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自分の空を自分で選んで自分の翼で飛ぶ

昔から渡り鳥というものに特別な思い入れがあって、あの小さい体で自分の翼で長い長い距離を飛び続けるという事に、憧れと尊敬の念を持ち続けています。

それが最近ふと感じるようになったのは「あれと同じことを私たち人間もやっているのかもしれない」という事です。

人間は翼は持っていませんし、海の上を自力で飛んで渡る事もありません。ですが、この世界に生まれて来て数十年を生きる事は、実は自分の翼で飛び続けているという事なのかもしれないと思うのです。

以前のこの国では、会社や組織に属してしまえばずっと安泰で、毎日をただ生きればいい。そんな観念がありました。私もそう思っていました。

ですが、これも幻想なのです。どんな大きな組織に所属していても、波風が立たない人生などないのですし、強風に抗って持ち堪えなければならない事もたくさんあります。

組織に守られたりしてレールに乗って生きているように見えていても、誰もが自分の翼で精いっぱい飛んでいるのです。

今はもっとそうではないでしょうか。大きな組織、という幻想がなくなってしまって、それぞれが自分の才覚で人生を切り開いていく世界が展開していると思います。

みんな、自分の翼で世界を飛ぶしかないし、飛んでいるのです。

そして、飛んでいる空はひとつに見えていて、実はそれぞれの空を飛んでいる。誰かが飛んでいる空の事は、他の人には判らない。どんな風が吹いていて、何が見えているのか。

自分が飛ぶ空も飛び方も、自分で選べるのだと思います。最近そうなってきた、と言われていますが、たぶん本当は、ずっと昔からそうだったのだと思います。ただそれに気づきにくかったし、選びにくかった。

飛び続ける方法は、自分の翼を使うほかありません。他の人の翼がどれほど素敵に見えて、それが欲しくて、取り換えたいとまで思っても、その翼では飛べないのです。

鳥がほかの鳥の翼を欲しがったりするでしょうか?そんな事をしていれば失速して海に落ちるだけです。

他の誰のものでもない自分の翼、この人生でずっと使う翼で、自分の空を選んで、自分のやり方で飛び続ける。

それが幸せというものかもしれないと思います。

画像はずっと以前に作った作品です。火事で焼失しました。使った和紙はおそらくもう手に入りません。ですが、型は手元に残っています。とても大きな型ですし、再び作って何になるのかと放置してしまっていましたが、別の紙で、また糊置きをして、色を入れたくなりました。どんな色になるだろうと楽しみです。


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