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年下オットとふたり暮らし・不妊治療を通しての不満と不安とグチ 誰かのために有益なことは…

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年下オットとふたり暮らし・不妊治療を通しての不満と不安とグチ 誰かのために有益なことはつぶやけないけれど、自分の気持ちの整理と記録

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ただいま記事と気持ちの整理中 時系列はバラバラ 投稿が完了次第、書き直しと追加をしていきたいと思います

    • こどもは授かりものってこと

      正直、この歳までこどもを産むつもりがなかったし、そもそも産めないだろうって思ってたし 何なら、結婚だってできないだろうって思ってた。 まあ、でも人生って本当に何が起きるかわからないもので。笑 27で出会ったまつげ君と、2年の同棲を経て結婚して、こどもが欲しくて病院に通ってる。 「子宮腺筋症」と病名が付く前は、「多嚢胞卵巣症候群」と病名が付いたこともあって その時のホルモン検査の結果で、どうやら排卵してないことはわかってたんだけど、積極的な治療はしなかった。 今思えば、

      • 「こどもがほしい」って口に出してみてわかったこと

        病気のこともあったし、生活リズムだったり、金銭的のことを考えて 「こどもはほしくない。まつげくんとふたりの生活で十分楽しいからいい」 と、ずっと伝えてた。 それと同時に「わたしはこどもが産めないかもしれない。だから本当はこどもがほしいなら別れよう」 とも、ずっと伝えてた。 でも、まつげくんは「別れる気はない」としか言わなかった。 「こどもができなくてもいい」と言われたことはないけど、「可能性はゼロじゃない」って。 それでも、やっぱりこどものことは考えないようにしてた 「で

        • 自分を傷つけてきたことを含めても、この人生は愛しいものだ

          ※自傷の内容含みます ふと目にしたnoteが、あまりにもわたしと似ていて、わたしもついつい書きたくなった。 10代も前半の頃から、自分を傷つけることを覚えていたと思う。 最初は故意にやけどをするとかそんなものだった。でも、故意にする程度のやけどは、傷も残らなければ何も残らない、ただ「やけど」をしたという程度のことだった。 いつの間にか、痕が残るような傷をつけるようになった。最初は浅かった傷も、徐々に深くなり、白い傷痕が残るようになっていた。傷の上から傷をつけて、折り重

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          ふたり暮らしって、ある意味孤独なのかもしれない

          2年一緒に暮らして、生活リズムだって分かってるのに、未だに帰宅が遅いことが嫌だと思ってしまう… もちろん、体調が悪い日に早く帰ってきてほしいと言えば、仕事を切り上げて帰ってきてくれるのは助かっているけど、それにしても帰ってくる時間が遅い日が多い。 ブログを読んでると、不妊治療してても旦那さんが多忙でタイミングが取れないとかよく見るし、深夜に帰宅しないだけましなのかもしれない。 連絡がだって合間を縫ってマメにくれるし、家事を手抜きしても怒られない。 それでも、そばにいてほ

          ふたり暮らしって、ある意味孤独なのかもしれない

          離れて暮らしたからわかった母親との距離感

          同棲するまで、本当に家を出たことがなかった。 高校時代に1年だけ寮生活をしていたけど、週末は家に帰っていたから 完全に家を出た感じもなく、1週間は別に暮らす、くらいの感覚だった。 小さい頃から両親は共働きで家にいることも少なかったし 家族で出かけることも、一緒にご飯を食べることもほとんどなかったと思う。 小さい頃の記憶だけで、覚えてないだけかもしれないけど。 わたしはどちらかというと手のかかる子だったと思う。 小学生の頃から学校に行きたくないと駄々をこねて 高学年の終わり

          離れて暮らしたからわかった母親との距離感

          こどもはほしくない、産めないし、だからふたりでいい

          って話をずっとしてきた 病気がわかってからずっと。 その間に一緒に暮らし始めたけど、何度も何度も話し合った。 こどもが産めないわたしは幸せにしてあげられない このまま付き合っていていいのか 答えのない話を何度もしたけど、結局答えは見つからなかった。 いつの間にか、そんな話もほとんどしなくなった頃 薬でしんどかったこともあって、そんな話をする流れに。 「やっぱり申し訳ない。こどもがうめないこが」 「じゃあ産んだらいいんじゃない?そしたら申し訳ない気持ちも消えるし」 っ

          こどもはほしくない、産めないし、だからふたりでいい

          病院にかかっても「そんなこと」って思ってた

          20代半ばのころ、インフルエンザで病院に行き、看護師さんに 「貧血がひどいんじゃない?」 と言われ、貧血の治療を始めた。 その時、看護師さんが 「女性は定期的に婦人科にかかったほうがいい」 と言っていたこともあって、ずっと気になっていた生理不順も一度相談しよう! くらいの軽い気持ちで病院に行くことにした。 ネットで調べて、女医さんのいる病院へ。 ここでの診察が婦人科の嫌な思い出第一号となる。 至って普通の診察だったとは思うけど、何せあのピンクの診察台に乗るのが初めてだし

          病院にかかっても「そんなこと」って思ってた

          「妊活」なんて生易しい言葉では表せない

          排卵してないと言われた日かららこどもは難しいかもしれないと思っていた それ以前に、いつかこどもが産めないことを後悔するって書いた日記があるほど、わたしはこどもを産めないたろうことを考えていた だから、結婚する前からずっと 「こどもは嫌いだからいらない」 と言い続けてきた そうしたらいつか、この人はわたしではない他の人と結婚をして幸せになるだろうと思っていた でも違った わたし自身がこどもがほしくなって、結婚することになった それから病院に通ってる 指定された日に病

          「妊活」なんて生易しい言葉では表せない

          不妊治療をしてると心がこんなにも狭くなるのかって

          不妊治療を始めて9ヶ月。 専門の病院に通い始めて2ヶ月。 陽性反応は1度も見たことはない。 妊婦さん、二人目、三人目であろう妊婦さん、子だくさんなお母さんを見ると、何でわたしにはできないんだろうって卑屈になる。 マタニティマークも見たくない。 身内、友人の出産に喜べない、もはや可愛いとさえ思えない。 そんな自分の心の狭さにうんざりする、毎月。 まるで母親になる資格がないって言われてるみたいだ。 「ホルモンの薬を飲んでできた!」 「多嚢胞でもできた!」 「できないと思

          不妊治療をしてると心がこんなにも狭くなるのかって

          こどもを産むことがなんとなくエゴだと思ってた

          こどもはほしくない、産めないし、だからふたりでいい って話をずっとしてきた 病気がわかってからずっと。 その間に一緒に暮らし始めたけど、何度も何度も話し合った。 こどもが産めないわたしは幸せにしてあげられない このまま付き合っていていいのか 答えのない話を何度もしたけど、結局答えは見つからなかった。 いつの間にか、そんな話もほとんどしなくなった頃 薬でしんどかったこともあって、そんな話をする流れに。 「やっぱり申し訳ない。こどもがうめないことが」 「じゃあ産んだらい

          こどもを産むことがなんとなくエゴだと思ってた

          不妊治療のその前に

          自分の記録と誰かの参考程度に、治療のこと、メンタル的なことを残して行こうととりあえず書いてみる。 わたし30歳、歳下オットと二人暮らし。 付き合った年に同棲して、2年後、無事に結婚。付き合って3年経つけど、結婚してからはまだ4ヶ月っていう、実は新婚なわたしたち。 でも同棲してた頃から、全くこどもができる気配はなく。 2年だからね!!2年!!もう完全に不妊じゃん……って自分で思う。 排卵日を意識しなくても1年でこどもって大体できるらしいし、隣に住んでたカップルは確かに

          不妊治療のその前に