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【コラボ小説】ただよふ 8(「澪標」より)

翌日、駅まで僕とあなたは、ほとんど会話を交わさなかった。
あなたの目は腫れぼったくなっていた。やはり昨夜は泣いていたようだった。

東京に帰る新幹線の座席に落ち着くと、僕は膝の上で手を組み、背筋を伸ばして切り出した。

「これから話すことは、あなたの胸に収めて、絶対に口外しないでほしいんです。志津にも話していません。あなたが、口外するような人ではないことはわかっていますが」

あなたは姿勢を正して、「約束します」と答えた。

「妻と出会ったのは、修士課程を修了して就職した都内の広告代理店でした。本当は博士課程に進んで、地方自治の研究者になりたかったのですが、修士1年の終わりに父が亡くなったので、母と弟のために少しでも給料のいい会社に就職したかったんです。その代理店は、過疎山村の地域振興の広告も担当していたので、専門を生かす機会もあると思い、入社を決めました」

発車した新幹線の振動に身を任せ、あなたは僕のきつく組んだ手を見つめながら耳を傾けていた。

「希望通り、地域振興を担当するチームに配属され、最初の仕事が、ある東北の過疎山村のUターン、Iターンのプロモーションでした。そのプロデューサーが、当時39歳だった彼女です。もの静かなのに、決して陰気ではなく、地道に確実な仕事をしていて、高い評価を得ていました。新人の僕の意見にも真剣に耳を傾けてくれて、間違ったことを主張しても軽蔑したりせず、時間をかけて論理的に説明してくれる人でした。いつも、彼女の意見は正しくて、知識と経験に敬服させられっぱなしでした。そんな彼女ですが、ひとたび仕事を離れると、好奇心旺盛で、少し子供っぽいところもあり、そういう一面を見るとどきっとしました。趣味も幅広くて、話していると楽しくて、自分の世界が広がり、気がついたらどうしようもなく好きになっていました。他の男性が彼女と言葉を交わすたびに激しく嫉妬して、誰にも取られたくないと思いました。彼女が15歳年上だということなど全く関係なく、恋をしたんです。3か月ほど経ったとき、意を決して彼女に告白して、交際を申し込みました」

24歳の僕と、15歳年上の知的で魅力的な実咲さん。出会った頃の光景が瞼の裏に浮かんできた。

あなたの視線が、続きを言うのを求めていた。

「彼女は、自分は一回り以上も年上で、あなたにはふさわしくない。そんな交際をしたら、あなたのキャリアに関わると諭しました。僕がなかなか引き下がらなかったので、自分もこの年齢だから、結婚してくれないならダメ、子供も欲しいからすぐにでも結婚したいと言いました。そうすれば、僕が逃げていくと思ったんでしょう」

「あなたは諦めなかったんですよね?」

あの頃の事を思うと、自然に口角が上がっていた。
「僕はそうしてもいいと思っていたので、その場でプロポーズしました。彼女は呆気にとられていましたが、3日後にOKしてくれました。後で聞いたら、彼女は、前の年に婚約破棄されていて、すぐにでも結婚したい思いがあったそうです。実は彼女も僕に恋をしていたけれど、自信がなくて言い出せなかったと、はにかみながら打ち明けられたときは、天にも昇る思いでした」

猪突猛進ちょとつもうしんする当時の僕に、あなたも呆気にとられていた。

「大阪の彼女の実家に挨拶にいきましたが、大反対されました。今は良くても、時間が経てば僕が後悔することがどんどん出てくるだろう、そうなったとき娘が気の毒だというのが主な反対理由でした。それでも、僕が何度も訪ねて話をするうち、ご両親は僕が年齢よりもしっかりしていて、覚悟も半端ではないとわかり、態度が軟化していきました。どんなことがあっても彼女を守り続けると、ご両親と彼女、妹さんの前で誓って、結婚を許してもらいました」

「あなたのお母様は?」

「最初は驚いて反対しました。でも、彼女の聡明さや落ち着いた人柄を知り、彼女の実家がかなりの資産家であることも判断材料になり、僕の意志を尊重してくれました。それからは、早かったです。籍を入れて内輪だけの式を挙げ、すぐに妊活に入りました。協力して不妊治療に取り組み、幸い数か月で彼女が妊娠しました。僕は妊娠がわかったとき、彼女の体を考えて、仕事を辞めてほしいと言いました。広告代理店の仕事は激務ですから。彼女はお腹の子を第一に考えて、仕事を辞めてくれました。安定期に入ったとき、医師から、彼女の子宮の状態で妊娠できたのにも驚いたが、安定期に入ったのは奇跡と言われました」

この先、どんなことがあっても彼女と息子を全力で守り続ける。
若かった僕は実咲さんとお腹の中の子に改めて誓った。
待ち受けているのが、茨の道であるとも知らずに……。

「翌年、彼女は里帰りしていた大阪の病院で、予定より早く、帝王切開で息子を出産しました。妊娠中、その継続が難しい時期があり、諦めることも選択肢に上がったので、無事に生まれたときは本当に嬉しかったです。やがて、彼女は息子を連れて東京に戻ってきました。けれど、彼女が育児で大変なときと、僕のチームが変わり、仕事が忙しくなった時期が重なったのです。僕の帰宅は連日深夜になり、休日返上で仕事をする日々でした。出張で家を空けることも増え、家に帰ると息子の世話をしながら寝てしまうこともあり、十分に協力できたとは言えません。息子の泣き声と、彼女の金切り声が耳に張り付き、疲労だけが蓄積し、すべてから逃げ出したくなることもありました。そんな状況下、彼女が精神不安定になり、育児がままならなくなって、高齢のお義母さんが、大阪から出てきてくれました。お義母さんは、産後うつだろう、自分も経験したし、そうめずらしいことではないと言いました。妊娠中も彼女が精神不安定になることはあったので、僕はどこか楽観的に構えていました。彼女は何でも上手くやる器用な人で、本当は追い詰められていても大丈夫と言ってしまう見栄っ張りなところがありました。余裕がなかった僕は、そんな彼女に甘えていたんです……」

「会社に相談して、育児休暇を取るか、仕事を調整してもらうことはできなかったんですか? 激務が当たり前で、言い出しにくい業界だとは思いますが……」

「後から考えれば、そうするべきでした。でも、あの頃の僕は、意地になっていたんです。年上の彼女との結婚は、社内でもかなりの噂になっていて、僕は好奇の目にさらされていました。妊活のために、夫婦で休みをもらったときも、チームに迷惑をかけたので、陰であれこれ言われていました。会社に助けを求めれば、もっとひどい噂になるのは目に見えていました。彼女のことも、無遠慮な詮索や嘲笑から守りたくて、職場では家庭のことを一切口に出しませんでした」

あの時、きちんと対処していれば……。今でも僕は悔み続けている。

「心身がなかなか元に戻らない彼女は、お義母さんに付き添われ、近所の精神科クリニックを受診しました。中程度のうつ病と診断を受け、抗うつ薬を処方されて、定期的な通院が始まりました。彼女は病気になった自分を激しく責め、僕に申し訳ない、息子の世話ができなくてかわいそうだと言い続けました。眠気に襲われることが多く、食欲が落ち、みるみる痩せていきました。僕は自分の未熟さを日々思い知らされ、睡眠時間を返上し、彼女のケア、育児と家事をできる限り手伝いました。僕と結婚しなければ、彼女がこんなことにならなかったと思うと、申し訳ない気持ちで一杯でした。以前のように知的で冷静な彼女に戻すために、どんなことでもする覚悟を決め、ゆっくり養生できる環境をつくることに尽力しました。しばらくして、ようやく息子を受け入れてくれる保育園が見つかったのに救われました。お義母さんは、そのまま僕たちのマンションに滞在して、なかなかベッドから起き上がれない彼女に代わり、育児と家事を担ってくれました。彼女の妹も頻繁に上京して助けてくれました。彼女は何度か薬を変えましたが、効いているようには見えず、体調は相変わらずでした。自分を責め、死にたいと泣き続けることもありました」

あの頃、僕が未熟なせいで、変わってしまった実咲さんを見続けるのが怖かった。ぼろぼろになっても誰にも頼れなかった。ひたすら家族を守ろうと、会社で孤軍奮闘していた。肉体と精神の疲弊で、もはや彼女を愛しているのかもわからなくなっていた。

「1年程経った頃、彼女の気分が良くなり、買い物に出られるまでになった時期がありました。活動的になり、鼻歌を歌いながら得意だった料理を大量に作って振る舞い、眠っている僕を起こして話し続けることもありました。自分の服を大量に買い込んできて、働きたいと言い出したことも。この時点で、何かがおかしいと気づくべきでしたが、僕もお義母さんもようやく薬が効いたと喜びました。でも、しばらくすると、また気分が塞ぎ、寝たきりで何もできない状態になり、生きている意味がない、僕には離婚して新しい人生を始めた方がいいと言うようになりました。この頃、僕は彼女が良くならなくても、そこにいてくれるだけで十分だと思えるようになりました。その後、何度か様子を見に来ていたお義父さんの勧めで、彼女はしばらく息子を連れて実家に帰り、療養することになりました」

僕は、停車した駅名をちらりと確かめてから話を続けた。

「僕はできる限り、息子と妻に会いに大阪へ行きました。彼女の体調は相変わらずで、自分は生きている価値がないと激しく落ち込んで泣いていることが多かったです。たまに気分がいい日はあっても、長くは続かなかったようです。別居生活が2年ほど続いた頃、僕は広告代理店を辞め、大阪でもう少し時間に余裕のある仕事を探し、家族と暮らすことに決めました。幸い、大阪の私立大学で広報担当職員に採用され、妻の実家で家族と暮らすことになりました。仕事がいくらか楽になり、息子の成長を見守れるのが幸せでした。彼女の病気についても、本を買って勉強しました。そして、うつ病の薬を飲んでもなかなか良くならないときは、双極性障害の可能性があると知りました。躁状態とうつ状態の出現する双極性障害には、多額の借金をしたり、離婚や退職をしてしまうなどの激しい躁状態があり、入院が必要になるⅠ型と、躁状態が軽いⅡ型があるんです。Ⅱ型の躁状態は、軽躁状態と言って、妙に元気すぎるくらいで、本人も周囲も治ったのかと勘違いしてしまうことがあるようです。彼女の気分の良かった時期は、軽躁状態だったのではないかと思い当たりました。もしも、彼女が双極性障害だとしたら、今までの治療は間違っていたかもしれないと気づき、愕然としました」

「それでは、奥様は……?」

僕は、力なく頷いた。
「紹介状を書いてもらって、双極性障害に精通した精神科医に診てもらいました。僕やお義父さん、お義母さん、義理の妹も同席を求められ、発症してから今までのことを詳細に尋ねられました。医師に症状をモニタリングするシートを渡され、診察のたびに提出して、2年経った頃、ようやく双極性障害Ⅱ型と診断されました」

「2年って……、そんなに時間がかかるんですか?」

「双極性障害の診断がつくには、平均で7年以上もかかるそうです。彼女も5年程かかったことになります。受診するのが、うつ状態で困っているときになることが多いので、うつ病と診断されてしまうのは無理もないようです。彼女の場合、激しい躁状態のないⅡ型だったので、本人も周囲もわからなかったんです……。僕がもっと知識があり、気を付けて観察していればと申し訳ない思いで一杯でした……」

あなたは何かを口にしようとしていたが、黙っていた。

「うつ病なら、投薬と休養で治癒することはあります。でも、双極性障害は、長い期間、気分安定薬や抗精神病薬を飲み続け、症状を安定させ、再発を防ぐ病気です。本人や家族が病気を受け入れ、治療のために協力する必要があります。彼女と僕、義父母が、医師から説明を受けました。僕と彼女は病気を受け入れ、2人で治療を続けながら寛解を目指そうと約束しました。でも、彼女の両親はそうではなかったんです。彼女のいないところに僕を呼び、君は今までよくやってくれた、まだ若いのだから娘と別れて新しい人生をやり直してほしいと言われました。自分たちは、彼女と息子を養える程度の貯えがあり、息子も自分たちに懐いている。義妹夫妻にも懐いている。娘のことは説得するから、どうかそのことを真剣に考えてほしいと懇願されました。僕の母親にもその話をしたらしく、母からも離婚を勧められました」

「あなたがそうできるとは思えません……」
あなたは力なく言った。

「今まで一緒に頑張ってきたのに、自分がそんなふうに見られていたのがショックでした。やっと、治療のスタートラインについたというのに……。当然、僕はそれを拒否して、妻とともに、病気を受け入れて、寛解を目指すことを選びました。僕も妻と一緒に、心理士から認知行動療法を受け、考え方を少しづつ変えていきました」

「いま、奥様の症状は?」

「規則正しい生活を心掛けて、再発の兆候もわかるようになって、ようやく病気とうまく付き合えるようになりました。ここ1年くらいは、寛解が続いていて、家事ができるようになりました。外で働くのは難しいですが、在宅でライターの仕事を少ししています。環境が変わると生活リズムが乱れるので、家族で東京に出てくるのは心配でした。でも、彼女が大丈夫だと言い張るので、志津の誘いを受けました。彼女は、僕に長年迷惑をかけたことを気にしていて、やりたいことをやってほしいと言ってくれています。最近は、僕が休日に1人で出歩いたり、横須賀の母を訪ねたり、空き家になっている新潟の祖父母の家のメンテナンスに泊りがけで行くこともできるようになりました」

「息子さんは……? 難しいお年頃でしょう?」

「息子は成長するにつれ、母親の病気を受け入れて、無理を言わない子に育ちました。最近では、自分のことはすべて自分でやって、余裕があると風呂掃除、夕食の支度、食器洗い、洗濯までやってくれます。僕が未熟だった分、聞き分けが良すぎて、子供らしさに欠ける子になってしまったのが本当に申し訳ないです……」

僕がしっかりしていれば、息子はもっと自分の為に生きられたのに。彼の青春を犠牲にしているのが心苦しかった。

病気を抱えて働けない56歳の妻と、これから高校・大学とお金のかかる息子。僕が家族を捨てることなど、絶対にできるわけがなかった。

僕はあなたに向き直った。
「僕はこうした事情で、あなたの気持ちを受け入れることができないんです」

「わかっています……」

仮に僕が妻を捨ててあなたと一緒になったとしても、僕とあなた抱く罪悪感は、胸に巣食い、関係を蝕むだろう。僕たちには、屈託のない幸せなど永遠に築けないのだ。

「本当に申し訳ございません」
僕はあなたが困惑するほど深く頭を下げた。
こんなに重いものを抱えた僕から、あなたが離れていく事を覚悟した。

「一度だけ、教えてください。私はあなたにとって、どんな存在ですか? 女性としての魅力を感じたことはありますか?」
あなたは、縋りつくように尋ねた。

「これから職場では、いつも通りにして、あなたに迷惑をかけません。だから……、お願いですから、本当のことを教えてください」
あなたは僕の視線を捉え、そらさなかった。

僕は、しばらく石のように押し黙っていたが、観念して話し出した。
「初めて会ったときから……、磁石で吸い寄せられたように、あなたに魅かれていました。あなたのことを何も知らないのに、鼓動が高まって、苦しいほどでした。話すたびに共通点が見つかって、言葉に出さなくても分かり合えることが何度もあって、どんどん魅かれていきました……。運命の人だと思っています。魂が呼応できるような人に巡り合えて、僕はどれだけ救われているか……」

「でも、あなたは私を思えばそれだけ、御家族への思いも深めていくのでしょう……?」
あなたは静かに口にした。

僕は息が止まるようだった。
僕自身が自覚していなかった思いを、あなたは見抜いていたから……。
「あなたには、わかってしまうんですね……」

「それなら、それで構いません。あなたはずっと1人で頑張ってきたのですから、自分らしさを保ったり、取り戻したりするために、誰かに寄りかかっていいんです! 私がそんな存在になれるなら、こんな嬉しいことはありません。私はあなたのエネルギー源になれればこの上なく幸せです! だから、どうか……、私を突き放すような態度だけは取らないでください」

「すみません。いい歳をして、自分の気持ちをコントロールできなくて、どうしていいかわからなかったせいです。もうあんな態度はとりません」
あなたが僕の事情を受け入れてくれて、僕は胸が熱くなった。
僕は泣きたくなったが、必死で堪えた。

「僕は卑怯で、弱い男ですね……」
依存するのは肉欲に溺れるよりずっとたちが悪いと拒絶したのに、結局あなたに縋ってしまった。

「私だって、ずるくて弱い女です……」
僕たちはお互いの弱さを共有し合うことで、絆を深めていた。

あなたは右手で僕の肩を抱き寄せ、左手で僕の左手を握った。僕はびくりと体を固くしたが、やがてあなたの肩にもたれ、あなたの手を強く握り返した。僕たちは、東京駅に着くまでそのままでいた。


僕は会社に書類を提出した後、まっすぐ帰宅した。
まだ息子が帰るには早い時間帯だった。

玄関を開けると、棚に花が生けられた花瓶が置かれていた。
あれは赤いガーベラと白いストックだったろうか。

「お帰りなさい。」
「ただいま、実咲さん。」
僕はチクリと心が痛んだ。

「珍しいね、花なんて飾って。」
妻は鼻が利くから、花を飾るのはあまり好まないはずだった。
「…『友達』にもらったの。」
妻は、にこりと笑った。
「そうなんだ。良かったね。」
僕は旅の疲れで、彼女にこれ以上深く聞くことはしなかった。

それから自宅には、週に一回新しい花が玄関に飾られるようになった。


may_citrusさんの原作「澪標」、こちらも併せて読んでいただけると、物語をもっと楽しめます。


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