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30年遅れの〈就活〉


今日は  3,000字近い note です。 📖 ✏️
50代の就活のこと、母との関係のことにふれた、随想(?)です。
( つぎからは、もっと みじかい言葉で  お伝えする予定です♪)

関心のある方に  読んでいただければ  嬉しく思います😌

🍃💡   🍂💡   🍃💡


私は、家族とうまく 言葉のコミュニケーションのとれない 子どもでした。
お喋りを 母にいなされるほどに話しても、要点をえないらしく、通じません。

とくに、家族には 嫌なことも「嫌」と 言えません。断りべたでした。
私自身は 言っているつもりなのですが、なぜだか母には、魔法がかかったように 伝わらないのです。

幼い 私からみききする「母の言葉」は 一貫していなくて、記憶も どんどん変わっていきます。まるでジェットコースターのよう。ですから、ものごとを 決めたり 進めたりするのに とても苦労をしました。母と「そうだね」「うん」と 合意したつもりでも、気づけば  思っていたのと、全然ちがう。母の記憶は、母に都合よく書き換わっています。娘である 私のほうが「また あんたの つくりばなしが はじまった(うそを ついている)」と 母から注意を受け、しりぞけられて 終了です。

何かが 決まるときはいつも直前。先方もあるからと、子どもの私は 断れません。
(たとえばクリスマスのプレゼント・習いごと・進学など)
(母には悪気なく、むしろ子ども想い。でも、就職・結婚にも影響が…)


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もし、記録などを 正確にとっていれば、お互いに  思い込みがつよく、行き違いが 多かったとしても
◎ じゅうぶんに合意していないだけ。もっと話しあったら?
◎ 具体的に話してないから、未確定部分が 広すぎるんだよ。。
◎ 二人は、それぞれ 別のことと 勘違いしているんじゃない?

など、わかるのですが。。。
わかれば、対応もできるのですが。。。

💡 我が家では、弟が大人になるまで、そのポジションに 誰も  つきませんでした。

文字どおり 母の独壇場なのでした。母はきっと、自分ばかりが苦労していると感じたことでしょう。自分のペースで、みなを跳ね飛ばしていたとは 思っていないのです。

そして、母は なかなか策士です。私の嫌がりそうな部分は 伏せておき、後から私が(はなしがちがう)と、泣きごとを 言おうものなら「そやったかいなぁ」と とぼけます。「こうなると 見抜けんようでは まだまだ」と、突き放し、笑ってきます。
ごはんを作ってくれたり、たまにキャラメル買ってくれたり、優しいところもあるので 怒るに怒れません😓 こちらがムッとした瞬間に、サッと話を変え、買いものや草引きの用事を言いつけてくる 👛🌿 見事です❗️😵

物語なら、ウイットに富んだ  バイタリティあふれる  愉快なばあさん。なかなかパンチの効いた、いい役どころですが、これが 母ですから 混乱がつのり、私は  せつなかったです。さわられること、甘えられることが極端に嫌いな 母で、母の日のプレゼントや 修学旅行のお土産など、好みに外れると、びっくりする形相で「こんなもん、二度とは買うてこんといて!」と言いました。しまった、という表情も浮かぶので、つい、出ちゃうのでしょうね、ほんねが。。。

母は、そんな  じぶんの うそのない、正直なところを いつも、美点として 好んでいました。私も、それは その通りだと感じます。カナシイケドネ。


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💡 私自身は、この 母の評価(?)「つくりばなしして ずるいやつ・私は うそつき」ということを、かなり長年、信じてきました。そして、たいへん自分に自信がなく、混乱をつづけてきました。

けれど、ある機会に〈ひとの数だけ、現実の受けとめかたは ちがうのだ〉と まなぶことができました。それから少しずつ、私は 自分自身を知ろうとしています。遅れてもいい、少しずつでもいいから、私が 私自身を〈子育て〉しようと 決めたのです。


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母は 相変わらず、私の人生の選択に 不満・不快なようですが、私は  自分のことを「よくやってきたんじゃない?」「なかなか ユニークな、いい人生じゃない?」と、感じはじめています。そして、本当は経験・体験したくなかったようなことには


(つらかったね)


という 意識を、心から 向けるようにしています。

子どもの頃の私は、母の言いつけをまもり「泣かない」ことが じまんでしたが、泣けば解決したことも、私の人生には  いっぱいあったと思います。少なくとも、私の こども時間のなかには。。。 🌻 🍉 🐜 。。。ね 💡
そして〈あ、いま私は悲しいのだな〉と 知ることは、生きる上で 必要なことだと 感じます。すると、悲しみ以外の ほかの気持ちにも、意識が向きはじめるから。

あ・嬉しい いま、淋しい…    もう、怒ったぞ! なんて。^_^


私は、すこ〜〜し つよく、かしこくなったと 思います。同時に、まだまだ知らないことがあり、経験すべきことが  まるで  開けてこなかったプレゼントの箱のように、いっぱいあって、私を 待ってくれていると 感じるのです。


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先月、30年遅れの〈就活〉をしました。

高校生用の 一般教養のテキストを1冊買って、試験を受け、小論文を書き、結果を待って 雨の日に スーツ着て、かかとのある靴をはいて、面接にいきました。メイクもし、髪も整え…  
それって、なんて大変なんだろう!  すごすぎます!

いま、私は らんぼうにも、毎朝 すっぴんに 日焼けどめもぬらず パート先にいくのです(そして、小学生さんたちと あそんだり、宿題をみたり、おやつをくばったりしています)。大人として その場にふさわしく身なりを整え、働いておられる方を、改めて すごい!と 思います。

そして、いまの高校生が学んでいる「一般教養」って、なんて範囲が広く、なおかつ専門的なんでしょう!

30年ほどまえ、ふしょうぶしょうに 卒業した私は、新聞広告で 就職先をみつけだしました。アルバイトだろう… と応募したら、正社員として採用いただきました。ですから「就職活動」と よばれる体験すら していません。

私は いま、30年遅れで  母ののぞむ「ひとなみの」「ふつうの」「ちゃんとしたはる人ら」に、もう 半歩、近づけたよ♪ と、満足です。たとえ、30年遅れでも  私は(よく やってるよ)と、思います。

そして、就職活動が成就して、私の思う「演劇」の世界から もう半歩・いっぽ・にほ・・と、離れてしまっても、、、
その〈あいた場所〉〈ひろがったところ〉に  また、新しい花が咲き、種がみのるかもしれないよ? と、自分を励まし、応援しています。

そしてそして、近づいても 近づいても  ずーっと不足で、もっとできたはず・もっと・もっと … と  ため息をつく母に、これからは


いやぁ、応援してくれたのに ごめんゴメン


と、気楽に 言ってみようと 思います。
母の病院がよいへの つきそいや、実家の片づけ手伝いも、〈母の終活〉ではなく、つぎ会う楽しみ・より生きやすさを見いだす  私たちの『暮らしの練習』に なっていけば、こんなに嬉しいことは  ありません。


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「言うだけやんか、うそつき」って、また  怒られるかな?
そのときは「はい、ごめんなさい」と謝って、サッと 帰ろっと♪


そして、また  来ようかな?  ( ^∀^)  なんて、ね。☘️