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説明とは情報を羅列する事ではない。相手が持っている知識にリンクさせる事だ。

人を納得させるにはデータの羅列じゃだめなのです。
最も簡単なのは「あなたがよく知っている、あれと同じですよ」と説明する。これは受け入れやすい。

 単純な例ですが、例えばアイスランドの面積はおよそ10万平方キロメートルです。でも、そんな数字を出したって、ほとんどの人は納得しない。しかし、「北海道ぐらい」といえば、みんな納得するでしょう。
 人間が物事を理解するというのは、そういう事なのです。必要なのは数値ではない。イメージなのです。「(私の知る)○○と同じぐらいの大きさの国」。それが欲しい情報です。

 別の例。
 年金とは分かったようで分からないシステムです。でも、あれは積立貯金の変形だと言えばわかりやすくないですか。自分の知っているシステムと類似というのは、非常に理解しやすい。
 ヒトは類推が得意なのです

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補足
 これは基本的にマンツーマンの説明を想定しています。
 でも、同じ知識を持つ人が複数人ならば、相手に出来ます。しかし、ちょっと込み入った話では、それは期待できないでしょう。逆に言うと、その種の「講義形式」の説明は役に立たない事が多いです。大学の講義がわかりにくいのは、これです。

 また、Googleで得られる「説明」が役に立たない理由もこれです。

 うまい説明はTPOにより毎回内容が異なります。10人に説明したら10種類の説明があります。そして、説明中に相手の反応を見ながら、リアルタイムで内容を修正していきます。
 パワポの資料を使って原稿を暗記して、、、は通用しません^^

 説明とは、相手の理解度を知るところから始まります。

 説明巧者は、ほぼ必ず熟達した人間観察者です^^

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補足2
 今度は、説明を受ける側の話です。
 マンツーマンで物を教えてくれる人なんて、そうそうはいない(注0)。だから受取手も努力した方がいい。「リンク可能な知識」を自分が持っておくのです。それが多数有れば、そのどれかと「新しい知識」がリンクするでしょう。
 知識は、増えれば増えるほど、より増やしやすくなります
 だから、人生のスタート時点で、そこそこのベースの知識が無いと二進も三進もいかない。そのベースを作るのが中学卒業までの教育です(注1)。ここで脱落すると、残念ながら、それよりも知識が増える事はないです。

注0:重要な例外があります。それは親です。特に母親。
母親による幼児教育は、非常に、非常に効果的です。人生において、あそこまでべったりと、誰かがいつでも物を教えてくれる時期は有りません。
 この大チャンスを逃すと、後の学習で取り戻すのは、ほとんど不可能でしょう。

注1:そして義務教育前の「学習」も、非常に重要です。それは国語や算数のことではありません。世界にどんな物が存在して、どんな動きをしているか、人間がいて、言葉を喋り、笑ったり怒ったりする。
 そういう無数の経験が重要です。それを体型的に説明するのが義務教育です。
 極端な例えとして、子供が「人間同士は会話をする」という事実を知らなかったら、国語教育など不可能です。

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