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グローバリズムの本質は弱肉強食


 

 高校受験を控えている中学生ならまだしも、50前のおじさんが電車の中で資格本などを真剣に勉強しているのを見ていると本当にやるせない気持ちになります。おじさんの背景が全てわかるような気がします。
 私がまさにそうであるように社会のレールというか出世というか常識というかそういうものから一回でも外れてしまうと二度と元の生活には戻れない、そういう雰囲気が最近ますますひどくなってきていると感じる。
 ますます学歴偏重社会になってきている。学歴でしか人を測れない社会になっている。だから資格習得に躍起になるのかが少しわかる気がする。
 肩書とか資格とかそんな短絡的なものでしか人を測れなくなってきている。
 これはグローバリズムだ。
 グローバリズムは家族や文化や歴史や伝統や人脈を嫌う。
 だから人間をデータ化した商品としかみなしてくれない。
 人と人のつながりや、感情や労働組合や中間組織やそういった人間的なものを排除するのがグローバリズムの本質だ。
 私たちはまるでシュミレーションゲームの駒の一つにでもなったみたいだ。パワーアップアイテムを取得することがその駒の存在理由みたいな。
 
 この閉塞感は何?
 それは未来に希望がないからだ。もっと言えば政府が希望を作らないからだ。
 つい先日IPS細胞の山中博士がクラウドファンディングで資金をお願いします、という話を聞いて本当にこの国には絶望した。
 普通政府が山中氏の事業を援助しなければいけないはずなのに。それが国益というもなのに。
 IPS細胞が現実の物になったらどれだけこの国の国益になるか、そしてIPS細胞からさらなる発明がなされて世界に冠たる国になるまたとないチャンスなのに。
 それに、政府が事業を援助したらその事業体の取引先も儲かって彼らの行きつけの飲み屋も儲かり、その仕入れ先も儲かるということである。これが経済が回るということで、それを希望と呼ぶのではないだろうか?
 財源は税金だろうが国債だろうがいいじゃないか?将来世代への責任とか岸田首相は言っているけど、今この瞬間が大事なんですよ!

 雇用の流動化などという耳障りの良い言葉の対義は労働者を首にしやすい社会である。
 このキャッチフレーズを広めたグローバリストはおそらく労働者をただの商品売買だとしか思っていないのだろう。
 労働者は商品ではなく企業の付加価値であると認識している経営者が日本にいったい何人いるのだろう?
 会社が発展するためには社員への教育・投資が必要不可欠である。雇用の流動化社会でそれは実現できるのだろうか?契約社員や派遣社員に企業は投資するのだろうか?

 
 いくら頑張って資格の勉強をしても所詮は独学でありそれで食べていく知識も身につかないだろうし
 誰にでもできる技能知識をいくら身に着けても所詮は代わりの利く存在にすぎないのだ。
 

 

 




 
 
 

   

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