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『夏のはじまり』

あなたとこっそり
二人で出かけた日の
夢を見た

知り合いのいない
海を目指した
電車の旅

地元を離れて五つ目の駅で
手を繋いで

九つ目の駅の通過待ちで
サイダーを一本買い足して
一緒に飲んだ

バスに乗り換え
後ろから二つ目の席で
あなたの肩に頭を預けて
眺めた景色は
白く眩しかった

海に着く

大きな声で
互いの下の名前を呼びながら
波打ち際で足を濡らし遊んだ

お昼前には空腹に負けて
コンビニで買っていった
おにぎりを
一口ずつ交換こした

「おかかも
 なかなかいけるね。」

思いのほか大きな一口に
私は笑う

あなたも頬張り顔のまま
くっくと笑った

帰りのバスを待つ間
浜辺と道路を繋ぐ
階段に腰掛け
キスをした

たまに通る車の音に
ドキドキしたけれど
唇と吐息の熱さが
それを上書きする

手に砂が付いたまま
頬に触れてしまったと
謝るあなたが可愛くて
Tシャツの胸に顔を埋めた

駅に向かうバスの中
寄り添いまどろむ体温が
心地よかった

西日の差し込む
電車に揺られ

地元の三駅手前
あなたは立ち上がり
吊り革を握る

向かいに立つあなたを
いつも通りに苗字で呼ぶと
胸のあたりがチクッとした

あなたは返事をせずに
デコピンをしてきた

売店で買ったお揃いの
イルカのキーホルダーは
カバンの内ポケットに
それぞれ付けることにした

別れ際の信号待ち
ふと潮の香りがして
どちらともなく笑みが溢れた

「また明日。」
「うん、また明日。」

いつもと同じ挨拶で
いつもと違う日曜日が終わる

なんでこっそり出かけたのか
今となっては
もうわからない

それでもあの夏の
二人にとっては
誰にも知られたくない
宝物
そのものだった

またいつか
夢のなかで
会えたらいいね

ベッドから起きて
開けた遮光カーテンと
窓ガラスの先には

猛暑日の兆しを見せる太陽と
昨晩から熱せられたままの空気が
過ぎし日の置き土産のように
待ち構えていた

何もなかった顔をして
今年も
夏はやってくる


#詩 #散文 #イラスト #海

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