【旅行記】 佐渡ケ島
2~3ヶ月に一度は旅行に行くようにしている。
先日佐渡に行ってきて、とてもリフレッシュできたので、たまには旅のことを少し。
10代のころは、それが終わるなんて想像もできなかった。(急に何の話)20代もそう。流されるように、いま30代前半をやっている。
この年齢って、まだまだ若いのだろうけれど、20代のような体力や「がむしゃらさ」みたいなものはなくなってきている。多少の社会人経験を踏まえて、自分なりの意見がもてるようになってきて、違うんじゃない?と他者を批判的にとらえることも前より増えてきた感覚がある。
「はづべくんば明眼(みょうがん)の人をはづべし」(道元)との禅語を、このごろよく考える。
さまざまな人の言葉に一喜一憂せず、物事の道理をよくわかっている「明眼の人」の言葉を意識していくことが大切、との教え。
20代のころは、とにかく誰からも学びがあるという前提で、学ぶ姿勢を第一に、がむしゃらに仕事してきたけれど、いまはその姿勢と、自分の意見を持つことの両立が、少し息苦しく感じるようになってきた。
「明眼の人」って、どんな人??
なんとなく、そんなテーマも頭の片隅において旅行してきた。
① 金山
佐渡と言えば、やっぱり金山?(トキ?)
行ってみたら、それなりに入場料とられるみたいだったので、どうする?まぁ・・ね・・と、外観だけ見て引き返そうとしたところ、入り口から感じた冷気(坑道内は10度くらい!)に、気持ちよさそう!と、避暑地的な動機で入場。
入ったら、やっぱりすごかったです。
江戸時代、すべて手作業で、鉱山を掘り金を採掘する、どれほどの重労働か、令和の人間には想像もできません。
山を掘り進めるわけですから、当然湧き水みたいなのがいたるところから無限に湧き出てきて、それもすべて手作業で排水しなければならないという。
金山の歴史と物理的な金の重さ(金塊を持ち上げる体験コーナーがあった。全然持ち上がらず。)に圧倒されつつ、帰っていると、金山から車で数分の道路わきに、「無宿人の墓」という看板がなぜか目に留まり、それが何かもよくわからないまま、行ってみることにした。
調べてみると、無宿人とは、江戸時代、さまざまな理由から、現代の戸籍台帳のようなものから名前を外された人たちのことらしい。
当時、江戸などから約1800人もの無宿人が佐渡に送られ、先の、坑道から水を汲みだす仕事に従事させられたらしい。湧き水はずっと出続けるわけだから、暗く狭い坑道の中で24時間働き、休みはなんと年に1日だけだったとか。その過酷さ故、大半の無宿人が3年ほどで命を落としたらしい。
お墓(供養碑)の写真は撮りませんでしたが、車道から10分ほど山道を進んだ先にありました。
ひぐらしが鳴き響く森の中、お参りをしながら、華やかな金山の裏の顔を見た感じがしました。
② 海
佐渡の海はきれいでした!
日本海でしょ・・となぜかしらけていましたが、行ってみたらめっちゃ透明でした。
日本海だし・・と海入る準備していかなかったことを後悔しました。
佐和田海水浴場というところが宿から近かったのと桟橋インスタスポットがあるといううわさで立ち寄ってきました。
幸いなことにインスタスポットすいていたのでばっちり写真撮ってもらいました。
絶対投稿してやるものか・・!とプライドを持って決めていたのにnoteにあげている私。
やっぱりみんなに見てほしいんです・・・
だってきれいに撮れたから・・・・・
⓷ 酒
日本酒といえばやっぱり新潟ではないでしょうか。
私日本酒はそんなに飲みませんが、新潟のはやっぱりおいしい感じがします。
佐渡には5つの酒蔵があるらしく、その中で2か所、定番?の尾畑酒造さんと佐渡で最も小規模らしい逸見酒造さんに行ってきました。
運転があるので試飲はできませんが、お土産に購入させていただきました。
ジェットフォイルとタクシーで新潟駅に戻った後、魚沼釜蔵ぽんしゅ館さんで、新潟の地酒、ひっかけさせていただきました。
新幹線の時刻まであと10分てきな追い詰められた状況で完飲できませんでしたが、とてもいい雰囲気のお店で、酒も肴もおいしかった。またゆっくり行きたい。
旅行って、何を大事にするか、毎回かんがえるんですが、僕は、「考える」モードから「感じる」モードに切り替えて、家と職場の往復みたいな残念な日常から抜け出してリフレッシュする、的なところがやっぱ醍醐味かな、なんて今回の旅では思いました。
みなさんにとっては、旅って何でしょうかね。
・・・・「明眼の人」ってどんなひと?