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父とのことを 思う(詩やエッセイを読んで)


noteの中では、詩や エッセイ作品にも 出会います。どきっとするほど共感し、ファンになったと自覚できるくらいに  つよく「ずっと作品を読みたいなぁ…!」と 願ってしまった 作者さんも  おられます。

そんな  作者さんのエッセイを 読み、思い出した  私自身のエピソードが ありました。それは、父が何度めかに倒れ、手術したときの麻酔のさめぎわに聴いた  父のことばです。

父は夢を見ていたようで、おかあさん…  と、言いました。


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こどもの呼ぶ、親へのことばのように感じられましたが、当時の私は  まだ23〜4歳のワカゾーで、私の母のことなのかな??  と、半信半疑のままに 父の手をとりました。

すると 父は、とても嬉しそうな  見たこともないような可愛らしい笑顔でニコッとして かすかに手をにぎり返し「ああ、おかあさんやぁ。。」と言ったのです。それから少しずつ、ぽつ ぽつと  確かめるように短く 話し、はなして、私(たぶん 父の おかあさん)に  こんなふうに語りかけてから、すーすーと眠りはじめました。

「ああ きれいやぁー。。 この川を渡ったら、あの世へいくんやなぁー。。」


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びっくりしましたが、受けとめました。

しばらく だらだらと涙を流しつづけながら すわっていた私ですが、やっと父の握る手がゆるみ、じわじわと固い椅子から 気持ちが離れていくと、思わず立ちあがって席をはずし、はずした途端に  うーんと唸って、文字どおり頭を抱えてしまいました。

そして  その冬、卒業論文を書きあげ、春には卒業し、新聞広告で見つけた とある事務所に就職しました。参加していた河畔演劇祭のあと片付けの途中、劇団に 無理をお願いして 先に帰らせてもらい、父の入院する病院へ 駆けつけたときのことです。

もう、四半世紀も まえのこと。


幸い  父は回復しました。

幸いにも  あのとき、「これで終わりだ」と覚悟し 距離をとった演劇の世界とも、ほそぼそ ご縁を つないでいただき、今があります。


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(P-actにて)


いま  父はなく、こんどは夫の病気や 婚家の両親のようすで、私はまた  人生の進路を 変えようとしています。一本筋のとおった生きかたに憧れながらも  ふらふらと  まわりを 見渡すばかり、何が できるでもない私自身を思うと、胸がつぶれそうになる日も あります。でも。。

あの日みた 父の表情で、その後 長い年月をかけて、ゆっくりと解けていった   父への誤解も あったのです。父も、未知に向きあう、不安な 一人だったのです。あの場にいられて、よかったです。


そしてまた、もし  あの「場」にいなくても、そのときは  よりふさわしい、新たな一場面が 用意されているのだろうと、いまの私は 思えるのです。それが 年月をへて 人生の中に育ってくる(父や、私  それぞれの)自分への信頼なんだろうと、感じています。


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新しい 文や人との出会いが、過去の私と 父をも つよくしてくれています。それは、とても不思議なこと。

ここに来て よかったと あらためて感じます。

思い出のきっかけとなる文を綴ってくださった作者さんに、感謝を伝えにいこうと思います。