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【たまチカ004】阿国歌舞伎発祥地

四条通を東に進むと、四条大橋を越えたところに京都南座がある。

6月某日、異常な暑さを背に受けながらこちらへ歌舞伎を観に行ってきた。

南座は今年の三月に来て以来である。

四条通りから南座に向かうと、四条大橋を渡り切ったところに横断歩道があり、さらにそこを渡ると京都南座なだ万茶屋の入り口の隣にこのような碑がある。


阿国歌舞伎発祥地の碑

出雲(の)阿国(生没年不詳)とは、出雲大社の巫女と自称して各地を遍歴して歌舞伎踊りを披露した女性である。日本史の用語集には「出雲大社の巫女」で「大社修造勧進のために」全国を遍歴したとされているが、その出自についても諸説あるのだという。

その阿国が創始した歌舞伎というのが、阿国歌舞伎である。

阿国歌舞伎は、阿国が男装して茶屋で遊女と戯れる踊りを演じてみせるもので、楽器や舞台は先行していた能のものを使ったようである。

そもそも「歌舞伎」は「傾く(=かぶく)」から来ており、この言葉は異様な風体、常軌を逸した行動を指すものである。

阿国歌舞伎の遊廓での「傾く」演出は庶民向けの新しい演劇として人気を博したとされる。

阿国歌舞伎は現在の鴨川の河原あたりで1603年に初めて披露されたとされているが、そこに至るまでにも少し”前史”があるようである。

『時慶卿記』によると、京都の公卿である近衛信尹(のぶただ)の屋敷に国、菊という者など総勢十名ほどの「ややこ踊り」(幼女による踊り)が招かれたようで、別の史料『当代記』には「国」による1603年の「かぶき踊り」の記事がある。

更に日本史小辞典を紐解いてみると、1582年に春日若宮でややこ踊りを演じたのは10歳前後の阿国で、そののちも諸国を遍歴したとされている。

その後、阿国歌舞伎は遊女による女歌舞伎、元服前による若衆歌舞伎を経て、現在につながる野郎歌舞伎として発展していく。

歌舞伎は上方と江戸で異なる演技形式が人気を博したが、上方では阿国歌舞伎の「茶屋遊び」の流れを汲む濡れ事(和事)が発展したたのも納得である。

たまたま近くまで、きたものですから。







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