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『体温』

読み慣れない漢詩に、
あくびが漏れる。

班別発表の準備で、
今日の国語は、
図書室での授業となっていた。

「杜甫って誰だよ…。」

「李白じゃない方だよ。」

楽しげな様子で
ノートのメモ書きを増やす
クラスメイトの返事に、
なるほどと思いつつ、
何の気無しに伸びをする。

丁度、二つ隣のテーブル席から
窓際の棚に向かう、
君の姿が目にとまる。

(そこ、絶対授業と
 関係ないとこだよね。)

"近代"と書かれた棚の札を
ちらりと見て、
僕も席を立つ。

首をさすりながら曲がる背中は、
なんとも気怠げで、
親近感がわいた。

空調でレースのカーテンが
微かに揺れる窓際は明るく、
その静かな光の中で、
背伸びをして、
最上段に手を伸ばす
君が見えた。

いたずら心7割、
手伝いたい気持ち3割で、
背後にそっと近付く。

「これ取るの?」

小声で尋ねて、
後ろから同じ本に手を伸ばした瞬間、

「えっ…ぅあっ……!!」

君が小さく呻き、
右腕を押さえながら、
体を半回転させて倒れてきた。

「んっ!?」

綺麗な黒髪の頭が、
ごつんと左の鎖骨に当たる。

痛くはない。
が、不意を突かれたせいで、
一歩後ろに下がってしまう。

(危なっ…!)

思わず上げていた右手で、
君の背中を抱き支える。

「んぐぅ…」

君はびくりと震えて、
再び何かを堪える声を漏らし、
右手で、僕の左肩を一瞬掴みかける。

しかし、半袖がずるりと伸びたせいで、
横にずれてしまい、
勢いをそのままに、
僕の体ごと、後ろの窓枠に
ドスッと着地した。

意外と体温が低い。

華奢な背中と首筋。
何もかも自分とは違う。

けれども、ちゃんと
血の通った温かさを感じた。

(え、怒ってる…?)

ふと我に返り、
突然の力強い攻撃に
不安と焦りを覚える。

「ご、ごめん。
 肩つっちゃって…」

ぐしゃぐしゃな横髪で
顔半分が隠れたままの君が、
僕の胸からこちらを見上げ、

固まった。

(…体、あつっ…!)

みるみる涙目になる君に、
罪悪感が膨らむ。

「う、うん。だい、じょうぶ?」

見るからに大丈夫ではない人に、
こんな言葉しかかけられない自分が
心底不甲斐ない。

「だい、じょば、ない。」

カタコトの新しい日本語から、
精一杯さが伝わってきた。

押し付けられたままの僕は、
よいせと反動をつけて、君ごと
床に垂直な状態まで起き上がった。

背中に触れた右手を離すのが
名残り惜しい。
でも、こんなに弱々しく
もたれかかる君の姿は、
誰にも見せたくない。

自分に言い聞かせるように、
小さな背中をポンポンと、
2回叩いて、手を離した。

君はというと、
違和感の残るらしい右手を
斜め前に出したまま、
突っ立っている。

僕は、最上段から本を取り、
通常稼働中の左手に渡した。

「ありがとう…ごめん。
 背中、大丈夫?」

受け取った本で、
顔の下半分を隠す君がたまらない。

「ううん、"だいじょばない"。」

もどかしそうにこちらを見ては、
言い返せずにいる君を残し、
僕は窓際を後にする。

どうしようもなく緩む口元を、
君の体温が刻まれた
右の手のひらで隠しながら。



#短編小説 #散文 #イラスト #図書室

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