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9月24日のマザコン37

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ここ数回の怨念のこもった記事で、うちの大体の親子関係とその歴史というのはわかってもらえたのではないかと思う。
うちが特別におかしいのか、それとも親子とは大抵そんなものなのかはわからない。自分は自分の親の下でしか育ったことがないので、自分が他の家で生まれていた場合の親子関係は想像がつかず、比べることは難しい。

まあ周りの知り合いや世間を見ていて、虐待を受けていたり、食べる物がなくて栄養失調になったり犯罪に走ってしまったりびっくりするほど頭が悪かったり、あるいはYoutubeで「俺は中学なんて行かないぜ~!」と堂々と宣言しているような子どもを見ると、それと比べたらうちはまだまともな親に育ててもらったんだろうなあという気はする。私が健康に育って、物書きの仕事ができるくらいには人並みの知能を持って生きていられるのは、紛れもなく親のおかげだ。

もちろん自分より良い環境で育っている子どもも無数にいて、上を見てしまうと当然「うちはそんなに良くない環境だったんだなあ」とも思えてしまう。しかしそれは親不孝というもの。そっちではなく、無数以上にいる「自分より適当に育てられた人たち」と比べて、「うちの親は良い親だったんだなあ」と考えるべきであろう。

が、だがしかし、子どもの頃から私と同年代の親戚や友達がそれぞれの父親とごく自然に、楽しそうに喋っているところを見て、人前ではほぼ父とひと言も喋らない私は、「うちって他の家と違って、おかしな親子(悪い意味で)なんだなあ」といつも感じていた。
最初は、私のせいだと思っていた。うちの父も、甥っ子姪っ子など他の家の子どもとは楽しそうに喋っていたので、「僕じゃなくて、あの子たちがうちに生まれていたら良かったのに。自分のような暗い子どもがうちの子になってしまって申し訳ないなあ……」と思っていた。
しかし、後からよく考えてみれば、他の家の子がうちの子として生まれてきても、うちの環境で育ったら結局はみんな私のような暗い人間に育つのではないだろうか? とも思うようになった。
まあこれも、実験のしようがないので、よくわからない。

さて、ここまでの内容を踏まえて、ようやくここから私が言おうとしていたことの本題に戻る。病気と、精神科への疑念のこと。

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