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ゲームボーイ、ミニ四駆、フラワーロックなど話題のおもちゃが続々登場した昭和61~平成7年

この連載では、昭和27(1952)年から平成19(2007)年まで55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の2代目社長を務めた私が、おもちゃ屋の歩みや懐かしいおもちゃのお話を書いています。

 1980年代後半の大きな出来事といえば、昭和から平成に元号が変わったことでしょう。
おもちゃの世界でも、コンピュータゲームが全盛となり、大人のための雑貨的な商品がヒットするなどの変化が見られた時代。
また、大型量販店の誕生や、「トイザらス」の上陸など、おもちゃ屋にも変化が表れ始めました。
私がさくらトイスの副社長として、本格的に経営にかかわり始めたのもこのころです。

今回は昭和61(1986)年~平成7(1995)年までのおもちゃの変遷をご紹介します。 


昭和61年  日本のファッションドール「ジェニー」発売

昭和61(1986)年、タカラが発売していた「バービー」(輸入品のバービーではなく、日本向けにタカラが作った人形で、マテル社からライセンス供与を受けた)のマテル社との契約が切れ、名前を「ジェニー」として新たに発売しました。

初代ジェニー(2014年開催「ドール・カルチャー展」にて)

一方、タカラとの契約が切れたマテル社はバンダイと共同出資でマーバという会社を設立。新しい「バービー」を売り出しました。
この年にバンダイ・タカラが共に株式に上場しました。

カワダ「グラグラゲーム」もこの年に発売されました。
100円玉や500円玉を貯める「貯まるBANK」が流行ったのもこの年です。 

また、 靴のチヨダがハローマック、靴のマルトミがVANVANとロードサイドに大型店舗のおもちゃ屋を作り始めました。 
それまでのおもちゃ屋は全国の町の商店街に1件は有り、坪数は小さいものの全国で約1万店舗ありました。しかし、こうした大型店の出店で、徐々に町のおもちゃ屋さんが減少していきました。

昭和62年 ドラクエⅡが大ヒット

昭和62(1987)年、ファミコンソフト「ドラゴンクエストⅡ」、「聖闘士星矢」のおもちゃが大流行。 
「スケバン刑事ヨーヨー」「レーサーミニ四駆」も流行りました。 

おもちゃメーカー9社の出資で、現在「こども商品券」(旧おもちゃ券)を発売している株式会社トイカードが設立されました。 

昭和63年 フラワーロック・ミニ四駆が人気に

昭和63(1988)年、雑貨的なおもちゃが登場し始めました。 
音に反応して動き出す「のらくろロック」「フラワーロック」がタカラから、手のひらに乗せると泣き出す小鳥「手のひらピピ」、声が変わる「声変ガス」等、大人も楽しめる商品で、大人がおもちゃ売場で、自分のために買っていくことが増えました。 

画像は「トイジャーナル」より

前年よりミニ四駆の漫画「ダッシュ!四駆郎」がコロコロコミックで掲載されて人気となり、この年の夏にミニ四駆全国選手権大会「ジャパンカップ」が開催。

「となりのトトロ」も封切りになり「アンパンマン」のテレビ放送開始となりました。 

平成元年 ゲームボーイ発売

平成元(1989)年、任天堂から「ゲームボーイ」が発売され「テトリス」が大ヒットになりました。

キャラクターおもちゃもヒットし、「SDガンダム」「ターボレンジャー」「ひみつのアッコちゃん」など、
ぬいぐるみでは「となりのトトロ」(サン・アロー)「少年アシベのゴマちゃん」(タカラ)「フラッフィーバルーン」(セキグチ) などが人気を集めました。

玩具業界VANシステム「TOYNES」発足。おもちゃ1品1品にジャンコードがつけられました。その後、玩具の分類が行われ、メーカー・問屋・大型小売店で 発注や在庫管理、販売数が一目で分かるようになり、スーパーなどが玩具売場を拡大。
ちなみに私はこの年にさくらトイスの副社長になりました。 

平成2年 キャラクターおもちゃの花盛り

平成2(1990)年、任天堂「スーパーファミコン」が発売されました。ソフトは「ドラゴンクエストⅣ」が大ヒット。

人気キャラクターは多様化し「トトロ」「アンパンマン」「ちびまる子ちゃん」「ムーミン」「ウルトラマン」「ガンダム」「戦隊シリーズ」「オグリキャップ」とそれらのおもちゃも多様化しました。
 
テンヨーより「光るジグソーパズル」も登場 。

日本玩具協会が「小さな凸の提案」。これは、スイッチのONに小さな凸を付け、目の不自由な人に分かるようにしたもので、後の「共遊玩具」(障がいのあるなしにかかわらず遊べるおもちゃ)につながります。

平成3年 バーコードバトラーが発売

平成3(1991)年、この年に任天堂から「ファイナルファンタジーⅣ」が発売され、ますますスーパーファミコンの勢いが増していきます。 
 
エポック社から新しい遊びの提案「バーコードバトラー」が発売されました。色々な商品についているバーコードを読み取り、その強さを競うコンピューターゲームです。

画像は「トイジャーナル」より

イギリスから「ウォーリーをさがせ」や「きかんしゃトーマス」等の今までとは違うキャラクター商品が出てきました。 

また、12月、アメリカから来た玩具小売専門店「トイザらス」が茨城県荒川沖に1号店をオープンしました。 

平成4年 セーラームーンが女の子の心をつかむ

平成4(1992)年、前年に引き続き、「ストリートファイターⅡ」「ドラゴンクエストⅤ」「ファイナルファンタジーⅤ」 などの有名なゲームソフトが続々発売されました。
恐竜戦隊ジュウレンジャーの「獣奏剣」が大ヒット、男児キャラクターの復活です。 
女児キャラクターでは、今でも絶大な人気の「セーラームーン」が出ました。 
女児には電子手帳も大ヒット。 

平成5年 Jリーグ開幕でサッカーおもちゃが人気

平成5(1993)年、セガエンタープライズからテレビに接続する「キッズコンピューター PICO」が発売されました。 

Jリーグが開幕して、エポック社より「Jリーグ スーパーサッカー」発売。 
小学校で持ち込み禁止になったエニックスの「バトルえんぴつ」がヒットになったものこの年です。 

関西の百貨店がおもちゃの安売り店に対抗して年末におもちゃのディスカウントを始めました。 

平成6年 雑貨おもちゃ「シバカリくん」ヒット

平成6(1994)年、ソニーが32ビットテレビゲーム「プレイステーション」を発売。 
 
また、雑貨色の強いおもちゃがヒット。音楽に合わせてリズムをたたく「原人コッツ」(ビーアイ)や頭からシバがはえる「シバカリくん」、飴がくるくる回る「スピンポップキャンディ」(タカラ)が人気でした。 

画像は「トイジャーナル」より

増田屋コーポレーションからコマが宙に浮いて回る「U-CAU」が話題になりました。 
このあと95~96年と子供たちに大人気の「ビーダマン」が発売されました。

画像は「トイジャーナル」より

平成7年 ミニ四駆が再びブームに

平成7(1995)年、「ミニ四駆」(タミヤ)が再び人気となり、1988年のブームに続いて、第2次ブームを起こします。 

今でもロングセラー商品シルバニアファミリーの「赤い屋根のおうち」が発売されました。 
ぬいぐるみではテディベアのぬいぐるみが人気となりました。 
「プリクラ」が登場したのもこの年です。 


1975年から1995年の20年間、おもちゃ市場は第2次ベビーブームに生まれた子どもたちと共に大きくなり、おもちゃが日本の産業として社会に認識されてきました。 
話題性もあり、ヒットが出るとそれなりの売り上げが出来るので、他の業界からも参入されました。アメリカからトイザらスも上陸し、徐々におもちゃの価格破壊が始まります。


昭和27(1952)年から55年間続いたおもちゃ屋「さくらトイス」の思い出話を毎月更新しています。こちらもぜひご覧くださいね。

編集協力:小窓舎

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