040.スプーン1杯の認知症
母を外出に誘った。車で待っていると来ない。
「準備しているよ」と言っていたが、トイレに行ったりしている。玄関から出てきたら、鍵がない。もう一度戻って鍵を探している様子。まだ来ない。
勝手口に行くと、洗濯を干している。「あれ?出かけられそう?」と声をかけると、「あ~そうそう!」とドアを閉めたら、鍵を持っていない。また部屋に戻り、部屋の真ん中で立っている。「鍵、あった?」と聞いたら、「え?ない?」と言って探し始めた。台所のカウンターに置いてあった。見つけて、出てきたが、鍵が閉められない。
二つある鍵穴にどちらに挿せばいいのか分からない。挿して回すが、鍵が抜けず、また回して何度も繰り返すが掛からない。
顔が険しくなる。
出来ていた記憶があるのに、出来ていない現実。見ていて辛くなった。今、母は何を考えているのだろうか。
背中を丸め、ドアに引っ付いてガチャガチャ回す。
「鍵穴二つじゃ、わからんよね!」と声をかけると「ほんと!」と少し怒り気味だった。やっと鍵も掛かった。
何が正解か分からない社会になった。母も何が正解か分からない。
地球が無くなるときまで、正解は無いと思う。人生が終わるまで、自分の意識がなくなるまで、正解は無いように思う。
母は、今、幸せではないと言う。
「母ちゃんはえええね。娘が居るから。私は誰もいないから、こうやって誰も相手にしてくれなくなる。」と言うと、笑いながら「母ちゃんが面倒見てやるからええよ」と笑った。昔から、自分以外は死ぬことはあるが、自分が死ぬことは無いと信じている。「頼むね」と言って二人が大笑いした。
これを幸せと言うんじゃないのか?
ちなみに、母は、いつも幸せではないと言う。何が幸せなのか決めていないからだろう。幸せは、自分が決めるもの。
母の友人のほとんどが伴侶が亡くなり一人で暮らしている。母には、車を運転して連れて行ってくれる旦那が居る。何もしたくないとき、機嫌が悪い時に当たる旦那が居る。
母の幸せは何なのだろうか。
私が、可哀そうと言う母。誰かのために何かをすることがうれしいそうだ。
私は正確が捻じれているから言うのだが、不幸な人を見て、自分が上であれば幸せな顔をする。一人では幸せには、成れない人だ。私が不幸なふりをすることで、母は幸せなのです。親孝行だわアタシ。
何はともあれ、生きていることが幸せであることには間違いない。
生きていれば、いつか何かが起こる。
ちなみに、私は、幸せである。充実ではないかもしれないが、幸せだと思う。
来年、母は、何をしているのだろうか。