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9月24日のマザコン46 認知症の家族と1対1で暮らすことは誰にもできない

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今回も無料記事である。
どうも私はネット記事では文章が長くなる傾向がある。
本の場合は上限ページ数が決まっていたりするので自重するのだが、ネットだとあれも書きたいこれも書きたいと欲が出て、なかなか文章の暴走増を抑えきれない。

そんな文章の暴走で増殖した記事に毎回110円払ってもらうのは申し訳なく思い始めており、ただnoteのシステム上これ以上低い金額が設定できないので、こうして時々無料記事を織り交ぜて料金を還元できたらと思っている。
たぶん無料公開記事は検索で引っかかるようになるので、SEO的にも少し良いのではないかという事情もある。
ので、今後も冗長な文章で記事が増えたなあと思ったら、一般公開して良さそうな内容の記事に限り、ちょくちょく無料設定を挟んでいきたい。
もちろん「無料で読むのは気が引ける」という神様のような方は、いつも通り100円程度のサポートをしてくださっても構わないのですわよ……!

では、以下日記本文。


わかばクリニックを受診した後に、知久屋(浜松のお惣菜やさん)でヒレカツ丼を買って帰る。
これは父の夕食である。
夕食はコープの宅配を取っているのに、なぜヒレカツ丼を買うのか? ……それは、今朝父が「知久屋のヒレカツ丼を買って来てくれ」と強硬に主張したからである。
「え、カツ丼? なんで? 宅配弁当が届くじゃん」と指摘してみると、「今日はイヤだ。ヒレカツ丼を食べる」とのこと。

今週の月曜から始まった宅食であるが、木曜にしてもう限界が来たらしい。あの弁当を続けて食べられるのは、3日が限度か……。
さすがに根を上げるのが早い気もするが、気持ちはわからないこともない。私も7年前の母入院後に、父と一緒に毎日ワタミの宅食弁当を食べていた時期があって、美味しさのカケラもなかったことはよく覚えている。

ワタミもコープも、その他の会社も、宅食弁当はいかにも日本的というか、「『健康で1日でも長く生きること』こそが人の生きる目的である。楽しくなくとも不味くとも、健康な食事でさえあればいい。健康な食事であることだけが唯一の指針である」とでも言わんかのような、健康以外を放棄した「栄養素カプセル」みたいな弁当に感じる。
老人が食べるものだから、万が一カロリー高い弁当にしてしまって、高齢客が少しでも体調を崩したらややこしいクレームになりかねない、というトラブルを恐れてのオンリー健康志向なのかもしれない。
しかし、私は思う。
逆に、「ものすごく美味しいけど体にはすこぶる悪い弁当」にして、高齢者に最後に極上の食事を楽しませ、そして早く逝かせてあげる宅食弁当があってもいいのではないだろうか? そういう弁当の方が、本人も家族も幸福度が上がるのではないか?
でもよく考えたら、「楽しくなくとも不味くとも健康で長生きだけはさせる食事」の方が、客が長生きする分、宅食弁当を注文する期間も長くなり安定収益が望めるよな。そういう作戦なのか……

まあ明日もまた宅食弁当だから、今日はしょうがないね、体に悪くて美味しいお惣菜を食べな。ということでリクエスト通りヒレカツ丼を買って帰った。
届いている宅食弁当の方は、台所に持って行ってフタを開けて中身をまるごとゴミ箱に投入。届けてもらったお弁当をひと口も食べずに開けるやいなや全部ゴミ箱に捨てるという、なかなか心がざわざわする行為だ。配達してくれた人が知ったらどう思うのかなあ。

さて、そのまま数日が過ぎ、翌週の月曜日には、私のメンタルが相当まずい状態になっていた。
日記としても使っているGoogleドキュメントには、「月曜、精神状態がピーク」と書かれている。ピークという単語の使い方がおかしい気がするが、とにかくとても悪化したのだ。
なにか特別なことがあったわけではなく、日々一定量ずつ落ち込んで、父と2人暮らし10日目くらいでレッドゾーンまで精神メーターが下がったのである。
前日の夜は私は1人で近所の中華料理屋さんに行ったのだが、夜なのにあまり食べられなかった。天津飯を食べている途中で、「このまま父と2人で暮らしていて、自分は持つんだろうか」「もう俺は一生自分の家にも帰れず、ずっとこんな生活を続けるのだろうか」という不安と悲しみが猛烈に襲ってきて、そこからごはんが喉を通らなくなった。
結局、失礼ながら半分以上ドカンと天津飯を丼に残して帰ることになった。夜も食欲が出ないというのは、メンタルの不調が加速しているということだ。

なぜここでメンタル不調が加速するのか? 母も入院できたし、宅食弁当も始まって私の負担はだいぶ減っているはずなのに。
それは単純に、メンタルダメージが蓄積して行っているからだ。
私が浜松に帰ってきた当初、うちはそれはそれはひどい状態だったが、私の精神ポイントも8割くらいは残っていたのだ。満タンが1000ポイントだとして、東京で母からの電話を受けた瞬間500ポイント減ってしまったが、まだ500ポイント残っていた。
そこから毎日30ポイントずつくらいダメージを受け続け、残り300ポイントのところでなんとか母を入院させられたものの、それでもまだ現在の暮らしでも1日10ポイントは精神が削られ続けているのだ。その間ポイントが回復する要素は一切なかったので、ここに来ていよいよ残りポイントが200を切り、危険水域を知らせるアラームが鳴り始めたのである。
これがゼロになると、うつ病を発症するのだ。

人間は普通に家で暮らしているだけなら、精神にダメージは受けないはずである。
しかしなぜ私はこのように日々精神ポイントを減らし、抑うつ状態になっているのか。
それは「なぜ母は父が退院してすぐうつ病を発症したのか」というテーマに繋がってくる。
母は病歴もあるし、年齢もあるしもともと精神ポイントが満タンでも200くらいだったのだと思われる。しかも若い時から家庭に入ったので、心のダメージ耐性もそんなにないのかもしれない。
私は仕事相手にナメくさった扱いをされたり1年かけて書いた本が全然売れなかったりレビューで「ゴミみたいな本」とか「こんな本を買うくらいなら金をドブに捨てた方がマシ」とか悲しい中傷を書かれたりすることもあるので(こんな感じ※心が弱い人は読まないでください)、母よりは防御力が鍛えられているかもしれない。
母は元々のポイントも少なく防御力も低い状態で父を迎え入れたものだから、あっという間にポイントが枯渇して発症してしまったのだ。

で、じゃあ父と2人で暮らすということで、なぜ同居人が精神のダメージを食らうのか?
その問いの答えを、私は自らの身を犠牲にして知ることになった。

なにがきついのか、それはやはり父の病状に起因する。
ひとつは、父の認知機能が低下しているということ。
認知症の人と1対1で暮らすことは、人間の精神構造上、不可能なのだと思う。
これは私の話というよりは、一般論としてそう思う。
最初こそ「お母さん(お父さん)の面倒は自分が見る!」と意気込んで介護生活に入っても、愛情によって長短の差はあれど、いずれ介護する側も病む寸前、もしくは病んでしまって同居は破綻するのだ。

私の東京のアパートに、よく来ている大工さんがいた。
多分50代くらいの方だと思うのだが、管理会社の専属の大工さんで、アパートの共用部分の設備を作ったり掃除をしたり故障箇所を直したり、退去者が出たら部屋の復帰作業をしたり、マルチに活躍されているおじさんだ。
私は居住期間がやたら長いので、たまに世間話などする顔見知りになっていた。

その大工さんを、このごろ見かけないなーと思っていた時期があった。
退職されたのかな?とか思っていたのだが、半年か1年か、しばらく経った後に道端で声をかけられた。ドンキホーテ方南町店に歩いて買い物に行く途中で、別のアパートで作業をしていた大工さんに呼び止められたのだ。

おお、久しぶりですねえ、どうしたんですか?と聞くと、大工さんは、介護でしばらく実家に戻っていたとのことだった。
たまたま大工さんも静岡に実家があるのだが、1人で暮らしているお母さんの認知症がひどくなり、もう1人暮らしさせておくのは無理だということで、大工さんが実家に戻って介護をすることにしたそうなのだ。
半年か1年ぶりに見た大工さんは、ものすごくやつれていた。元々はかなりがっしり体型の頼もしい方だったのだが、今見るおじさんは頬がげっそりとこけていて、最後に会った時から20キロくらい痩せている気がする。

普通の人が認知症の人と一緒に暮らすと、こうなるのだ。
おじさんはしばらく母上と暮らしていたのだが、そこにまた遠くに住んでいたおじさんのお兄さんが訪ねて来て、その痩せこけた姿を見るや驚いて「おまえこのままじゃ倒れてしまうから、おふくろを施設に入れよう」という話になり、そこから一緒に老人ホームを探してお母さんを入居させたという。
それによって、おじさんは東京で大工さんという、元の人生に復帰できたのだ。
実家に戻っている間は、「もう自分の人生は終わったのだ」と投げやりな心境で過ごしていたそうだ。お母さんが寝ている早朝に1人で散歩に出かけ、ポケモンGoをやるのが1日の中で唯一の気休めだったという。

また、一番最初の有料記事(パート30)で書いたが、私の東京の知人も認知症が進行したお母さんと2人で暮らしており、ある日いろいろな限界が来て、お母さんを突き飛ばして怪我をさせてしまった。
そのお母さんの傷がデイサービスの職員さんに見つかって、DVが発覚ということで行政が介入、お母さんは専門の病院に収容されることになったのだ。なんとか介護殺人は免れた。
今はその知人は、一人暮らしになり日常に復帰して精力的に仕事をしている。

以上のような破綻の例は私の周りにあるが、逆に、「認知症のお父さんと何年も2人で暮らしているけど、毎日楽しいよ」というような成功例は周りにはまったく存在しない。そんな人はいない。
それはもう、物理的に無理だからだ。
上の2人はたまたま兄弟や行政が介入して、手遅れになる前に介護者が救出されたが、こういうラッキーが起こらず実際に手遅れになった事例はいくらでもあるだろう。
私が「あの人しばらく見ないな……」と感じている知人はおそらく私も気付かない範囲でたくさんいて、そのうちの何人かは、介護生活に突入して復帰できずに死んでいたり毎日泣いていたり発狂して入院したりしているのではないだろうか。上の2人はたまたま復帰してきたから「介護してたけど復帰したよ」という話を聞けたわけで、その後ろには、復帰できずに介護強制収容所で強制介護労働の挙げ句に気が狂った知り合いたちがたくさんいるのだろう。
これがザ・長寿大国である。実におめでたい。

うちは、父は軽度で母は重度という感じだった。
母は認知症ではなくうつ病であるが、お読みいただいた通り高齢者のうつ病は認知症のような症状が出るので、私は一時は認知症2人と暮らしているような状態であった。
とにかく、「自分と一緒に暮らしている人が、まともに会話が成り立たず、理解不能な言動をする」という状況では、人間は自分の健康や理性を保つことはできないのだ。これはあまり文章で伝わる気もせず、うつ病や自殺者の苦しみと同じで「経験してみなければ理解できない」事柄だと思う。だから未経験で健康な人からは「そんなのたいしたことないじゃん」と思われがちな気もする。
しかし本当に無理なのだ。
ロボットのペッパーくんと暮らしていたとして、ある日ペッパーくんが故障し、脈絡がないセリフを1日中喋るようになったら、持ち主は電源を切るだろう。意味不明なセリフを聞かされ続けるなんて、誰だって気が滅入るだろうから。
それが、似たような状況になって認知症の親の場合は電源を切れないのだ。しかも人間は動き回る。置いて逃げようにも1人にするのは心配で逃げられない。ペッパーくんと違って親は食事が必要だし、ペッパーくんと違って体が自由に動いて物も壊せるし刃物も持てるし、そのくせ体は弱くて病気になったり転んで怪我をしたりする。
そういう人と、マンツーマンで暮らさなければいけないのだ。しかも自分はそれまで持っていた社会との関係を断たれて。

よく介護に関する本とか記事を読むと、「介護生活に入っても、仕事はやめてはいけない。お金と、社会との繋がりを切らないようにするのが大事だ」などと書かれているが、綺麗事だ。
それができたらみんなそうしてるんだよ。お金と社会との繋がりを、切りたくて切るやつなんて一人もいない。絶対に切りたくないけど、それ以外にどうしようもないから切ってるんだよ。切ってしまったら先の人生がどん詰まりになることは十分わかっているけれど、それでも切らないと今日を乗り越えられないから切るのである。
自分の生活を保ちながら介護ができるんならみんなそうしてるよ。誰よりも本人がそうしたいと心から願っているんだから。
社会の仕組みを整えて介護離職をなくすということは、もはや無理である。日本の人口構成から考えて、この長寿地獄社会は年々ひどくなるだけである。
要介護者と一緒に暮らす家族が、2人ならまだなんとかなる可能性はあると思う。
特に、介護が必要な親が一人、子ども世代が2人とか。それなら業務形態によっては順番に仕事をすることもできるし、「まともに話ができる人間が家に一人いる」ということで精神的な負担もかなり減ると思う。話が噛み合い、大変なことを相談できる運命共同体の仲間がいるというのはすごく大きなことではないか。
とはいえ、清水由貴子さんはまさにその「親一人を子2人で介護」の環境だったのに、親御さんを連れて自殺してしまったのだけど。
となると、介護度が進んでしまえば2人で介護も無理ということになる。

実は、うちの父もそれはわかっていたのだ。
父が、父のおばさんと話している時に「認知症の人と一緒に暮らすのは無理だよ」と言っていた。
私はよく知らないのだが父の母(私の祖母)も認知症になったらしいし、7年前の母の発症も経験しているので、それは父も身に染みているらしい。
私はそれを聞いて「あ、わかってるんだ。たしかにその通りだ。じゃあこの人(父)が認知症になりかけたら素直に家を出て施設に入ってくれるってことかな?」と少し気持ちが楽になったものだ。
しかし実際どうなったかというと、具合が悪くなって入院し、認知症という判定結果も出たのに、退院したいとゴネて家に戻ってきて母を狂わせて私を軟禁状態に置いている。

まあともかく、認知症の人と一緒に……特に1対1で暮らすのは、人体構造上無理。これは強く訴えておきたい。
どこかのテレビで介護職のプロが言っていた、「プロでも親の介護は無理」という言葉、それが真理だ。

父の認知症は「軽度から中程度」なので、話は70%くらいは通じる。
宅食はもうイヤだからヒレカツ丼を買って来てくれ、みたいなことをちゃんと言えるし、私が水を一滴床に落としたらすかさず「拭いて!」と要求してくるくらいの普通さは持っている。徘徊したり家族が誰だかわからなくなったりおもらししたりする老人と比べたら、まだしっかりしていると言えるだろう。
しかし曜日や時間がわからなくなったり同じことを何度も言ってきたり、言葉がなかなか出て来なかったり単語を取り違えるので話の意図が全然伝わらなかったり、そもそも舌がうまく回っていないのでなにを言っているのか聞き取れなかったり(これは薬の影響だと思うが)、そういうボケ始めの症状はあって、そんな父と2人で暮らしていることでこちらの精神は疲弊する。

それが私が弱っていっている理由のひとつ。
そしてもうひとつ、父と同居することで、毎日精神に深刻なダメージを負わされる事情があるのだが………
続く。


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