『蘇州の夜』にみるジェンダーと植民地主義
はじめに
ミュージカル『李香蘭』が再演されるそうだ。
私が観劇したン年まえは劇団四季の公演であったが、最近は「浅利演出事務所」主催公演に変わっているようだ。
私はこう見えて(どう見えて)ミュージカルと演歌・歌謡曲で育ってきた人間であり、この作品も私のお気に入りの一つである。本作品についての愛は以前instagramで詳細に述べたのでここでは割愛し、ここでは違った視点から〈李香蘭〉の周辺を見つめてみたいと思う。
本稿のタイトルは、「『蘇州の夜』にみるジェンダーと植民地主義」とした。
本稿は私がお世話になった上智大学で、授業内講演(?)をさせていただいたときの内容を踏まえて加筆修正したものである。
Ⅰ ジェンダーと植民地主義
植民地主義とは、植民地(=国境外の、国家主権の及ぶ領域)を推進し正当化する思考である。一方、ジェンダー(gender)とは(生物学的性差sexに対して)「社会的性差」とされる。
*私は「生物学的性差」でさえも、人為的に創られた単に人間を二分化するバイアスの一つであり、その意味で「社会的性差」の一部をなすものとの立場をとるが、これについてはいずれ別記事で述べようと思う。
さて、一見、植民地を推進する思考と「社会的性差」は結びつきにくいかもしれないが、実はすでに指摘されているように濃密な関係がある。
それは、外交関係のアレゴリーとしてジェンダーが用いられることがある、ということである。
つまり、植民地支配を進める支配者=男性とそれを受け入れる(または受け入れざるを得ない)被支配者=女性という構図である。そしてそれは恋愛関係の比喩によって集約される。
このあたりは酒井直樹「映像とジェンダー―映画のなかの恋愛と自己同一性の流動性―」(岩崎稔他編『継続する植民地主義』青弓社、2005)ですでに述べられていることであるので、ご興味があればご参照されたい。
本稿の内容は酒井氏のこの論考に着想を得て、実際に戦中のプロパガンダ映画の一つである『蘇州の夜』を観てみよう、という試みである。
Ⅱ 李香蘭
李香蘭(本名:山口淑子、1920-2014)とは、親中派の日本人山口文雄の娘で中華民国奉天省に生まれ育った女優である。満鉄で中国語(北京官話)教師をしていた父の影響もあり、幼い頃から中国語が堪能であった。父の友人、李際春(当時瀋陽銀行の総裁の地位にあった)の養子となり、「李香蘭」との中国名を得た。
幼少期からイタリア人「マダム・ポドレソフ」から歌を習い、容姿も端麗であったことから満州映画協会の目に留まり、中国人女性・李香蘭として映画に出演することとなる。
満州映画協会(通称:満映)とは、1937年に設立された満州国における国策会社であり、南満州鉄道株式会社と満州国が共同出資したものであった。その目的は「日満親善」「五族協和」「王道楽土」との満州国の理想を満州人に「教育」することが目的であり、日本文化の紹介や満州国宣伝のためのプロパガンダ映画などがそこで政策された。
ちなみに1939年にこの満映の理事長になったのが、1923年の関東大震災の混乱のなかでアナキスト大杉栄・伊藤野枝、そして大杉の甥である橘宗一(当時6歳)を殺害した罪で服役後、釈放されて満州に渡っていた甘粕正彦である。
★関東大震災についての授業はコチラ
https://www.manabi-aid.jp/lesson/id/5100/45516
★満州事変についての授業はコチラ
https://www.manabi-aid.jp/lesson/id/5101/45542
さて、「李香蘭」の「正体」は日本人・山口淑子であった。しかし、中国語教師であった父の教育、出生地は奉天、幼少期に李際春の養子になり、中国語も日本語も堪能であったわけだ。満州事変後、「日本の関東軍が北京の城壁を越えて来たらどうするか」との仲間からの問いに16歳の李香蘭は「北京の城壁の上に立ちます」と答えたそうである。そう、彼女はまさに〈境界線上〉の人であった。
Ⅲ 映画『蘇州の夜』
李香蘭の代表作の一つが、『蘇州の夜』である。野村浩将監督作品で、俳優佐野周二との共演であった。
制作は満州映画協会と松竹の「提携」とされ、1941年に公開された。
上述したように満映は満州国の宣伝機関であり、この映画もプロパガンダを多分に含むものである。
以下、簡単にあらすじを述べよう。激烈なネタバレを含むので、望まない方はここから先に進むことはお勧めしない。ちなみに1941年の映画の「ネタバレ」を気遣ったのは人生で初めてである。
Ⅳ 『蘇州の夜』に見え隠れするジェンダーと植民地主義
さて、この映画にはⅠで述べた「外交関係のアレゴリー」が随所にでてくる。
*1では、日本人であるから、という理由で断った本人たちの意思を無視し、加納が「無理やり」孤児を診察している。加納の友人の医師が、日本人であるからという理由で診察を断られた理由はすでにおわかりであろう。当時日本は満州国を成立させ、表向きは自発的に建国された独立国家としたものの、関東軍司令官の指導下にある日系官吏が実権を握ったり、建国の神を大日本帝国と同じ「天照大神」にしたりなど、その内実は日本の傀儡国家であった。そうしたなかで日本の開拓民による現地の中国人の権利侵害が行われており、これに対する現地の中国人の「反日」の機運があったのである。加納はそうした事情を当然了知しているが、医師としての「善意」、つまり孤児の健康のためには民族間の争いなどを乗り越えて職務を果たす日本人としての行動が強調される。「民族間の争い」の原因をつくったのは日本の方であるのにも関わらず、だ。
*2では、李香蘭演じる「非力」な中国人女性・梅蘭が緊急事態に対してうろたえるのみで何もできないことと、とっさの判断力で川に飛び込み孤児を救う日本人医師加納の対比が描かれる。見事なまでのステレオタイプ的な〈女性〉性と〈男性〉性である。
その後、*3にかけて二人は急接近、つまり恋愛感情を抱くようになるが、その際に梅蘭の印象的なセリフがある。
このようにして、日本人を敵視していた自分を戒めるのである。それを聞いた加納は「寛容」な態度で、梅蘭が嫌っている日本人たちもアジアの発展のために開拓を行っているのであり、自分も含めた日本人の「すばらしさ」を説く。
この他にもさまざまなシーンで植民地主義とジェンダーの重なりが読み取れる。実は、お互いに結婚話が舞い込んだ段階で梅蘭は一度従兄弟との結婚を断っているのだが、その際、加納は「君のことは好きだ、好きだからこそ幸せになってもらいたいのだ」として従兄弟との結婚を説得するのである。いやそこまで言うならお前が幸せにしてやれよ、という話なのだ。さんざんステレオタイプ的な〈男性〉表象を繰り返した挙句の、コレである。女性/被支配者・梅蘭の希望はあくまで加納との結婚であるのにも関わらず、そして加納は「君のことは好き」なのにも関わらず、それを叶えるか否か(結果として叶えなかった)の主導権は男性/支配者・加納が握っている。
考えすぎだろうか。
*4では、「自らは襲撃を受けながらも梅蘭(李香蘭)の親類の幸せまでも願う男性」としての加納が描かれ、梅蘭と従兄弟の結婚式がラストシーンとなるが、最後にどうも腑に落ちないシーンが出てくる。
結婚式にのぞむ梅蘭のもとに加納から一枚のメモが届く。そこには一言、「ご幸福を祈る。」とだけ記されていたのだが、梅蘭は最後にそれを破り捨てるのである。
このシーンの解釈が、できない。
別にすべてのシーンに解釈を試みなくてもよいのだろうけれども、何かご意見などがあれば読者の皆様からもお聞かせ願えれば幸甚である。
おわりに
note2本目(自己紹介含めれば3本目)の記事を何にするか、少し迷っていた。
エッセイ的なものも含めていろいろなものを書こうと思っていたのだけれど、「日本史講義延長戦」も何か書いておきたい、でも開始直後から更新頻度を飛ばすとハードルがあがる…などと逡巡していたところに、『李香蘭』再演の知らせを入手したので、まずはこれでいこうと、そう思った。
Ⅰでも述べた通り、本稿は酒井直樹「映像とジェンダー―映画のなかの恋愛と自己同一性の流動性―」(岩崎稔他編『継続する植民地主義』青弓社、2005)から着想を得たものである。また、事実関係は山口淑子『「李香蘭」を生きて 私の履歴書』(日本経済新聞出版社、2004)によった。
本稿で取り上げた映画『蘇州の夜』は、私が祖母宅から譲り受けたVHSであり、現在は入手困難…と思っていま調べてみたらDVDが出ていた。
時代は、動いている。