ゆっくり閉経できなくても
ふと 更年期の心身のことを 書いておきたくなりました。3年くらい前にふりかえったことと、今の気持ちが また、変わっていることに気づいたからです。
「閉経」って、一人ひとり体感や経験もちがうし、性別がちがえば踏み込むことにも 躊躇してしまう話題でしょうね。けれど、ひとり語りしてみます。
(写真は、光の加減で撮れた奇跡の自撮り
sakurasakubundou©️2019 ← ( *´艸`)
ちょけすぎて、笑いをこらえています)
*ちょける→ふざける 地元の方言 🍃
婦人科で手術を受けた43歳に閉経し、それから10年ほども経ちました。自然な変化ではなかったためか、急に訪れた心身の変化に 思うように動けなくなりました。
まわりに、誰も体験者はおらず、家族(主に夫さん)は はじめこそ、かいがいしく動いてくれましたが、私の家事が遅くなったことに だんだん怒りはじめました。
それで、けんかもしながら ちょっとずつルールを変えていきました。
(昭和の部活の監督ばりに怒る夫さんがコワく、コワすぎて主張が理解できず 録音したことすらあります~😆)
(安心してください! ここ2~3年、負けずに言い返しております~~🤣)
詳しく聴けば、夫さんは 私がしぬのか、お金のことはどうするのかととても怖かった、当時は泣いていたとのこと。
少々頼りないが、いいヤツではありませんか。
🍎 🍎 🐛
10年って、長かったです。あらためて 私自身や まわりの変化のはやさ・大きさに驚いています。
でも、いっぺんには変わらなかった。
ちょっとずつです。
そして、動けない・つまずくことで、社会や まわりにおいていかれるわけでも なかった。必要とされたり、されなかったり。できたり、できなかったりしました。
人と関わることって、味わい深いと思えるようになりました。
いらないものをはねかえす、切りはなす大切さも知りました。
目にはみえない、鏡や刀のようなもの。
そんなのを 人はながーーーくかかって、心に鍛えていくのかもしれませんね(武道家や 神道家でなくても…)。
そして、思ったとおりにもならなかったなぁ~。
すこーしずつ、希望をみつけながら、ちょこまかと動いては、いまも 道をつくったり、求めたりしています。
🦋 🍏 🍏
私の更年期は、術後きゅうに はげしくはじまりました。びっくりしたし、甲状腺の機能低下を指摘されてからは、体と心がつながっているということが よく理解できました(うつの症状がでます)。
パート先で しょっちゅうホットフラッシュを起こし、めっちゃ運動好きな人とかんちがいされそうになったり。。でも、それも 通りすぎなければ 分からなかったことなのです。
私をあしどめしてきた更年期の症状は、いま、ずいぶんと和らいできました。
私の場合は、抗がん剤治療を受け 体力が落ちていたことが影響していたと思います。
また、ホルモン治療をいっさい受けなかったので、心身にどっとつらさがあらわれたのかもしれません。
経済的な理由からも、すぐに働く必要があり、ゆっくりながら動きだしました。そのことも、たまたま 私にはラッキーなほうへ出ました。
自然に閉経できれば、いいと思うんですね。
でも、急な変化でなければ、私は〈自覚〉できなかったんじゃないかなぁ。。
卵巣がはじけてひとつなかったので、じぶんに「ごめんね😢」と思いました。それでもまだ仕事にいこうとしていた。アホですね。
*アホ→相手を欠点ごと受容する 地元固有の表現
ほんの10年、と 思う以上に医学はすすんでいますし、じぶんの体をいたわったり、心身の変化に気づいてケアしていくことは どんな年代のかたにも、大切なこと。
自覚していないけど、すり減らしているところがきっと誰にもあって、そこを差しだすことを控え、まもったり補いあえたりできるといいな。
そんなふうに、いま 感じています。
下の「閉経のこと」を書いた3年まえには、まだ不安が大きくて。
息子くんは卒業して働くよー
あなた職員になっているよー
夫さんがおかあさんをみているよー
おばあちゃんの土地を手放し、実家をなおせるよー
とか。教えてあげたい。
書いたときは 演劇のことに すごーくこだわっているけど、やりきったと線を引けるまでのチャンスに恵まれること、教えてあげたい。
職場で 新たな課題がきていることは、まだナイショにします。
つぎの10年後に いい経験って、思えるかなぁ。
そうだと いいな (^∇^)