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番外編:精神科に行くならどんな病院が良い?

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ここまでの我が家の体験談を読んで、精神科というのは、行く病院を間違えると医者に殺される可能性があるということがわかってもらえたのではないかと思う。
しかも、患者だけがやられるわけではなく、家族もろとも人生をぶっ壊されることになる。S病院に通い続けたせいで全員が自分の家ですら暮らせなくなった、うちの家族全滅ぶりを心に刻んで欲しい。

もはや我が家は今後の対策など考えても意味がない手遅れ状態であるが、私がこの日記を書いているのは、「私の知り合いや読者の方には同じ目にあって欲しくない」という思いがあるからだ。
その初心に立ち返ると、うちにとっては意味がなくても、将来精神科にかかる可能性のある方、これを読んでくれている方のために「どういう病院を選べば良かったのか」を振り返って考えてみることは無駄ではないと思う。

将来精神科にかかる可能性なんて、誰にでもあるのだ。
家族が関わる可能性まで含めたら、今の時代は「精神科には全員いつかは必ずお世話になる」と言っても過言ではないかもしれない。
特に高齢者は、社会との関わりがなくなったり大きな病気に罹ったりすることで気分が落ち込み、うつ病になることが多いという。(うちもまさに発端は父の脳腫瘍であった)
若い人は若い人で、今は人間関係や長時間労働のストレス、新型コロナウィルスへの恐怖や自粛によるメンタルの落ち込み、さらに自分は大丈夫でも親や親族がうつ病になることでそれに巻き込まれて心を病むということも多い。(これもうちだ)

よって、もはや精神科というのは「自分とは関係ない病院」ではまったくなく、「いつか必ずお世話になる病院」になっている。
一見メンタルとは関係なさそうな、「体の痛み」等の不調でも原因を探るとメンタルに行き着くことは意外と多い。興味がある方には、その究極的な例として夏樹静子さんの「腰痛放浪記 椅子がこわい(新潮文庫)」の一読をおすすめしたい。

幸いにも……、いや全然幸いではないが、私は精神科の病院へは、世間の平均と比べたらかなり多くの回数通っていると思う。
回数というより、件数。
私自身が受診した精神科は東京で3箇所に浜松で2箇所。さらに両親の通院の付き添いで、もう3箇所の病院へも通っていた。
合計で8箇所だ。
それだけいろんな精神科の病院を見て来た者として、これから新しく受診を考えている人に、どういう病院を選んだらいいのか、8箇所経験者からのおすすめ・アドバイスをここで書いてみたいと思う。

このnoteは30回目くらいから有料(110円)となっているが、今回は広く伝えるべき情報だと思うので、無料記事で公開することにした。なにしろ、うちの次の犠牲者は出て欲しくない。

ただし、これからの内容はあくまで「医療素人の、個人的な意見」だということは念頭に置いて読んでいただきたい。精神科の選び方・病院の選び方、決してこれがすべてではないからね。

さて。
いきなり結論から書いてしまうと、大きな基準で言えば「精神科に行くなら総合病院の精神科ではなく、個人でやっているクリニックに行くこと」。これが、私が8年+8件の経験から辿り着いた結論である。

なお精神科には「神経科」や「心療内科」という呼び方もあるが、これらはどれも同じと考えて良い。
厳密には心療内科は「心の不調が体に現れた症状」を診る科らしいのだが(上の夏樹静子さんのような)、実際のところは精神科が「『精神科』という呼び方は物々しいので、少しやわらかくするために『心療内科』を名乗っている」という場合がほとんどのようだ。
つまり、精神科と神経科と心療内科があったら、よっぽどややこしい病気でなければ、どこに行っても受けられる治療は同じということだ。

「大きな病院より個人のクリニックに行った方がいい」というのは、実は私も最初に母の病院を探す時に、あちこちのブログなどで同じことが言及されているのを見たし、臨床心理士の知人からも同様のことを言われていた。
しかしその時は切羽詰まっており、すぐに予約が取れる病院が総合病院しかなかったという、どうにもならない事情で大病院の精神科を受診することとなったのだ。※これは精神科受診の超あるあるパターンである

あれから8年の時が経ち、いろんな病院・クリニックを経験して、自分なりに「なぜ個人の病院の方が良いか」の理由がまとまって来た。

総合病院と個人の病院(クリニック)は、どこが違うのか。
本来は「病院」と「クリニック」は診療科や病床の数の違いで呼び分けられるらしいが、私は素人なので、病院とクリニックを同じ意味で使っている。

私が思う総合病院と個人の病院(一人でやっている病院・クリニック)の大きな違いは、病床とかそういうことよりも、「お医者さんが勤め人か自営業者かの違い」である。しっかり表現すると「勤務医か開業医か」というような言い方になるのだろう。逆にあえて単純に書くと、「会社員か社長か」という違い。

会社員か社長かで考えると、一番違いがはっきりすると思う。
一般的に考えて、会社員と社長、どっちがより自分の仕事にプライドや責任感を持って働いているだろうか?
個人の病院は、ほとんどの場合、病院=先生である。
一人の先生が、その病院・クリニックに来るすべての患者さんを診る。つまり、その病院のすべての責任を先生が背負っているのだ。

もし先生が適当に診察をして、その病院への悪評が立ったりすればそのダメージは直接先生が受けることになる。病院の評判はそのまま先生の評判なのだ。
悪評のせいで患者が減れば先生の収入は減るし、下手をしたら自分が開業した、残りの医師人生を捧げるつもりで作った医院を潰すことになる。「悪評で潰れた病院の先生」、となれば他の病院で雇ってもらうのも難しいのではないか。
そういう仕事・収入の面での物理的損害もあるし、「自分は自分の医院を潰した、ダメな医者なんだ」という精神的な傷も一生残るだろう。もちろん「患者に適切な治療を施せなかった」という道義的な後悔も、まっとうなお医者さんだったら引きずるだろう。
だから、自分で開業しているお医者さんは、「失敗ができない」「自分でこの患者の治療を完結させなければいけない」という意識が、もちろんそれは勤務医のみなさんもあるだろうが、少しだけ、自分で開業しているお医者さんの方がそういう意識が強いように私は思う。

一方、総合病院に勤めている先生はどうか。
多くの先生は、患者に真剣に向き合ってくれる素晴らしい先生だと思う。
でも、そうでない先生もいるのだ。
大きな病院は、働いているお医者さんの数が多い。父の通っていたS病院も、合計すればドクターの数は100人をゆうに超えるだろう。精神科だけでも7,8人の先生がいて、診療科は全部で30個くらいある。
それでも医療ミスや誤診などがあればなんらかの処分は受けるだろうが、総合病院に勤める一人の医師がなにかミスをしたとして、それで病院の悪評が広まり、病院が潰れるようなことがあるだろうか?

S病院などはその地域で一番大きな総合病院で、放っておいても患者は来るのだ。自分が通っている科とは違う科の一人の先生がなにか不適切な治療をしたとしても、地域の人たちは、そんなことはなんら気に留めずその病院にかかるだろう。
だいたい病院のレビューなどに一人の被害者がクレームを書き込んだとしても、病院の規模が大きいためそんな一人の意見は埋もれる。他の良い先生たちが良いレビューを稼いでいるのだから、個人病院と違いひとつの悪いレビューが病院そのものの評価を著しく下げるようなことはあり得ないのだ。
ならば、病院としてはたいしたダメージにならないのなら、一人の先生がなにかミスをしたとしても、そこまで厳しく処罰されることはないのではないか? 放っておいても患者がたくさん来る病院は、医者を育てなければいけないのだから。
そこまで厳しく処罰されないのであれば、悪評ひとつで医師人生が終わりかねない開業医の先生と比べたら、患者に対する責任を少し軽く考える人も、大病院勤めの先生の中には出て来るのではないか?
大きな病院に勤務している先生は、多分、よっぽど致命的な失敗でなければ、なにかミスをしても仕事がなくなるわけではないだろう。上司から怒られたり減給になったりしても、病院の経営がそれで傾くわけではない。組織の力で守ってもらえそうである。
しかし自分で医院を持っている先生の場合は、その人がひとつ不誠実なことをしでかせば、病院ごと終わる可能性があるのだ。降格や減給などという話ではなく、医院を潰して借金を抱えて医師人生が終わってしまうかもしれないのだ。

そう考えると、もし「いい加減な診察をする医師」がどこかにいるとすれば、それは個人のクリニックよりも、総合病院の方にいる可能性の方が少し高いのではないかと、私は思うのである。
我が家族の崩壊の歴史を知ってもらえば、どういう具体的な経験を経て私がこの意見に到達したか、ということはよく理解してもらえると思う。なのでもしできたら、これ以前の記事もあわせて読んでいただけたらありがたい(有料だけど)。

これは私が感じた「全体的な傾向」である。
もちろん、適当に仕事をしている開業医の人もいれば、総合病院の勤め人であっても患者のために死力を尽くす朝田龍太郎や進藤一生、『コードブルー』の白石先生ほか3名のような素晴らしいお医者様もいるだろう。
しかし私は、8年+8件の経験から、平均化すれば上のような傾向があると感じた。

母が一番最初に通い始めたのも総合病院で(父が通うことになるS病院と同じ系列の病院である)、そこの先生にはとにかく繰り返し入院の希望を拒絶され続けた。
その頃、母はもう1件「K神経科」という小さな病院も受診していた。先生の名字がそのままクリニックの名前になっている、典型的な個人病院だ。
本当はK神経科を先に予約したのだが、初診日が1ヶ月以上先になったため、すぐ受診できる総合病院に通い始めたのだ。そして総合病院に通っているうちにK神経科の受診日が来たので、母をそちらにも受診させて、念のため診察券を作っておいたのである。
ただしもう総合病院で治療が始まっていたので、受診を続けるのは総合病院の方にした。

ある日、総合病院の受診に母を連れて行った日に、私はその受診前に、病院からK神経科に電話をした。
その時はもう我々家族は瀕死の状態で、「多分今日も入院を断られるだろう、今日入院できなかったらうちはもう終わりだ、一家心中しかない」という焦りで、私は動転して総合病院の受診前だというのにK神経科に電話をしたのだ。今日入院できなかったらもうおしまいです、どうすればいいですか、と。
するとK神経科のK先生が電話に出てくれ、私が息も絶え絶えに事情を話すのを聞き、「わかりました。じゃあこっちで、入院できる病院を探しますよ」と言ってくれた。「あちこち当たれば、どこかしら空きベッドはあるはずですから。そっちの受診が終わったら、なるべく早く、できれば直接うちに来てください」と言ってくれた。
あの時の先生の言葉、あの頼もしさは忘れられない。

結果的には、その直後の総合病院の診察で一緒に付き添っていた父が倒れたため、さすがに家族の限界度が伝わりそこで入院が許可された。
だからK先生にお願いすることはなくなったのだが、あの電話口のK先生の力強い言葉で、私は命が救われたと思った。「こっちで入院先探しますよ」の言葉が本当に神様の言葉に感じられた。
しかもK神経科は、初診の1回行っただけなのだ。1回しか行っていない、本来は別の病院に通院している患者の家族に対して、電話にも関わらずそこまでの応対をしてくれたのである。

このように、K神経科と総合病院、それからこの日記でずっと書いているわかばクリニックとS病院、それぞれの対応を経験した私としては、天地がひっくり返っても「精神科を受診するなら、個人のクリニックより総合病院の方がいいですよ」などと言えるわけがないのである。

私の経験上では、初診の時に臨床心理士さんがじっくり話を聞いてくれるのも個人のクリニックの方だった。
総合病院では、そういうことはなかった。母が通った病院も父の方も、最初からドクターの診察でスタートだ。そのため、初診でも一人の診察にあまり時間をかけられないということになる。
ただ、浜松のK神経科とわかばクリニックは臨床心理士さんのヒアリングがあったが、東京で受診した3つのクリニックではそれはなかった。東京は賃料が高いから人件費をかけられないのかもしれない。

それから、「いつ行ってもいつもの先生がいる」というのも、個人の病院の大きなアドバンテージだ。調子が悪いから急遽翌日の予約を入れた、という場合でも、病院の営業時間に行きさえすれば馴染みの先生がいる。
それが総合病院となると、担当の先生は、決まった曜日にしかいないのだ。急に具合が悪くなったから受診したい、となっても担当医の診察を受けるには担当医がいる曜日まで待たなければいけない。非常時なら担当外の他の先生にかかることはできるが、初対面の先生なので話が振り出しから、ということになってしまう。

ただし、個人のクリニックにも大きなデメリットがあって、それは、評判が良いところほど予約が取れない。
そのあたりはこの日記のパート23(無料記事)あたりで書いているのでもう詳しくは書かないが、とにかく精神科では初診1ヶ月待ちなんかはざら。だからなにか病気の兆候が現れたら「まだ軽いからいいや」で引き延ばすのはやめて、一刻も早く行動するべきだ。
もしうちの家族がそれをわかっていて、最初の母の発症時にすぐにK神経科を受診することができていたら、うちのここ8年の惨劇は防げていたかもしれない。

総合病院には「(わりと)すぐ受診できる」という、この点では個人の病院が到底適わない圧倒的な強みがあるので、きつい症状の時は我慢せず、迷わず総合病院に駆け込むのがよい。
それで良い先生に当たればよし、なんとも言えない先生だと思ったら、とりあえず評判の良いクリニックに1ヶ月先でもいいから予約を入れておいて、そちらも診察を受けてみて、今後どうするか決めれば良いのだ。

なお、当然だが個人のクリニックならみんな良いところ、というわけはない。小さい病院もピンからキリまであると思われるので、身近に通院経験者がいればその人のお話を聞いたり、ネット上の口コミを参考にして病院を探すのが良いと思う。
「病院 レビュー」で検索をすると病院の口コミ投稿サイトが出て来るし、あるいはGoogleマップで「精神科 ○○市(探したい地域)」で検索をかければ、その地域にある病院と、Googleに投稿されたそれぞれの病院のレビューが参照できる。パソコンの方が見やすい。

ただし、「悪いレビューがある病院は避けよう」と思うと、受診できる病院がひとつもなくなってしまう。
どこの病院も、必ずいくつかはボロクソに書かれたレビューがついているのだ。K神経科にも、わかばクリニックにも散々な書かれ方のレビューはついている。
精神科は診察において検査よりも「先生との会話」が主軸になってくるし、もともと患者側は大きなストレスを抱えていたり心を病んでいたりするわけなので、相性が合わないとか自分の好みじゃない態度だとかいうことがあれば、「この医者は最低だ!」と極端に思ってしまいがちなのだ。
なので、多少の悪いレビューがあるのは当たり前として、それでもここは他と比べて良い評価の方が多いなとか、良いレビューに具体性があるなとか、ここはいくらなんでも不満レビューが多すぎるからやめておいた方が良さそうだなとか、そういう柔軟な基準で決めていくのが良いだろう。

また、病院の選び方とは別だが、症状が重い場合はとりわけ、受診時に「家族が一緒に行く」ことをすすめたい。
メンタルを病んでいる人は自分の症状を客観的に見れなかったり上手く話せなかったりするので、それができる第三者が診察に付き添った方が良い。
本人だけの受診で下手な先生に当たると、「おかしなことを言う患者」の話が鵜呑みにされ、適切でない薬が処方されてますます病状が悪化してしまうということもある。
うちのようにね!!


……ということで。
長くなったが、以上が私が考える「通うべき精神科病院の探し方」である。
うちのように病院の選択を誤ったせいで人生をボロボロにされないためにも、いつかみなさんが精神科の受診を考える時が来たら、私の意見も頭の片隅に入れていただいて、しっかり病院を選んで欲しいと思う。
そしてうちの事例を反面教師として、「病院を変える」ということも柔軟に考えてみて欲しいと思う。

さて。今回は以上である。
うちの特殊な家族関係、過去8年に及ぶわが家の受難の歴史についてもこれでひと区切りだ。
次回からはまた2020年に戻り、その後わが家ではどんなことが起きていったか、それを書いていこうと思う。

まだ少し先になるが、「親を入れる施設の探し方」も書くことになる。
全然わからない。施設ってなに? 高齢者が入る施設ってどういうのがあるの? どういうところなら入れてもらえるの? どうやって探せばいいの? なにを基準に探せばいいの? どうやったら入所できるの? どこにどう申し込めばいいの? 入るにはなにが必要なの? どういう準備をすればいいの? 親になんて話せばいいの? いくら用意すればいいの?
一切ひとつも、なんの知識もない私が、この後それらをゼロから学んで行くことになる。

一応私は「体験記を書く」ことと「難しいことを簡単に書く」ことが本職なので、その施設探しに右往左往する体験記を読んでもらえば、私の苦労を追体験している気分になってもらえるかもしれない。
そんな不愉快なもの追体験したくないんじゃ!!という思いもあるだろうが、そこでバーチャルな体験をしておけば、いつかみなさんにその時が来ても、「バーチャルで経験済みの出来事」としていくらかは余裕を持ってことに臨めるかもしれない。
私の文章に110円払う価値があると感じてくれた方は、引き続きこの日記を読んでくださったら嬉しい。


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