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1928年の治安維持法改正について

Ⅰ 治安維持法とは

今日はタイトルにある通り、治安維持法の一度めの改正、つまり1928年改正について深めていきたい。

Ⅰ-1 条文

まず、治安維持法とは、1925年に制定された法律で、第1条には以下のように記されている。

國体ヲ變革シ又ハ私有財產制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

ここでは、「国体(=天皇制)の変革または私有財産制(=資本主義)の否認」を目的とする結社を「組織」すること、または「(その事情を知りながらこの組織に)加入」した者に対して懲役刑または禁錮刑を科すというものである。

Ⅰ-2 「普通選挙法」との関係

1925年といえば、いわゆる「普通選挙法」が成立した年であるが、この治安維持法はそのまえに成立している。

この「普通選挙法」というのは、25歳以上の男子すべてに選挙権を認めるものであり、「男子」に限って言えば従来の財産制限がなくなったということであるから、正確には「男子普通選挙法」である(女性は依然として参政権が認められないままである、念のため)。

さて、この男子普通選挙法が成立したということは、従来は財産制限があることによって投票できなかった「層」が選挙権を持つということである。

ではその「層」とはいかなるものか。

そもそも財産制限というのは「直接国税〇円以上納める」という条件のことである。直接税の納税額による制限であるわけだから、それは一定以上の所得を有する層が選挙権を持っていたということだ。

それを撤廃するということはつまり、無産階級=労働者、農民(小作農)という「層」が選挙権をもつことになるということである。

当然だが、選挙は多くの票を得た者が当選するしくみになっている。

そうであるならば、人口比の多数を占める労働者や農民に選挙権を付与するということはそれらの利害を代表する政党、つまり無産政党が議席を伸ばすこととなる。そうすれば従来の(資本家や地主の利害を代表する)ブルジョワ政党による政治の継続は不可能となり、労働者政権が登場するかもしれない。

そこで必要となるのが治安維持法である。

そもそも第一次世界大戦、そしてロシア革命以降、国内では(大戦景気による物価上昇もあいまって)労働運動・農民運動が高揚していた。これらの運動に対しては従来の行政警察的手段による対策だけでは不十分とされ、高橋是清(立憲政友会)内閣では1922年に「過激社会運動取締法」案が議会に提出されるなどしていた(同法は審議未了・廃案)。

その3年後、護憲三派の連立内閣として組閣された加藤高明内閣が、「普通選挙法」成立前にこの治安維持法を成立させたのである。

(ちなみに、治安維持法と「普通選挙法」との関係を「交換条件」とすることに否定的な見解も存在するが、長くなるので割愛する。)

さて、同法違反の犯罪の構成要件(犯罪が成立するための原則的な要件)は前述のとおり、「国体(=天皇制)の変革または私有財産制(=資本主義)の否認」を目的とする結社を「組織」すること、または「(その事情を知りながらこの組織に)加入」することであった。

これが1928年改正ではどう変わったか。

Ⅱ 1928年改正

Ⅱ-1 条文

治安維持法中左ノ通改正ス

第一條 國體ヲ變革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ從事シタル者死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ處シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ爲ニスル行爲ヲ爲シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者、結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ爲ニスル行爲ヲ爲シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

主な改正点を太字で示した。

ここでは、「国体の変革」「私有財産制の否認」が峻別されていること、そして「国体の変革」を目的とする結社については「組織」の他に「・・・指導者タル任務ニ従事」することについては最高刑が「死刑」となっている。

治安維持法改正についての教科書的な説明ではこの「最高刑が死刑」という部分が強調されることが多い。それは当然といえば当然で、「思想」を理由に国家が人を殺すことができることを意味するのであるから、強調してもしすぎることはないのである。

Ⅱ-2 目的遂行罪

しかし、あまり有名ではないが、ここでもう一つ注目すべき文言がある。

それは「国体の変革」「私有財産制の否認」の両方に付け加えられている「結社ノ目的遂行ノ爲ニスル行爲ヲ爲シタル者」の存在である。

これは通常「目的遂行罪」という。この構成要件の追加によって何が変わるのか。

従来の条文では同法で罰することができるのは組織者、参加者、つまり「党員」のみであった。そうであるならば、逆に「党員」ではないものの、その組織・参加を手助けしたり党の活動に協力している者などを検挙することができなかったということになる。

ここに「目的遂行罪」を導入することによって、「爲ニスル行爲」が認定されれば、党員であるか否かに関わらず検挙することができることになったのである。

時に1928年の2月、初めての「男子普通選挙」が行われ、無産政党から8名の当選者を出した。当然、「普通選挙法」を成立させた権力側からすればこれは予想しうることではあっただろう。しかし、そのうちの2名が労働農民党の党員であった。

労働農民党とは、左派無産政党であり、当時は日本共産党(非合法)が労働農民党を通して活動を公然化させていた(すでに共産党は27年テーゼで「君主制廃止」を列記しており、権力者による共産主義の理解は25年当時の「私有財産制の否認」を中心としたものから「天皇制廃止」を中心としたものに変化したという事情も存在する)。

そして3月15日の三・一五事件を経て、6月に治安維持法が上記のように改正されたのである。

ちなみに「爲ニスル行爲」とはいかなるものかというと、たとえば目的遂行罪を認定した初の確定判決は『無産者新聞』を「配布」した行為(1930年11月7日、大審院)であった。共産党に対する認識さえあれば、ありとあらゆる行為が処罰対象になっていくのである。

まさにこの「目的遂行罪」の導入こそが、このあとの治安維持法の運用拡大のきっかけとなったのである。

さらにその背景には労働農民党を通じた日本共産党の活動公然化であったことも併せて理解すれば、治安維持法の28年改正がタテ(厳罰化)にもヨコ(処罰範囲の拡大)にも広がりをみせたものであることがよくわかる。

ちなみにこの「改正」は議会を通さずに大日本帝国憲法第8条に規定する「緊急勅令」の形式によって強行された。さらに同法は1941年にさらに改正され、「予防拘禁制」が追加されることとなる。

この予防拘禁については、別の機会でまた述べたいと思う。

今回は治安維持法の28年改正で追加された目的遂行罪規定の重要性について書いた。本原稿執筆にあたって以下の文献を参照したことを付記しておく。

浅古 弘他編『日本法制史』(青林書院、2010)
荻野富士夫『治安維持法の「現場」』(六花出版、2021)
福島 弘『公安事件でたどる日本近現代刑事法史』(中央大学出版部、2018)




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