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出世は男が先で女は後はNGでも、支援は女が先で男が後はOKだって?!

 ちょっと信じられない主張がフェミニスト側から出てきた。「通常運転(いつものこと)では?」と言えばといえばそうなんだが。

 さて、フェミニストは「社会において男性の出世が優先されて女性の出世は後回しにされる」ということを口を極めて非難してきたはずである。フェミニストが頻繁に持ち出すジェンダーギャップ指数などは平たく言えば「出世している男女比」が数値を大きく動かす指数で、その指数が低いことでさんざん男性達を詰ってきたはずである。

 換言すると「性別によって一方が優先され他方は後回しにされる社会」は否定されるべき社会であるとフェミニストは叫んできたといえる。

 そんなフェミニストに対して以下のように諭したら納得するだろうか?「あぁ、それなら仕方ないですね。だって社会はそうなっているんですもんね」と引き下がるのだろうか?

 まず、勤労女性が認識しなければいけないことは、日本社会では出世については「男性、女性」の順番であると考えられており、その順番はそうそう変わる事はない、という事だ。
 この順序に苛立つ勤労女性が多くいることは分かるし、それが性差別的要素を含むことはそのとおりだ。
 だが、社会にはどうしたって覆せないものや、変わる可能性はあるにせよ覆すためには長い期間を必要とするものがある。

筆者作成1

 さらには、フェミニストに「あなた達が主張すべきことは以下のようなものなんですよ」と言われて、「ホゥホゥ。なるほど、私達は主張すべき方向を間違っていたようですね」と考えるだろうか?

 優先順位の最も後ろにいる勤労女性にまで出世ポストを回すことを考えるならば「限られたパイを私たちに先に回せ」ではなく、「勤労男性に十分に回り、そして勤労女性にまで十分に回るまで、パイを大きくし続けろ」と主張するべきなのである。

筆者作成2

 以上のような御高説に、フェミニストは「Exactly !(そのとおりでございます)」と回答できるのだろうか?

 もしそうなら、フェミニストはクォータ制などを主張するお仲間に是非とも教えてあげて欲しいものだ。そして、以下のようなセリフで不満タラタラの女性を納得させてもらいたい。

「アンタたちの主張は間違っているんだよ。世の中にゃ、どうしたって覆せないものがあるんだよ。そして、出世ポストだって男達に十分回って、更にウチ等までオコボレが回ってくるまでパイをでっかくしてくれ!って言うべきで、男にも回ってないのに女が分け前をよこせって言っちゃダメだよ」

 さて、これまで述べてきた「筆者作成1・2」の内容に関して、フェミニストを含めて現代的なジェンダー平等の価値観の持ち主ならば、「何言っているんだ?アンタ?」という感想を持つだろう。その感想を忘れないようにしながら以下の記事を読んで欲しい。

 この赤木智弘氏が書いた「『自分は弱者男性である』と自認する人たちが『若年女性支援』へバッシングすることのままならなさ」という記事で展開されている理屈は、正に上で示した理屈なのだ。「勤労女性」を「弱者男性」に、「出世」を「支援」に入れ替えれば、全く同様なのだ。

 ちなみに、私がミラーリングした元になる、赤木氏の文章は以下である。

弱者男性が認識しなければいけないことは、日本社会では弱者に対する支援の手は「子供、老人、女性、男性」の順番であると考えられており、その順番はそうそう変わる事はない、という事だ。
 この順序に苛立つ弱者男性が多くいることは分かるし、それが性差別的要素を含むことはそのとおりだ。
 だが、社会にはどうしたって覆せないものや、変わる可能性はあるにせよ覆すためには長い期間を必要とするものがある。

「自分は弱者男性である」と自認する人たちが「若年女性支援」へバッシングすることのままならなさ
赤木 智弘 2023/10/17 現代ビジネス (強調引用者)

 優先順位の最も後ろにいる弱者男性にまで支援を回すことを考えるならば「限られたパイを俺たちに先に回せ」ではなく、「子供老人に十分に回り、さらに女性、そして弱者男性にまで十分に回るまで、パイを大きくし続けろ」と主張するべきなのである。

同上

 さて、これまで何度も主張してきたことであるのだが、

  1. 男はハイリスク・ハイリターン、女はローリスク・ローリターンの社会

  2. 男女共にハイリスク・ハイリターンの社会

  3. 性別関係なく、ハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンが選択できる社会

  4. 女はハイリスク・ハイリターン、男はローリスク・ローリターンの社会

  5. 男女ともにローリスク・ローリターンの社会

 ジェンダーの視点での自由という観点を抜きにして考えれば、上記の5つの社会は男女に関して公平である。

 ハイリスク・ハイリターンの人生は勝てば煌びやかなトップ層になれるが、負けた場合は「死して屍拾うものなし」といった人生で、ローリスク・ローリターンの人生は勝ち組になっても大したことはないし、負け組になってもそう酷い事になならない人生というものである。

 当然ながらリスク選好というものは人それぞれで男女の性別で決まっているものではない。また、自分の保有する才能や境遇等からハイリスク・ハイリターン人生が良い、あるいはローリスク・ローリターン人生が良いというものはあるだろう。したがって、ジェンダーで決定される人生コースに不満が生じるというのは理解できる。

 しかし「ハイリスク・ハイリターン人生であるのは、ローリスク・ローリターン人生から見るとズルイ」というものではないのだ。リスクとリターンが見合っているのかどうかが公平かどうかの判断基準になる。

 さて、旧来型社会というものは「男はハイリスク・ハイリターン、女はローリスク・ローリターンの社会」というものであった。そこから、女性がハイリターンを得られないのはオカシイではないか、ということで女性の人生も男性型人生コースのハイリスク・ハイリターン人生にしようと主張しているのが、欧米社会で主流の所謂リーン・イン・フェミニズムというものだ。つまり、「男女共にハイリスク・ハイリターンの社会」にしようという訳だ。一方、日本のフェミニズムは独自の方向に進んで「性別関係なく、ハイリスク・ハイリターンかローリスク・ローリターンが選択できる社会」というものを通俗的には志向している。

 つまり、ジェンダーからの自由と言う観点では日本が通俗的には志向している社会3が望ましく、他の社会は劣っているといえるのだが、リスクとリターンという観点に立つならば、それぞれの社会は公平なのだ。

 だが、それはリスクとリターンが見合っているという前提での話である。

 「出世において女性は男性よりも後回しにされる一方で、支援においては男性は女性よりも後回しにされる」というのは「男はハイリスク・ハイリターン、女はローリスク・ローリターンの社会」という社会においては当然のこととなる。リターン=出世において優遇されるのであれば、リスク=支援においては劣後しても文句をつける道理はない。同様に、リスク=支援で優遇されているのにリターン=出世で劣後することに文句をつけるのはオカシイ。

 もちろん、「ローリスク・ローリターン」から「ハイリスク・ハイリターン」に転換したいと文句をつけることはおかしくはない。

 しかし「ローリスク・ハイリターン」を要求するのはアンフェアなのだ。リターン=出世において劣後することは許せない一方で、リスク=支援においては優遇されるのは当然とするのは、個別株に投資しておきながら銀行預金のような元本保証を要求するようなものだ。「男性と同じようなリターン(=出世)にしなさいよ!」と主張するにも関わらず「リスク(=支援)において男性は女性に劣後するのが当然でしょ」と主張するのは道理に合っていない。リターンにおいて男性と同様のものを望むのであればリスクもまた男性と同様のものとなるのだ。

 フェミニストは散々「立身出世において女性は男性に劣後している。男性は下駄を履いている」と男性特権の存在を指摘し男性を詰ってきた。そして性別特権の存在こそがジェンダー差別だと糾弾してきたわけだ。そしてその特権の解消を要求してきた。

 はてさて、赤木氏の記事で先に引用した箇所に「日本社会では弱者に対する支援の手は『子供、老人、女性、男性』の順番であると考えられており、その順番はそうそう変わる事はない、という事」という一文がある。赤木氏の記事の論調から彼がフェミニストであることは窺える。つまり、「社会支援において男性は女性に劣後している。女性は下駄を履いている」というフェミニスト側の認識は、(弱者)男性に教え諭すような日本社会についての常識なのだ。そのことは取りも直さず、特権として意識すらしない"社会の道理"として女性という性別に付与された特権を自覚しているのである。

 あまりにもご都合主義的なフェミニストの認識である。

 フェミニストは散々男性に「自分達の履いているゲタを認識しない。性別特権を当然視している」と主張してきたが、まさしくそのことはフェミニスト自身にも当てはまることなのだ。「女性が男性よりの先に社会から支援を受けることがアタリマエ」というものは、女性特権に他ならない。そして、支援において女性が優先される社会の有様を自覚しながら、それを「女性特権」と理解しないのは、フェミニストの「どんな場合も男性が女性よりも利益が多い男尊女卑社会」という認識枠組みに基づくのだろう。

 このフェミニストの認識枠組みは、フェミニストのセクシズムの源泉だ。いい加減、この糞みたいな認識枠組みで物事を眺めるのは止めて欲しい。それができないなら、フェミニストは正義の味方面してないで、自分達はネオナチやKKK団のような存在なのだと自覚して欲しい。

 今回の話でいえば、記事の内容は正しいと考える一方で、先に挙げた私が今回のnote記事で作成した(赤木氏の理屈をミラーリングした理屈に基づく)言説の内容は間違っていると考えるならば、アナタはまごうことなき性差別主義者である。「自分はジェンダー平等主義者なんだ」などいうバカな妄想から抜け出し、ハーケンクロイツ旗やレベル・フラッグを振り回す人間と同種の人間であるとの自覚をもって生きてほしい。

 それにしても、フェミニストは「性別で順序付ける」ことに関して、実にご都合主義的な考え方をするもんだ。

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