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世界初のラジコン、ダッコちゃん、バービーなど、昭和30年代頃のおもちゃのお話

私の父が昭和27(1952)年に開いたおもちゃ屋「さくらトイス」は、昭和35(1960)年には、横田基地の目の前である福生市、国道16号線沿いに店を構えていました。
1960年代と言えば、日本が戦後の占領期を経て、復興を果たした時期です。
  
その頃、今でも販売が続くロングセラーおもちゃが登場しました。また、テレビで人気のキャラクターがおもちゃとして登場しました。
今回は、占領期、「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」以降のおもちゃのお話です。
皆さんがよくご存じのおもちゃの話題もあるかもしれません。
 
※「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」のおもちゃのことは、こちらの記事でご紹介しています。

■ MADE IN JAPAN 表記になるまで

敗戦の2年後である昭和22(1947)年に民間貿易が正常化された際、輸出用の日本製品には「MADE IN OCCUPIED JAPAN」の表示が義務づけられ、ブリキ・セルロイド・ゼンマイ玩具を中心に輸出されました。
昭和27年3月に占領が正式に終了してやっとMADE IN JAPANという表記に変わり、いよいよ日本復興の始まりです。

■ 昭和27(1952)年~昭和40(1965)年のおもちゃにまつわるできごと

・昭和27(1952)年
漫画少年で「鉄腕アトム」の連載が始まり、翌28年NHK・日本テレビ放送開始。29年には怪獣映画「ゴジラ」が封切りされます。
 
・昭和30(1955)年
増田屋斎藤貿易(現 増田屋コーポレーション)「ラジオ・コントロール・バス」が発売されました。世界初の無線操縦玩具として、電動玩具に画期的な変革をもたらします。

「トイジャーナル」2015年1月掲載。

・昭和31(1956)年
おもちゃの輸出も益々盛んになり、玩具の安全性を調べる「日本金属玩具協会」が通産省の指導で発足されました。
また、この年、今でも子どもたちが遊んでいる「ホッピング」が大流行します。
 
・昭和32(1957)年
戦後初めてのマスコミ玩具 赤胴鈴之助の「赤ザヤの刀」(高徳玩具)が流行しました。

昭和32年頃のさくらトイス店頭。ホッピングや刀のおもちゃ、バットが見えます。

・昭和33(1958)年
「フラフープ」が流行。エポック社が「野球盤」を発売したのもこの年です。
 
・昭和34(1959)年
旭玩具製作所が1/43サイズの国産ミニチュア・カー「モデルペット」を発売。
 
・昭和35年(1960)年
タカラ(現 タカラトミー)がビニール人形「ダッコちゃん」を発売
 
・昭和36(1961)年
トミー(現 タカラトミー)が「プラレール」を発売。
この年玩具輸出額が286億円となり、世界第一位となります。
 
・昭和37(1962)年
カワダが「ダイヤブロック」を発売。
第1回日本玩具国際見本市(現 おもちゃショー)が開催されました。
 
・昭和38(1963)年
アメリカマテル社「バービー人形」が日本で発売。
アメリカでの発売は1959年で、バービー人形の初期は日本で作られていました。
その後、生産国は、昭和45年頃からインドネシアへ、10年後には中国へと移っていきました。
 
・昭和39(1964)年
テレビの人気者をモチーフにした、いわゆるマスコミ玩具が流行。
「鉄腕アトム」(浅草玩具)や「鉄人28号」(野村トーイ)などです。

ブリキのおもちゃ博物館で撮影しました

また、中嶋製作所(現 ナカジマコーポレーション)が着せ替え人形「タミーちゃん」を発売。

タミーちゃんとダッコちゃんの共演!2014年開催の「ドール・カルチャー展」にて。

・昭和40(1965)
アメリカから「スーパーボール」がやってきました。
また、「レーシングカー」ブームが起き、年間生産量400万台となりました。
「さくらトイス」の店内にも、レーシングサーキットが設置され、大人気でした。その模様は、こちらの記事でご紹介しています。

そして、東京の下町一帯の玩具工場が毎年の台風や水害によって交通マヒしたり、労働者不足などの問題を解決するために、新たな地域での玩具生産団地建設に着手。
栃木県壬生町に「おもちゃ団地」を作り、東武宇都宮線に「おもちゃのまち駅」が完成しました。


いかがでしたか?
この続きは、また次の機会にご紹介しますね。


昭和27(1952)年から55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の思い出話を毎月更新しています。こちらもぜひご覧くださいね。

編集協力:小窓舎


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