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地方女子の頓珍漢な被害者仕草

以下のyahoo記事に転載された記事への批判をしたい。

この記事は

  1. 辻村深月著『傲慢と善良』の作中人物(女性)の生きづらさ

  2. 現実世界での、地方に暮らしている女性たちの息苦しさ

この二つの要素を取り上げるパートから成っている。また、記事のリード文および結語を読むと、なぜそんな構成の記事になっているかが分かる。以下に引用しよう。

 辻村深月著『傲慢と善良』が大ヒットしている理由のひとつに、ストーリーを読みすすめるうちに現代社会における生きづらさが次々と浮かび上がってくる点があるだろう。

「女性は“誰かに属している”ことを求められる」 地方女子が感じる「生きづらさ」の正体
三浦ゆえ 2023/04/07 AERA〈dot.〉リード文

『傲慢と善良』は二度読みたくなる小説だ。一度目は、真実の行方、そして架との関係がどうなるのかが気になってページをくる手が止まらない。二度目は、真実がずっと抱えてきた生きづらさをつぶさに拾い、自分や誰かと重ねながらじっくり読む。何度読んでも発見があり、だからこそ「人生でいちばん刺さった」と感じる人が、きっと多いのだろう。

同上 結語

 つまり、上記引用でいうところの「真実がずっと抱えてきた生きづらさをつぶさに拾い、自分や誰かと重ねながらじっくり読む」という二度目の読み方を記事にしたもの、と言える。この読み方自体はよくある読み方であるし、非難するようなものではない。

 しかし、記事の端々にみられる「被害者は女性」という認識枠組みが鼻につく。この点についてみていきたい。とりわけ、女性差別問題でもなければ地方の問題でもないものを、地方社会に強く残る女性差別と考えるオカシさについて指摘していきたい。


地域社会のプレイヤーについての無理解

 この記事に出てくるモモエさん(北陸在住)は、地域社会におけるプレイヤーあるいはレイヤー(=層)の違いについて理解がない。地域社会において、プレイヤーの単位は個人ではなく世帯である。その無理解さを示す箇所を引用しよう。

このあたりではいまでも、女性は“誰かに属している”ことを求められます。独身なら●●さんのところの娘さん、結婚すれば▲▲家に嫁に行った。特に冠婚葬祭で親戚が集まるときに、それを強く感じます。私は未婚で両親と同居しているのですが、そうなると40代になっても“あそこの家の娘”としか認識されない。私がなんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとかは、誰も興味がない感じです

同上 (強調引用者)

「未婚で両親と同居」ならば同一世帯だろう(まぁ住居が同じで別世帯もありえなくはないが珍しい)。ならば地域社会でモモエさんが「あそこの家の娘」となるのは当然だ。モモエさんは親の世帯の一員なのだから「あそこの家の娘」とならないならば逆にオカシイ。「いやいや、自分は親とは別なのだ!」と言いたいのであれば、完全に別住居にして生活も生計も独立させて全くの別世帯(一人世帯)となるべきである。

 ビジネスの世界で譬えると分かりやすいと思うが、「東京電力の渡辺さんが日本製鉄の田中さんと話し合いをして契約を結んだ」という場面を考えよう。

 当然、渡辺さんも田中さんも個人として趣味や嗜好、個人の履歴がある。しかしそんなものはビジネスの世界では(原則的には)どうでもよくて「東京電力の人」や「日本製鉄の人」が重要である。つまり、渡辺さんは東京電力という会社として日本製鉄と契約したのであり、田中さんは日本製鉄という会社として東京電力と契約したのである。このときのプレイヤーは東京電力と日本製鉄であり、渡辺さんと田中さんはプレイヤーではない。もし、渡辺さんが「『東京電力の渡辺』ではなく『渡辺』として契約して欲しい」というならば、東京電力から独立して「個人事業主としての渡辺氏」になる必要がある。「東京電力と日本製鉄」「渡辺さんと田中さん」がそれぞれ同じレイヤー(=層)である。だが、東京電力と渡辺さん、および日本製鉄と田中さんはレイヤー(=層)が違うのだ。

 地域社会の「世帯」も上の企業と同じ位置であり、また、企業に属する会社員と世帯に属する家族もパラレルの関係にある。つまり、地域社会において「○○家のモモエさん」は、ビジネスの世界の「日本製鉄の田中さん」と同様なのだ。

 地域社会において、主体として想定されているのは世帯であって個人ではない。回覧板や地域の掃除当番、自治会の会費などを想像すれば分かると思うが、世帯毎であって個人毎ではない。また地域社会での「公園の草むしり」の義務などがそうであるが、世帯のだれかが参加すればその義務は果たされたことになる。つまり、地域社会が個人単位ではなく世帯単位で機能していることがハッキリわかる。

 この地域社会のレイヤーを理解せずに、女性差別の現れのように認識するところがオカシイ。世帯と個人はレイヤー(=層)が違うのだ。

このあたりではいまでも、女性は“誰かに属している”ことを求められます。

同上

 引用した箇所から抜き出したが、男性であっても地域社会では世帯に属している。モモエさんとは性別を逆にして考えよう。未婚で両親と同居している40代の男性が居たならば、当然ながら地域社会において当該男性は「○○さんところの息子さん」と呼ばれるはずである。どんな仕事をしていようが、どんな趣味をもっていようが、どんな人間であろうが関係なく「○○さん(=世帯)のところの息子さん」なのだ。

 地域社会のプレイヤーは世帯であって個人ではない。個人はあくまでも世帯を構成する部分にすぎない。それに関して個人の性別など関係が無い。

 また、将来において地域社会の基本単位が世帯単位から個人単位になる可能性はあるが、それは性差別解消とは関係が無い。仮にそうなったとしても単にそれは、中間団体としての世帯を社会が必要としなくなっただけである。言ってみれば、差別問題とは無関係に必要性を喪失した故に現代日本において「氏族」という中間団体が機能する実体として消滅しているように、将来の日本では必要性を喪失したので「世帯」が消滅するという話になる。

 結論として、地域社会において個人が世帯に属することに性差別は全く関係が無い。男性も女性も等しく世帯に属している。女性だけが地域社会の基本単位の世帯に属すると考えるのは見当違いの話である。


他人からすればアナタは世界の主人公ではない

 最近よく取り沙汰される承認欲求にも関係するトピックなのだが、「世の中の人が自分に(好意的な)興味を持っている」という状態は、生活に支障が出る水準でなければ自尊感情が満たされるので、そのような状態になりたいと多かれ少なかれ大抵の人は考える。小学生や中学生でも「有名人になりたい」という願望を無邪気に持っている。功名心は若者をひたむきな努力に向かわせる原動力にもなり、悪いものとは決して言えない。

 20代後半から30代にかけて段々と各々の人生コースは定まってくる。ごく少数の有名人となる人生コースに乗る人と、多数を占める平凡な人生コースに人に分かれていく。もちろん、イレギュラーな形で突然ブレイクして有名になるハリーポッターの作者のローリング氏のようなレアケースもある。だが、大抵の場合は20代後半までぐらいまでに判明する才能や常人とは隔絶した努力が実を結んで有名人となっていく。一方で、非凡な才能を持たず、有効で絶大な努力を払ったとも言えない大勢の人間は、平凡な人間になっていく。

 ただし、有名人の人生コースだからといって人生が幸せになると決まったわけではないし(不幸になる有名人も多い)、平凡な人生だからとて幸福になれないと決まっているわけでもない。このことには注意されたい。

 さて、「平凡な人生コース=他人からするとその他大勢の人生」に乗っていると自覚すると、突飛な事をしでかさない限り他人にとって自分は大して興味関心が持たれない存在であると理解する。この自己理解はなかなかに苦痛を伴う。しかし、よくよく内省してみれば明らかだが、家族や友人あるいは憧れの人や有名人といった自分にとって特別な何かがある人間でなければ、自分もまた他人には大して興味など無い。他人も自分と同様なのだ。特別な存在でもない人間のことなど、たまたま話題に挙がるようなことがあったとしても大して関心を寄せることなど無い。この他人は自分に大して興味がないという当たり前の事実は、ある程度の年齢がいけば気付くものだ。

 だがそんな当たり前のことに気づかずに、モモエさんは自分の承認欲求を満たさない周囲を逆に非難する被害者意識を持つ。記事を引用しよう。

私は未婚で両親と同居しているのですが、そうなると40代になっても“あそこの家の娘”としか認識されない。私がなんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとかは、誰も興味がない感じです

同上

 モモエさんの考えはあまりにも幼稚である。「40歳にもなって主人公気質が抜けないのか?」と言いたい。

 あなたと特段の関係もないのに、どうして他人があなたに「なんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとか」といった興味を持つと考えるのだろうか。あなたがしている仕事、あなたが好きなこと、あなたがどんな人間であるかは、その他人に何の関係があるのか。仕事上で利害関係がある、趣味仲間を探している、あなたとプライベートな関係を取り結びたがっている、といった事情でもあるのか。もしも自分ならそういった事情のない他人に対して「なんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとか」といったことに興味関心を持つのか。

 客観的に自分を見ずに、頑迷固陋な地方社会に苦しめられる地方女子の私という被害者仕草をしている。

 「なんの仕事をしているとか、何が好きで、どんな人間であるとかは、誰も興味がない」のは、地方社会の性質のせいでも、興味を持たれない人物の性別が女性であるせいでもない。単に平凡で特別に人間関係を取り結びたいを思わせる人間でないから他人から興味を持たれないのだ。ありていに言えば、性別を問わず、他の多くの平凡な人々も同様の境遇にいるのであって、地方女子に特有の境遇ではない。


話題性はポジティブ・ネガティブを問わない

 何かを話題にするのであれば、話題にするだけの何らかの価値がなければ雑談でも話題として取り上げない。もちろん、雑談の話題には内容が空疎なものも多い。例えば「今日は暖かいですねぇ」といったお互い分かり切っている、当たり障りのない当然の話題が選ばれることもある。ただそれは、ニ三の言葉を交わすだけの挨拶の延長線上の雑談の場合である。ある程度の長さの雑談をするのであれば、なにかしらのニュースバリューを持った話題が選ばれる。

 では、先述の人物(北陸地方在住のモモエさん)を対象にした話題について考察してみよう。

40代で未婚、両親と同居している自分が、狭くて密なコミュニティーではどのように言われているのかは、だいたい想像がつく。本人が結婚を望んでいなくても周りからは「していない」ことだけが取り沙汰され、仕事をつづけたいということについては話題にものぼらない。モモエさんはその話しぶりからも自立した女性だとわかるが、地元でそれは評価されない。

同上

 上記から分かるモモエさんの人物像で性別を抜いた属性を以下に挙げる。

  • 40代

  • 未婚

  • 両親と同居

  • 仕事をしている

 抜き出したこれらの属性を持つ人物を抽象化して、その人物の話題に興味関心が生まれるかどうかを確かめよう。まず、1つの属性で考えてみよう。

A 40代の人物
B 未婚の人物
C 両親と同居している人物
D 仕事をしている人物

上記の各A・B・C・Dの(抽象的)人物は別に珍しくもなく、とりたてて興味関心は生じない。そこで2つの属性を持つ抽象的人物で考えよう。

AB 40代の未婚の人物
AC 40代で両親と同居している人物
AD 40代で仕事をしている人物
BC 未婚で両親と同居している人物
BD 未婚で仕事をしている人物
CD 両親と同居している仕事をしている人物

上記のAD・BC・BD・CDといった抽象的人物は興味深い人物とは言い難い。40代で仕事をしている人物など珍しくもなんともない。同様に、未婚で両親と同居している、未婚で仕事をしている、両親と同居して仕事をしている人物も珍しくはない。これらの人物は当たり前の存在すぎて、雑談の話題として取り上げた所で「So what?」という話である。

 しかし、AB・ACといった人物はやや少数派に属する。生涯未婚率が男性が28.25%、女性が17.85%となった昨今(2023年時点)では、さほど珍しくはなくなったものの40代で未婚の人物はやはり少数である。また、40代で両親と同居しているのは二世代家族か40代の未婚の子である。どちらであっても、現在の日本においては少数派である。少数派にはその他大勢とは違う何かしらの相違点が存在している。善し悪しを抜きにして「相違点」というものは話題となり得るものだ。

 以上を踏まえて先の自分が話題となるときのモモエさんの不満を見てみよう。

本人が結婚を望んでいなくても周りからは「していない」ことだけが取り沙汰され、仕事をつづけたいということについては話題にものぼらない。

同上

 つまり、「40代の人物が仕事を続けたいと考えていること」が話題にならないのがモモエさんの不満なわけだが、そんなものはモモエさんが地方女子ではなく男性だろうが都会に在住していようが話題としてのニュースバリューなどない。40代の人物が仕事をしていること、その人物が仕事を続けたい意思をもっていることなど当たり前すぎて「だからなんだ?」という話である。

 一方で「40代の人物が未婚であること」は(大小はともかく)興味関心を引き出す話題である。結婚している大多数の40代の人達には無い何らかの事情(この事情には本人の考えも含む)によって未婚状態なのだ。この事情に興味関心が生じることは不思議ではない。

 もちろん、現代日本において40代で未婚であることはスティグマ(≒負のレッテル)として機能しているので、それを話題にしないで欲しいとモモエさんが不満に感じることは理解できる。言ってみれば、受験に失敗したことや交通事故を起こしたこと、あるいは離婚したこと等に類するネガティブな話題だからだ。

 自分に関するネガティブな話題を取り上げるのは止めて欲しいと誰しもが希望する。それこそ市井の人に限定せず、イエロージャーナリズムに追いかけ回される有名人も同様である。モモエさんの不満は、万人が持っている「自分を話題にするならネガティブなものでなくポジティブなものだけにして欲しい」という心性に根差すわけだが、話題性というものはそんな話題にされる側の個々人の心性とは関係なくポジティブ・ネガティブ双方で生じる

 さらに、話題にされる側の人に関して好意的環境・中立的環境・敵対的環境というものがあり、それが提供される話題の種類において重要なのだ。好意的環境においては、話題性があったとしてもネガティブな話題の会話は抑制されてポジティブな話題の会話が中心になる。一方で、敵対的環境においてはポジティブな話題の会話は抑制されてネガティブな話題の会話が中心となる。また、中立的環境においては話題性の大きさだけが重視されて会話の話題が選択される。

 また、ある人物に関しての好意的環境・中立的環境・敵対的環境は、その人物の評判で変化する。環境に対する貢献度が高い、ないしはプラスの著名度があるときは好意的環境となる一方で、環境に損害を与える、ないしはマイナスの著名度があるときは敵対的環境となる。環境に対する貢献が大して無い、あるいは著名度でいえば無名であるときは中立的環境になる。

 ただし、話題になる対象への好意ないしは敵意とは関係なく、「ネガティブな話題は避ける」「他者のプライベートは話題としない」といった会話のマナーが存在する環境も当然ある。とはいえ、そういった環境下においてある人物に関して話題性のあるものが「ネガティブなもの」「プライベートなもの」しかない場合、その人物に関する会話自体が抑制されてしまうといった事態になるだろう。

 ここでモモエさんについて考えよう。

 モモエさんは話題性のあるポジティブなものを保有していない一方で、話題性のあるネガティブな話題は持っている。また、地元愛が感じられない態度から地域社会に大して貢献しておらず自分に対するネガティブな話題を抑制してもらえる好意的環境を形成できておらず中立的環境に居ることが推測できる。このような状況下ではモモエさんに関する事柄が話題の対象となった際、モモエさん自身にはポジティブな話題が無いためネガティブな話題しか取り上げられないことが分かる。もっとも、彼女が居住している地域社会が「ネガティブな話題は避ける」「他者のプライベートは話題としない」といったマナーが存在するような上品な社会ではなく、ごく普通の地域社会であるとは言える。

 結局、自分の中では高評価の「仕事している・仕事を続けたいと思っている」という、40代の人間に関してならニュースになりようのない話題性のない普通の事柄を、他の人が話題として取り上げないことに対して、モモエさんは不満を持っている。しかし、そんなことは当たり前なのだ。話題性が無いものをどうして他人が取り上げると考えるのか。

 また、自分が話題にして欲しくない話題性のあるネガティブな事柄を話題として取り上げることを抑制してもらうためには、周囲から好意を持たれるべく貢献していかなくてはならない。つまり、いまの日本社会でスティグマとなっている「未婚」を自分の話題にしたくないならば相応の努力が必要なのだ(まぁ、逆にお見合いの話が周囲のお節介から出るかもしれないが)。しかし、モモエさんは地域社会に文句タラタラであり、地域社会に貢献する意欲など無いだろう。それでは地域社会からの好意など得られない。そんな環境下では、モモエさんが嫌がるであろう「未婚」の話題であっても忖度されず話題性があるために会話で取り上げられるのだ。


まとめ

 地域社会の基本単位は「個人」ではなく「世帯」である。これは、地域社会の様々な慣習における義務や権利(回覧板の閲覧・掃除当番・自治会費の支払い等)が世帯単位であることから理解できる。男性も女性も地域社会において等しく世帯に属しているのであり、「女性は“誰かに属している”こと」といった性質のものではない。すなわち、性差別とは無関係な話である。

 特段の事情のある人間でないならば他人から興味を持たれない。これは、性別を問わず、多数の人々の境遇である。つまり、平凡な女性に対して他人が個人としての興味を持たないのは、地方社会の性質のせいでも、興味を持たれない人物の性別が女性であるせいでもない。

 自分に関するポジティブな事柄に話題性があるとは限らない。とりわけ「40代の人間が仕事をしていること、その仕事を続けたいと思っていること」に話題性などない。また、自分に関するネガティブな事柄であっても話題性が生じてしまうことがある。好意的環境を形成できていないのであれば、ネガティブな事柄は抑制されることなく話題に取り上げられてしまうことがある。これは、地域社会の特質でもなければ、話題に取り上げられた人物の性別が女性であるせいでもない。

 以上、3点に関して、必ずしも女性差別が主原因とは言えないものを女性差別が主原因であると認識している事例を批判した。

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