見出し画像

9月24日のマザコン65 老人ホーム探しを始める その2

ひとつ前の記事  記事一覧


施設Aを引き続き見学中。
見学というか、内部は立ち入り禁止のため来客スペースで職員の方に説明をうかがっている。

ひとつ基本の条件を書き忘れたのだが、高齢者向けの施設には、施設それぞれに「入居できる介護度」の条件がある。
例えば「要支援の人限定」とか「要介護1以上」とか「自立している人(要支援もついていない元気な人)だけ」とか、あるいは特に問わないとか。
公営の特別養護老人ホームになると「要介護3以上」でないと入れない。
条件はその施設、あるいは自治体の高齢者向け施設一覧表みたいなサイトで確認できるので、先に調べておくと良い。案外こういう施設探しのためのポータルサイトの方が見やすくて良いかもしれない。もちろん直接問い合わせても教えてくれるはずだ。

画像1

なお施設Aの場合は、画像でわかるように「要介護以上(要介護1以上)」の人が入居できる。

医療面について。
施設Aは、同じグループに訪問診療専門の病院(?)があるため、そこからお医者さんが往診に来て健康面は管理してくれるらしい。今まで通っていた病院で紹介状を書いてもらえば、入居後は通院することなく、同じ薬を処方してもらえるということ。
これは家族にとってはとても助かる話だ。
うちの父は精神科でS病院、脳外科でもS病院、内科はNクリニックで泌尿器科はN病院で眼科はK眼科で歯医者はY歯科と、無数の病院に通院している。そして本人が車を運転できなくなってからは母が、そして母の脱落後は私が毎週あちこちの病院に連れて行くことを強要されていた。

余計な話になるが、本来それだけの病院に通わなければ生きられないような生物は生き物のルールとしては潔く命から引退するのが筋だと思うのだが、この現代では医療の進歩によってそういう人でも無理矢理生かされてしまい、そのために本人もその家族も拷問のような辛い生活を強いられる、というのが我がご長寿社会・大不幸社会日本である。
寿命の上限を70歳にすれば、全国民が幸せなまま、家族が好きなまま人生をまっとうできると思うのだけど……。
だから、若い家族が長寿社会からの拷問でたった一度の人生を台無しにされることを避けるためにも、こういう高齢者向けの施設は必要なのだ。

脳外科を診てもらうのはさすがに難しいのでそれは家族が連れ出してかかりつけ病院へ送迎しなければいけないが、歯医者さんも来てくれて、加えて散髪なんかも施設内でやってくれるそうなので非情にありがたい。
高齢者向け施設は入居者というよりもその家族を救うためのセーフティネットだ。

ここには日勤の時間9:00~17:00なら、看護師さんも3名常駐しているそうだ。

そこまで諸々解説していただいて、肝心なのは「空きがあるのか(すぐ入れるのか)」というところなのだが、現在は1室の空きがあるそうであった。
ただし、待機人数が2人だそうだ。つまり、空きは1室だが順番待ちが2人いるので、実質今のところは満室という状態みたいである。

なお、入居している人たちの、年齢についても聞いてみた。
現在この施設に入っている方々の、年齢を平均すると88歳だそうである……。
女性21人男性8人で、女性の方が多い。
女性の比率が高くなるのは普通のことのようだ。女性の方が長く生きるから。仮に人間はみんな平均寿命で死ぬとしたら、86歳で生きている人は全員女性ということになる。

それにしても、入居者の平均が88歳という年齢の高さ。
なんと70代は一人もいないということである。
うちの父は73歳だ。入居者平均と比べると15歳若いわけなので、いわば大学生のグループに5歳の子どもが参加するようなものだ。30歳の大人が集まるオフ会に一人だけ高校1年生が混じるようなものだ。
たまの会合ならまだしも、一緒に暮らして行く場合に、15歳の年齢差がある人たちと馴染めるのだろうか? それとも88歳と73歳ならばそんなに世代差は感じないものなのだろうか。
たしかに同じ「高齢」のくくりに入ると言えば入るが、さすがに話が合わないのではないか。太平洋戦争とかの思い出話に、父は入って行けないのだ。先輩方からしたら父ですら「戦争を知らない子どもたち」なのだから。ミッドウェー海戦とか二・二六事件の思い出とかでみんなが盛り上がっている時に、父は蚊帳の外であろう。

この後に他の施設も見学することになるのだが、どこに行っても入居者の平均年齢は80歳を超えていて、父の年齢を伝えると毎回担当の方に「若いですねえ!」と言われた。
子どもの立場としても、周りを見回して私と同年代で介護生活に突入している友人知人はほとんどいない。同世代の知人の親御さんたちは、旅行に行ったり孫の面倒を見たりとまだまだピンピンしているのだ。

うちがなんでこんな早いかというと、父が精神科の薬を大量に何年も飲まされ続けた(そして父が家族の懇願を無視してそんな医者に従い続けるという愚行を犯した)からである。詳しくはこのあたりからの日記を読んで欲しい(110円です)。
S病院のA先生は患者だけでなく家族の人生もまるごとぶっ潰しておいて、きっと今日ものうのうと診察室に座ってたいして患者の話も聞かずどんどん強い薬を処方して病院の増収に貢献しているのだろうな……。

施設Aの職員さんは、うちの父について「うーんこの若さを考えると、うちじゃないような感じもするんですよね」と仰った。
ここは介護付き有料老人ホームの中でも「看取りまで行う手厚い看護」という医療面のサービスを売りにしており、そのため寝たきりであったり体が極端に弱った超高齢者の入居者が多く、職員さんいわく「静かなところ」だそうだ。
つまり私が勝手に意訳すると、ここにいるのは死に近い老齢の入居者さんが多数なので、生き生きとした雰囲気はなく、まだ自分で歩けたり喋れたりする父はもっと他の入居者と交流ができたり活発な雰囲気のある施設の方が向いているのではないか?ということであろう。
実際に職員さんは、他の老人ホームの具体名を挙げて「○○ホームさんなんかは、リハビリやレクリエーションに力を入れているようですし、そういうところの方がお父様にとってはいいかもしれませんねえ……」というふうに仰った。

これは決してやんわりと入居を拒否されているということではなく、介護専門職の方として本気でアドバイスをしてくださっているという様子であった。
それをしっかり言ってくれたという点で、私はこの職員の方にそれなりの信頼感を持てた。


とりあえず私は、この施設Aに父の入居の仮申し込みをすることにした。
念のため、待機(空き待ち)列に入れてもらうことにしたのだ。
うちの父は待機3番目ということになるが、待機1番目の人と2番目の人は「まだ入らないでも大丈夫です」というスタンスだということ。
みなさんとりあえず先を見越して申し込みはしたけれど、部屋が空いたタイミングでは「もう少しなら自分たちで面倒を見れそう」「まだお母さん(お父さん)にはもうちょっと家にいて欲しい」という気持ちがあり、いったんパス、という回答をされているそうだ。
なにしろひと月入居を延ばせば、30万円が浮くのだから……。
そういう形で申し込みから1年くらいは「待機しているけど部屋が空いても入居は先送りする」という選択が許されるそうだ。それでは、ぜひうちもそうさせてもらいたい。

私は「まだ他の施設も見て回りたいので、本当に入居するかどうかはまったくわからないですがすみません」と断りを入れて、それでも待機3番目の仮申し込みはさせてもらった。
私は焦っていたのだ。
なんとなく世間の噂では、「日本は老人だらけなので老人ホームはほとんど空いておらず、申し込んでも何ヶ月も待たされるのが当たり前」ということになっていないだろうか? 私の周りではなっている。
なのでその噂に洗脳されている私には「とにかく入れそうなところは申し込んでおかなければ……」という焦りがあり、1件目からの申し込みに繋がったのだ。
もっと時間にも気持ちにも余裕を持っている人、元気なうちに将来を見越して施設を見学しているような人たちはそうでもないだろうが、私の場合はすでに両親がおかしくなって自分も生活が破綻して父は病院に入っているものの時期が来れば退院させられる。という、かなり尻に火がついている……というかもはや尻は業火で全焼し上半身まで延焼の危機にある状態なので、恐怖からの自己プレッシャーがすごいのだ。
これが、夏休みの宿題を8月29日から始める無計画人間の末路である。

仮申し込みは、書類1枚に必要事項を記入し、父の保険証や介護保険証をコピーしてもらうだけで完了できた。
これで、今後空きができた場合、さらに待機列の前にいる人がまたパスをした時にはうちに連絡が来るようになった。
今の時点でも1室空いているということだったので、強く希望すればもう入れてしまうのではないか。

結論から言えばここに父が入居することはなかったのだが(利用料金がどう考えても無理なので)、しかし「とりあえず1箇所には申し込んである」という状況は、私の気持ちをいくらか楽にしてくれた。
なんにしても1歩前進したのだから。「施設なんていつどこで誰がどうやって探したらいいのかまったくわからない」という状態から、1ステップ分先に進めたことは確かではないか。

まあ金額的に入居は難し過ぎるが、他にまったくあてがなく、また父が家に戻って来ていよいよ私が倒れるという再びの絶望期がもし来たら、一時しのぎだとしてもとにかく施設Aに入ってもらうという選択肢はあると思う。
そしてそのうちに予算に見合った施設を見つけて、そこに空きができたら移ってもらえばいいのだ。
前回書いたように一度入った施設からグレードの低いところへ移るのは気分の良いことではないだろうが、緊急事態下ではやむを得ないだろう。


さて、そんなところで施設Aの見学は終了した。
肝心の部屋や、食堂など共有設備もなにも見れないというのは残念であったが、職員の方には丁寧に施設の説明をしてもらえた。
この施設の概要がわかっただけでなく、「老人ホームの見学から仮申し込みまでの流れ」みたいな全体の仕組みもいくらか学べたことも大きな収穫であった。
職員の方に丁重にお礼を伝えて、私は帰宅した。

帰ってすぐ、もらって来たパンフレットと自分のメモ帳を机の上に並べて、施設Aの情報をパソコンに記録する。
これから数多の施設に見学に行き、下手をしたら部屋自体を見ることなしに、父が余生を過ごす家を決めなければいけないのである。細かく情報を整理し、比べることが大事になるだろう。

夜になってから別宅へ移動して、家具を組み立てる。
今日はニトリで買って来た、屋内用のハンガーラックだ。
別に楽しいものではなく「ただ必要な家具を組み立てているだけ」なのだが、「自分だけの部屋で、自分だけのためになにかをしている」ということがかなり心を落ち着かせてくれる。
イスも東京から輸送されて来たので、これで浜松にいながらにして「自分だけの部屋で、自分のイスに座って自分のメインマシンであるデスクトップPCに向かう」という私本来の空間を作ることができる。
この時間だけは、四方八方からまとわりつく無数の悩みを忘れられる……忘れるまで行かずとも、薄れさせることができる自分の時間なのだ。

なかなか別宅を離れがたく、深夜になってから真っ暗闇の中を歩いて実家へ帰宅。怖い! 寂しい!
明日は、父の病院へ要求されたいろいろを持って面会に行き、さらにその後、2件目の老人ホームの見学である。
別宅でのつかの間の自分の時間から、また親のために生きさせられる現実に戻った。私の人生はどこへ消えてしまったのだろう。素晴らしきご長寿社会。


次の記事 9月24日のマザコン66 老人ホーム探しを始める その3


もし記事を気に入ってくださったら、サポートいただけたら嬉しいです。東京浜松2重生活の交通費、食費に充てさせていただきます。