子供の声を聴くということ

最近、我ながら授業がうまく行ってることが多い。

というのも、自分の中で3年目にしてようやく子供の声を聴くとはどういうことかわかってきた(ような気でいる)からだ。

今までは、子供の声(以下発言含む)を聴くというと、指名しての発表を聴くとか、対角線に立つとか、小さい声のときはあえて遠くに離れて聴くとか、そんなハウツーばかり気をつけていた。

しかし、それは教師としての立ち振る舞いにすぎない。授業における聴くになっていない。授業において、子供の声を聴いているのは教師だけではない。むしろ、主体的対話的で深い学びによる授業改善が叫ばれる中では、子供の声を一番聞かねばならぬのは、子供なのであると思う。

とすると、子供の声を聴くという教師の行為において、最も重要なのは、子供の声を子供に聴かせることではないかと思う。例えば、子供の声に対しての子供の反応。安易に「同じです。」「違います」の声にかき消されることはあるが、本当に同じか?を突き詰めたり、今の意見どう思う?と比較、評価を促してみたり。

ただし、「わかる?」はNGワードだ。

わかる?ときかれて、わかると言ってる子に、さらに「じゃあどういう意味?」ときいても言えなかったり、論点がずれたりしていることが多々ある。(もちろん、的を射ている場合もある)

だから、安直に「わかる?」と訊くのではなく、わかっているかを試せる問いをする。(自分はこの辺の技術がまだまだストックが少ない。)

教師にとって、子供の声を聴くとは、他の子供にその声を聴かせることだ。

家庭学習ではなく、教室で学ぶのだからこそ、そのかけがえのなさを教師がまず意識し、子供の声を紡いでいけたらいいと思う。


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