしく思い浮かべながら書いた。それで、つい細かいしぐさまで書いてしまっていた。それは演出家と俳優が考えればいいことだから、と彼女は言う。
ああ、なるほどね。

映画のシナリオはちがう。ト書きは具体的で、繊細なもののほうがいいらしい。
でも、戯曲は、いろいろな人の手で上演されることを前提に書かれる。少なくとも、それを夢見て書かれる。
だから、ありとあらゆる可能性に対して、開かれていなければいけないんだね。

「激しく首を振る」などというト書きを書いてしまったことがある。俳優さん(Bくんとしておく)は、そっと二、三度、かぶりを振っただけだった。そのほうが、はるかによかった。「激しく」なんていう指定は、よけいなお世話だった。

蛇、登場。

『ブンナよ、木から下りてこい』を脚色された小松幹生先生が、書いておられた。ト書きに「蛇登場」と書く。どんな蛇がどう出てくるのか、そんなことはいっさい説明しない。ただ、「蛇登場」。その筆致は、なんとも楽しそうだった。
「蛇登場」。
なるほど。それでいいのか。

そうなると、ト書きだけでなく、台詞そのものも気になり出した。
ある日、バレエを見た帰り道に、ふと思った。私の戯曲がバレエ化されたら、どうなるんだろう?
恋人どうしが出会う。結ばれるには、越えられない壁がある。思いはつのるばかりだ。誤解と絶望。和解と希望。『白鳥の湖』に、台詞はない。
台詞が一つもなくても、ドラマは成立している。そのことに思い当ったとき、衝撃が走った。私の書く台詞なんて、どれもこれも、ただのむだ口なのかもしれない!

そうでない台詞だけを、書かなければ。ターンのひとつ、ジャンプのひとつに相当する台詞だけを、書かなければ。

私の台本の「ダイエット」は、だんだん凄惨を極めてきた(ちょっとおおげさ)。体のダイエットと同じで、台本のダイエットも、自分の口に甘いものから切っていくのが鉄則だ。気に入っている台詞にかぎって、足を引っぱっていることが多い。
いったん書きはじめると、私は文字どおり寝食を忘れる。台所に出しっぱなしの皿の上にパンくずを見て、そういえばトーストを食べたような気もする、とぼんやり考える。三日三晩、主食が柿ピーだったこともある。こういうときはつくづく、家族がいなくてよかったと思う。こんな妻や母を持つなんて気の毒すぎる。

書き直しては、行数を数える。体重計の目盛りを見るのと同じだ。今日は何行削った!と満足感にひたる。量の問題じゃないでしょうと言われるかもしれないが、量の問題なのだ。
だって、百回生まれ変わったって、モーツァルトにはなれない。質がダメならせめて量で、理想をめざす。しか、ないでしょ?

けっきょく、決定稿が完成するまで、2年かかった。それが、シアターユニット・サラの旗揚げ公演となった『沈める町』だ。

Mさん、Aさん、Bくんには、本当に感謝している。私の船出のとき、決定的に大切なことを教えてもらった。

いまも舞台に立つときは、客席に向かって、心の中で言っている私だ。

「ちょうど必要なだけの数の台詞でございます、陛下」。


(追記:近日中に本にする予定です。2022.1010)

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